冬恋い
あの町にベルが響くころ

よく晴れた、クリスマスイブの真昼。

もっとも、突堤で冷たい海風をあびながら暴走を繰り返したあげく明け方に帰路につきだらしのない部屋着で午前中はひとしきり眠り込んでいたカズがその恵まれた気候を体感できたのは、つい先ほどのことである。

惰眠をさえぎったのは、母親の大声。
そして、電話の子機の通話口を片手でおさえている母親が告げたのは、あすかの名前だった。

たったひとつの名前が、心地よい部屋でだらしなく眠り続けていたカズのことを、たたき起こした。

それから数10分ほどであろうか。同じ学区に暮らすあすかの自宅からカズの暮らす団地の一室まで、さほど時間はかからない。控えめに聞こえるチャイムの音と礼儀正しい声をきいた母親が、にこやかに玄関の扉を開けた。

ぺこりと頭をさげたあすかがかついでいた大きな白い袋と、大きなトートバッグ。やや引っかかりをおぼえながらも、カズの母親は、息子の彼女のあすかを自宅にまねきいれた。

かちゃかちゃとベルトをしめながら、慌てて選んだ服とくずれかけたリーゼントで、カズはあすかを出迎える。

いつも飾らない服装のあすかが、今日は、きちんとしたハーフコート、黒いタートルネック、大人びたチェックのハーフパンツに体をつつみ、その姿ははあすかのことを1,2歳ほど年上にみせた。



「カズくん、いまからカズくん家いっていい?」

部屋着のままだらだらと惰眠をむさぼっていたカズは、母親がとりついでくれたあすかからの電話に、ねぼけた声でうなずいた。
ねぼけたまま身支度を続けて、カズははたと気づいた。

今日は、クリスマスイブだ。

そして、クリスマスに彼女のあすかが、カズに会いに来る。

ひどいねぐせを水で整え、おざなりな歯磨き。フレームが曲がっためがね。
つぎはぎだらけの身支度であすかを出迎えても、あすかは普段通りに、あっさりと笑ってくれた。

クリスマスに遊ぶ約束は特段とりつけていなかったが、カズはそれらしい贈り物を用意してある。
彼女にすぐにわたせばいいものか、それとも。

そして、そんなことより気にかかること。
あすかの抱えている、妙な量の荷物だ。

「お、大荷物だな、あすか……」
「そうなのー。そんなことより、カズくん元気だった?ケガしてない?」

ふすまをあけてあらわれる、古く狭い和室がカズの部屋だ。普段どおり、カズは自室にあすかを案内する。

「してねーよ、んなことよりよ、寒かっただろ?」
「大丈夫だよ」
「何よそれ、オレが持つかよ」
「もう着いちゃったし平気。あっ、何これ、かわいい包装……」

勉強机など、最後にまともに稼働したのは中学一年生のころであろうか。中学入学当初は、カズの成績はけして悪くなかったのだ。英語など85点をとったことがある。あれから、この机にはほこりがつもりっぱなしだ。雑然とした部屋。洋服や特攻服はいい加減に衣装ケースのなかにつっこんだ。ベッドの下に適当につっこんであるセクシーなすがたの女性が乱舞した雑誌はミツオに借りたものだ。それらをあすかから隠しつくし、家具を置いてしまえば、そういえば、この六畳の和室には、モノをまともにおける場所などない。

畢竟、自由であったのは勉強机の上のみ。

あすかに贈る算段であったささやかなプレゼントは、あすかにあっさりと見つかってしまった。

「げっ、もー見つかっちまった……これさ、あすかによ クリスマス……の……」
「えーっ!ありがとう!」
もう高校生だからって、うちの親プレゼントくれないんだよー。

大きな荷物を畳の上にどさどさとおいたあすかが、カズのほこりっぽい勉強机へかけよる。いいの?とたずねながら、かわいらしい包装のそれをすでにもちあげているあすかに、カズがへらりと笑顔をおくってベッドにすわった。

「友達にももらってないし、カズくんだけかも、ありがとう!」

ささやかな包み紙。
ぺたんとすわりこむこともわすれたあすかが、いそいそと包み紙をほどいてゆく。
そのなかからでてくるのは、短い靴下、ルームソックス、そして、ふとももまでのびるニーソックス。商店街の靴下専門店で、セットにして売られていたものだ。値段も手ごろであった。冬らしい模様は、あすかにきっと似合うであろう。がらにもなくそんなことを想いながら、カズは適当な包装も頼んだ。

「かわいい!わたし、こういうデザインすきなの。雪国っぽいの」
「そーゆーの、なんつったかよ……ノ……ノル……」
「これ、今日履こうかな?」
「今日?今タイツ履いてんべ?」
「それがねー」

あたたかそうな靴下を机の上にそっと置いたあすかは、あしもとに置いたトートバッグのもとへしゃがみこむ。
そして、あすかが、トートバッグのなかからごそごそととりだしたもの。
それは、赤い帽子に、赤いコスチューム。真っ赤な衣装をふちどるふわふわの白。
どこから見たって、この日にある仕事をまかされる、外国人の老人が纏うそれであろう。

「……なんだそいつ……!?サンタごっこでもすんの……?」
「このかっこでね、こどもにねー、プレゼントくばりにいくの」
子供会の行事!

女物のサンタ服。
それをぴらっと見せびらかしてみたあすかが、呆れた声でつぶやいた。

「幼稚園がやってたんだけどねー、町内会がやることになったの」

そして、そのそばに置かれている白い袋のなかには、きっと、プレゼントが詰まっていることであろう。

合点がいったカズが、ベッドからたちあがる。

そして、あきれたようにあすかのそばにしゃがみこみ、あすかがほどいた白い袋のなかをのぞきこむ。白い袋のなかには、赤や青、緑色の包装紙で丁寧に包み上げられた小さな箱が、山ほどつめこまれている。

「まーた押しつけられたんか」
「押しつけられたのはお母さん。わたしは、そのしりぬぐい」

カズの狭い部屋を圧迫している姿見。
それでも、特攻服や、改造制服姿、そして、切れ長の眼のうえにちょろりとたらした前髪すべてをチェックするには、この姿見は書かせない。
あすかは、姿見にむかって、帽子をかぶってみせた。

「お母さん、お父さんの仕事の手伝いが忙しいからあんたが行ってっていうの」
「親子そろってブキヨーだな…」
「なんかゆった?カズくん」
「い、いや、なんも……」

ごくりと生唾をのみこむカズをよそに、あすかはトートバッグの奥にさらに手をつっこんでみせる。
あすかがバッグの奥底から引っ張り出したのは、男物の衣装だ。
きょとんと見つめるカズに、あすかがさしだす。

「はい、カズくんのぶん」
「は?」
「わたし自転車できたの。カズくんも、ついてきて」
「お、おれも?」
「町内会からバイト代もらってるから、カズくんにもわたすよ」
「いらねーよカネなんか……しょーがねーな……」

立ち上がったあすかは、細い腰に、女物の衣装のひとつであるスカートをあててみせる。

「み、みじけースカートだなおい……んなカッコのあすかひとりだださせんわけにぁいかねーよ」
「きゅんきゅんするね、そのせりふ」

その口調は、まるでカズの好きなポテトチップスのようにさらっと舌の上を消えていく塩味だ。サンタコスチュームのスカートを先に履いたあすかのやせた腰から、ハーフパンツがすとんと落ちる。そして、タートルネックの上からサンタコスチュームの上着をはおった。
タイツをくるくるとぬぎすてて、かわりに、カズのおくったノルディック模様のニーソックスが、部活動で鍛えられたあすかの脚を、きれいに包みあげる。
その靴下は、あすかに実によく似合っている。

「このソックス、かわいいしあったかいよ。ありがとうカズくん」
「いめくらみてー……」
「いめくらってなに?あのね、着ぐるみはね、泣く子が多いんだって。だからこういう衣装がいいらしいよ」

カズも、ふざけたコスチュームを身につけてみる。引き締まった体型のカズにはどう思案したところで、ぶかぶかだ。これ一枚を纏うわけにはいかない。そして、衣服の上から纏ってみても、それはあまりある衣装であった。そこそこ恵まれた身長のカズには、丈が足りない。寒空に薄い服で彷徨うことは、特攻服でなれているが、安っぽい素材のうえ、防虫剤のかおりがひどいこの衣装は、衣服の上からでも特別防寒になることはないだろう。目の前に起きたことをひとまず楽しんで見せる性格のカズは、うきうきとした調子で、あすかとおそろいのサンタ帽をかぶってみせた。

「どーよ、いけてんべ」
「カズくんかっこいい!サンタっぽい!」
「サンタってよー、じーさんだぜ?」
「わたし、これでいい?」
「あー、かわいいかわいい……」

三角の帽子をかぶって完成したあすかのサンタクロース姿は、なかなか、どうして、かわいい。オレの彼女のあすか。贔屓目を差し引いてもかわいらしい。むろん一人で外に出すわけにはいかない。サンタの格好をしたボディガードが必要だ。

お茶とお菓子を運んできた母親が、あすかと息子のふざけた姿に目を白黒させた。あすかが理路整然と説明をきかせてみせると、母親の狼狽は一転、落ち着いた。真夜中にフラフラ暴走りにゆくか、日中だらだらと過ごすか、そのどちらかである冬休みを過ごすカズを、いくらでも使ってやってくれと、気前よく送り出された。

「FZRがトナカイかよ」
ま、わるくねえな。

「トナカイはこんなに吠えないよね」

白い荷物をかついだあすかが、カズの単車のリアシートに、ちょこんと乗った。
プレゼントを詰め込んだ白い袋をかつぎあてて、かわいらしいサンタの格好で。

「ありがとカズくん」
「脚でてんなあ……ま、デージョブか」

音も装飾も、カズの自信の逸品だ。相棒である単車に、ひけめも卑下もない。
これは、カズの堂々たる親友だ。
しかし、何の罪もないちいさな子供を驚かせ、おびえさせて悦に浸る趣味は、カズにはないのだ。
あすかを荷台にのせて自転車を運転するほうが正しい選択であっただるか。
そして、カズのそんな心配は稀有であった。

どの家もこの家も、眉をひそめる親に反して、こどもはバイクに興奮する。とくに男児は大喜びで、カズと、カズの愛機になつく。

「でもよー、よかったんかよ、近所にオレんことバレちまうべ」
「そうだよ。カズくんのこと、自慢してまわってんの。この優しい人が、わたしの彼氏ですって」
カズくん、こどもに好かれるタチだね!

あすかの算段どおり、町内会からうけもった仕事はカズのおかげであっさりこなせてまわれた。自分も昔はそうであったと武勇伝を聞かせる男親。あすかの前では、露骨に迷惑がるわけにもゆかぬカズが、へらへらと笑みをうかべて話をあわせる。

ガロロロと吠える、排気音。カズの親友のおかげで、あっさりと仕事は終わった。

「お疲れさま、カズくん」
「疲れてんのあすかだろー、愛想良く挨拶してまわってよ」
「カズくんだよ、ね、あったかいののも」

信号待ち。しぼんでしまった白い袋を相変わらずサンタクロースのようにさげたあすかが、カズの肩をとんとんと叩いた。
このリアシートに、あすか以外にしょっちゅう乗り込む人物。それはジュンジだ。ジュンジとあすか、どちらがマイペースだろうか。あすかの願いのまま、カズは単車を自動販売機のそばにとめる。

「おごるよ」
「おごるっつの」

カズが、あたたかい紅茶をあすかにわたす。
紅茶を受け取ってカズにぴったりとくっついたあすかが、白い袋のなかをごそごそとさぐっている。

「あっ、最後のひとつ、残ってた」
「まーだあんのかよ、しょーがねー、いっちまうべ」
「カズくんのだよ」

はい。

あすかが、ぺしゃんこになってしまった白い袋からとりだした、小さな箱。
雪の模様の包装紙に、ささやかなクリスマスシール。

スクエアなめがねをずらしたカズが、呆けた顔であすかの手元をみつめている。

「……」

ずれためがね。あすかプレゼントを交互にながめるカズ。

あすかが、きょとんと止まってしまったカズのことを、うきうきと促す。

「あけてみて」

コーヒーの缶をことりと地面においたカズが、無言で包装紙をむしりはじめた。性急な手つきで、丁寧につつまれているそれをびりびりとむしりとれば、紙くずが雪のように、あぶらくさいコンクリートにはらりと落ちた。

「……」

ちいさなハコのなか。
そこには、緑色のサテン生地につつまれている黒いケース。

カズが、あすかに、おそるおそるたずねる。

「……めがね?」

少しよごれた指先が、バネがよくきいたケースをぱちんとはじく。
ケースがいきおいよくひらくと、ぴかぴかのめがねがあらわれた。

「そう、カズくんのとそっくりでしょ。見つけて買ったんだよ。度数も、カズくんにきいた視力のやつでつくったからー……あってると思うんだけど」
「高ぇべ、めがね……」
「そんなに高くないめがねなんだけどね」
「そーかよ……ありがとな、あすか……」

カズのすっととおった鼻筋にひっかかっているめがね。ひんまがってしまったスクエアなめがねを箱の中にほうったかわりに、ケースにおさめられている真新しいめがね。ツルに慎重に指をひっかけてとりあげたカズは、おそるおそる装着してみる。
度数は、今とほぼおなじだ。違和感もない。めがねを外して一瞬だけ曖昧になった視界が、ふたたびクリアになる。

わくわくとした気色を滲ませてカズをみあげるあすかの、愛らしい顔が、はっきりと確かめられる。

「あー、よく見えんべ。ちっと丈夫じゃねーか?こっちすてちまうかよ」
「すてちゃだめだよ、カズくんが今迄使ってたのも大事にしてよ」
「そっかぁ、ぼろぼろんなってんよ?」
「ときどき、わたしがあげたのつかってくれたらいいからさ!」

あすかが、スカートからのぞく痩せた脚を指さしてみせる。

「わたしも靴下つかう!」

あすかの引き締まった脚をつつむ、ニーソックス。
素直な声がかわいらしくて、ぴかぴかのめがねをかけたカズが、あすかの頭を何度も撫でる。

心地よい疲れにみたされたふたりが、さながら落ち着いた老夫婦のようにためいきをついたとき。
夕暮れの町に、ベルが響く。

「あれ教会だったの?」
「結婚式場じゃねーんかよ」
「どっちでもいいよね」
「さみー……オレんちでメシくうか?たぶんおふくろ……」
「カズくんがわたしんちおいでよ。弟も帰省してるし。今川さんいつ来るのってしょっちゅう言ってる」
「あすかのお母さん、怒んじゃねーか?こんなんとつきあってるっつってよ」
「お母さんがわたしにおしつけたこと、ぜんぶカズくんのおかげで解決できたんだよー」
お父さんは物わかりいいから大丈夫!

真っ白な袋をくるくるとまるめ、ベルが鳴る建物を反射的にみつめたあすかが、宣言をつづける。

「わたしん家はカズくんに借りがあるんだよ。お母さんにも紹介する」
「サンタでメシ食うんか……」
「あ、あと、わすれてた。これ」

あすかが、まるめた袋の入り口に、もう一度手をつっこみ、最奥からとりだしたもの。

それは、白いちりめん布につつまれた、交通安全のお守りだった。

「忘れてたって、あすかチャン……お守りだよ?」
「これがなくても、カズくんは大丈夫だと思うの」

やたら長いヒモ。長い指をヒモにひっかけて、刺繍されている地元の神社名を読み上げているカズ。そんなカズを見上げたあすかが、真面目な声で伝える。

「カズくんは、周りの人のこと考えれるから、自分のこと、粗末にしたりしない」
「ああ、オマエもだけどよー……守るモンがあるからな。こんなモンまで、わりぃなああすかー」
「それがなくても、マブダチがカズくんのこと守ってくれてるからね」

FZRを二度撫でたあすかが、マイペースに呟く。
あすかの手から白い袋をとりあげたカズが、サンタクロースのズボンのポケットに袋を一気に詰め込んだ。

「かーえろ」
「ハラへっちまった……」
「ありがとねカズくん、すごく助かったよ」
「かまわねーよ?またなんかあったらいえよ」

サンタの帽子ををおさえながら片腕だけで、カズの鍛えられた腰に、あすかはぎゅっとしがみつく。カズの帽子ををおもいきりかぶせてみると、ちょ、みえねーべと素直にまごつくカズが愉快だ。カズの頬にいたずらにキスをおくろうとしたとき、あすかのくちびるが、カズに軽くかすめとられたのであった。

- ナノ -