夏的恋愛二十題
8.アイスを舐める姿に×××

「おはよう、アッちゃん」

あらいざらしのすっぴんのあすかが、寝起きの秋生をふりむいて、へらりとわらった。

すこしはれぼったいまぶたと、つるりとした肌。ざっくりとまとめられた、パサパサの茶髪。

シャワーの湯にぬれてぺたりとはりついた前髪をかきあげて、秋生は、あまりにもあたりまえにそこにいるあすかから照れくさそうに目をそらしたあと、「オウ」とだけ挨拶をかえした。

居間には、質のいいあらでとられた出汁のかおりがただよっている。
適温、適切な風量で、心地よくきいた冷房。
カーテンが気持ちよくあけられて、居間は、そこぬけに白い朝の光で満たされている。
居間のテレビからは、オリンピック中継。

いつもの夏の朝でありながら、いつもと違う、真嶋家の夏の朝。


台所にたっているあすかは、メシを食ったのかどうか。
客人にこんなことをさせるのは忍びないが、どう謝ればいいか、秋生はわからない。
自分の家でありながら、妙なすわりのわるさを感じた秋生は、冷蔵庫をあけて牛乳をとりだし、ちゃぶ台の上に置いた。

グラスもってくからねと笑ったあすかは、昨日の夜と同じ、ラフなTシャツ姿だ。しっかり鍛えられた肩がむき出しになったTシャツのなまえは、何というのだか秋生にはわからない。そこから、黒いタンクトップものぞいている。
やわらかなショートパンツから、鍛えられた足が惜しみなくさらされている。

秋生の家のバスルームでシャワーをあびて、化粧水をパシャパシャとはたいだだけのあすかの肌は、気持ちよく日に焼けて、とにかくさっぱりとしている。

こんなに足を見せることが好きな女だったか。コットンのショートパンツから、引き締まった足がすんなりとのびている様。年頃の秋生はどうしたってちらちらと目がいく。

秋生の年齢相応の逡巡など、あすかにとってはどうでもいいことにすぎない。
秋生の内心などつゆしらず、おたまを手にしたまま秋生を物色したあすかが、すこしねむたそうな声で秋生を品評する。

「アッちゃん、やっぱ髪おろしてんとかわいいね」
「……!?かっ・・・・・・!?わいい、だぁ……?」
「ああ、男子にかわいいとかいっちゃだめか、ごめんねー」

寝ぼけ声。
ざっくりとまとめられた濡れ髪をひるがえして、寝起きの秋生に、あすかはへらりとわらった。

秋生の髪はぺたりとぬれて、いつもの、美学あふれる髪型ではない。ぐしゃぐしゃと無骨な手でぬぐったあと、あすかがさしだしたグラスをひったくった。

居間は、昨夜の焼き肉のにおいが、僅かにのこっている。

「アッちゃん、甚平にあうよね。昨日も言ったけどさ」

夏場の秋生は、つかいふるしたジャージと甚平を、交互に部屋着として使っている。今のローテーションでは、ジャージは洗濯されている。ただでさえ、女全般の気まぐれな言葉についてゆけぬ秋生は、寝起きの鈍い頭の回転により、テンポよく返事することはできない。

グラスや箸をてにしたまま台所と居間を往復するあすかのそばをぬって、あすかに配膳されてしまうまえに、秋生は自分で器に朝食をよそった。あすかがつくってくれたメシ。こんなに新鮮でこんなに立派な朝食を食べるなんて、いつぶりか。普段は、適当に焼いたトーストや、適当にたいだごはんで、適当な朝食をすませているにすぎないのだから。

よく冷えた麦茶。
味噌汁は、あすかの家の味。去年は、あすかの母親が支度をしてくれた記憶がある。
ごはんと味噌汁と鮭の切り身に、卵焼きに海苔、そして漬物にほうれん草のおひたし。海苔と漬物と鮭はあすかが持参したのだろう。秋生は、器によそった朝食を並べたあと、心からの賞賛を、ぼそりと口にした。

「……うまそーだな……」
「ほんと?ありがとー」

さきほどグリルをたしかめたところ、魚は二匹焼かれているようだけれど。兄と自分の分だけであろうか。

「あすかはいいんかよ」
「ん?もう食べたよ」

居間のちゃぶ台に座った秋生が、牛乳を一杯のみほしたあと、そのグラスに麦茶をそそぐ。箸をつけてみると、実にぬくもりある、品のいい朝食の味わいだ。
すでに朝食と片づけを終えたあすかが、冷凍庫を遠慮なく開けた。
夏生と秋生にここからここまでは食ってかまわないと許可をもらったアイス群の中から、バニラアイスをえらぶ。ナイロンの包装をはぎとり、アイスクリームをなめながら、あすかは秋生の斜め前にすわった。

「アッちゃん宿題やった?」
「うるせーよ……。おらニュースやってんぞ。」

テレビは、オリンピックの競泳種目。日本人選手は、欧米選手のあらそいに正々堂々と割って入り、善戦をくりひろげている。

「200ブレで金か……、すごいな」
うちのスクールの記録会の昔の記録見るとね、全部この人の名前なんだよ。

代表選手のなかには、例のあいつをはじめとして、見知った顔も多いらしい。キレイに巻かれた卵焼きをほうりこみながら、あすかの解説に秋生は耳をかたむける。
そうしていると、居間の扉が開いた。今日は少し遅い目覚めのようだ。

「ナッちゃんおはよ!」

シャワーをあびてお湯のかおりを漂わせる夏生は、ランニングシャツをきて、タオルを首にかけている。

夏生が軽く手をあげた。食事の支度をしようとするあすかを制止して、夏生も、残っている朝食を適当に器に盛り付ける。

居間で、朝食やアイスを食べながら。テレビにむかってわいわい会話を続けているふたりのそばに、夏生も陣取った。

ニュースには、背泳ぎの代表選手の予選レースを放映している。

「オマエらのダチ、こいつかよ」
「ダチじゃねーけどよ……」
「そうだよ!」

ずいぶん低い順位、さえないタイム。準決勝にぎりぎりコマをすすめた彼の、テレビの向こう側の競泳水着姿は、あの日秋生と会話をかわしたときの、はじけるような自信と気持ちのいい謙虚さはなりをひそめ、女のように甘ったるい目元にはひどく暗い影がさしている。

「あいつ、デージョブかよ……?」
「無理かも」

あすかが、思いのほかあっさりと即答した。
ダチではなく知人レベル。顔見知りになったものの、会話をかわしたのはあのときだけ。それでも、お互いを見知っている人物がこうして世界レベルで戦う姿には、スポーツ観戦に関心のない秋生すら、多少の思い入れは生まれてしまう。ましてや、幼いころからの友人であるあすかは、いたく感情移入しているのではないだろうか。あすかのさばさばした言葉を意外に思った秋生が、お茶を一口あおった。

「断言すんなぁ……」
「このままだとね。修正してくるとおもうよ」
メド継と200もあるけどね。

二人の会話をよそにまたたくまに朝食をたいらげた夏生が、ごっそさんと手をあわせた。うまかったぞ、ありがとな。あすかにそう伝えて、茶色い頭をぽんぽんとなでたあと、流しまで運んだ食器を一気に洗いあげている。

「明日からおまえも朝ゆっくりしてろよ。それとよ、あとで買いもん付き合え」

あすかにそう言い残した夏生が、居間からでていく。

チャンネルをかえると、アーチェリーや陸上の投擲競技。
多少なりとも興味はある格闘系の種目は終わってしまったようだ。
なんせ、モータースポーツがないのだから、まるで関心はもてない。

「おい、とけてんぞ」
「あ、ほんとだ」

テレビ画面に見入ったまま考え込んでいたあすかのアイスクリームが、いつしかとろりととけている。
あすかのほっそりとした指にからみつく、白い液体。
手首まで冒してしまったそれを、あすかが、ぺろりとなめた。

「おい、ティッシュ使え」
「ありがとー、アッちゃんに世話やかれちゃった」
「んだよ、アイツが心配か?」
「んなことないよ。まあ気がかりだけどね」

アキオがよこしたボックスティッシュから一枚引き出して、白くべたついた砂糖の塊をぬぐっていく。

「これおいしい。もらっちゃっていいの」
「くっちまってからきくことかー?アニキがあきちまったみてーでよ」

バニラアイスを、あすかが、下からおもいきりなめあげる。

「下品な食いかたすんじゃねぇよ」
「朝からアッちゃんに世話やかれてばっかだよ」

秋生の忠告を素直にうけいれて、おとなしくアイスをかじる。
アイスをたべつくしたあすかが、棒をごみばこにすてた。

「朝からあついよね、最低気温27度!」
「あついあついいってっとよ、よけーあつくなんぞ」
「昼はさ、あれ見ようね。あなたの知らない世界」
「あ、ああ?お、おれぁ仕事があんだよ」
「録画するからね」
「おまえな・・・・・・」

結局秋生は、夏生の倍の時間をかけて朝食をとった。秋生は、食べるのが遅いのだ。爆音でどこかへ食べに行っても、いつも秋生はだれよりも遅くまで食事をとっている。食器をつみあげて、夏生と同じ間合い、同じ声、同じ口調で「ごっそさん」とつげると、あすかがへらりと笑った。

そして秋生も慣れた調子で片づけを終えたあと、冷凍庫をあさりはじめた。

「あっちゃんもたべんの?」

あすかがアイスを舐めるすがたをみていると、己も食べたくなってしまったなど、とてもではないが伝えられない。

「わたし見て食べたくなったの?」

秋生は無視をしたあと、包装をはぎとった。

「アッちゃん食べ方きれいだね」
「おまえとマー坊がワイルドすぎんだよ」
「またそのなまえだ。おともだち、遊びにきたりする?今まで一回も会ったことないよ」
「さぁな……アイツは気まぐれに来っからよ……」

あすかのそばに座った秋生のかじりかけのアイスに、あすかがばくりとかぶりついた。
半分ほど消えたバニラアイス。あすかが食べたそれに口をつけることにためらっていると、なに顔赤くしてるの?とあすかが至極不可思議そうにつぶやいたので、秋生はやけくそのようにかじり続ける。

「アッちゃん、今日は予定あるの?」
「盆休みあんだろ、たまっちまわねーよーによ、仕事だな」
「アッちゃん、仕事かあ……。お母さんももうすぐ来ると思うし、わたし掃除したあと走ってくるよ」
「ああ?デージョブかよ、車も多いぞ」
「じゃあ一緒にいこーよ、ちょっとだけでいいからさ」
「単車でひっぱってやんよ」
「はぁー?原付で犬散歩させんじゃないんだからさー!」
せめて自転車のってよ!

秋生が食べ終えたアイスの棒をあすかが奪い取ったあと、あすかがごみばこに投げ捨てた。

「オレがチャリンコだぁ?」
「じゃあ、バイクで歩調あわせてはしってよ」
「掃除なんざかまわねーよ、ついてってやんからよ、ちっとまってろ」
「ありがと!」

客間にまだ仕舞い込んでいなかったスポーツバッグのなかからランニングウェアをとりだしたあすかがその場でTシャツをぬぎすてようとするので、秋生が真剣な声音でとめた。
ぴしゃりと扉をしめて、自室に戻った秋生にとりのこされたあすかが瞬く間にトレーニング用のウェアに着替える。ラン用のスニーカーもとりだして、スパッツにつつまれた足をスニーカーにつっこんでいると、ドハデな私服に着替えた秋生も降りてきた。

洗濯してもオイル汚れがおちないツナギに着替えた夏生が、オマエら、若ぇな……とぼやく。

「もうすぐでお母さんくるから。昼前には帰ってくるからね!」

スポーツタオルを片手に、あすかと秋生が、夏の朝の炎天下にとびだした。

「夏の朝っていいよね」
「もう朝っつー時間じゃねーぞ」

あすかのいいかげんな感慨へごく冷静に意見を述べた秋生が、単車の調子を慎重に確認している。

「マジでバイクでいくの?まぁいいや、本気で走ってね!」
「横走ってやんからよ?途中で先いくぞ」
「本気でやってね!おっかけんからね」
「まっ、走ってりゃ気も晴れんだろ?」
「だから心配じゃないってば。アッちゃんが心配してあげてよ」

一発でかかったエンジン。上下迷彩のハデな服につつまれて、秋生がしれっと走り始める。

秋生の言う通りであろう。結局自分にできることは、地球の反対側を思いながら、今そばにいてくれる人を労わって過ごすことだけ。この短い、極上の夏。あすかも、あすからしく過ごさなければ。

まだべたつきがのこっている手首をぺろりとなめたあと、あすかは秋生をおいかけて走り始めた。

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