夏的恋愛二十題
7.ホラー映画見に行こう

真嶋商会の短い夏季休業期間。
工場のシャッターは、しずかに降りつづけている。さいわい、無理にシャッターをあけさせるタイプのお客が来訪してくることもなく、真嶋商会の工場はおだやかに眠り続けている。

兄弟も、日頃より遅い目覚めだ。

兄弟とともにどれほど夜更かしをしても、あすかはきっちりと早朝に目覚める。朝食をとり、習慣となっているランニングから帰ってきて、もういちど軽くシャワーを浴びる。

髪の毛をざっと乾かし、せっけんのかおりをただよわせたあすかが、気にかかっていたことを母親にたずねた。居間に戻ってみると、夏生は、あすかの父親と話しているようだが、秋生のすがたが見当たらないのだ。

「アッちゃんは?」
「まだ寝てんだよ、起こしてやってくれっかよ」

滞在中、夏生がたばこを味わうすがたを初めて見た気がする。父親のたばこを楽しんでいる夏生にうながされて、あすかは、母親がきれいに掃除をした階段を上る。古い木造の階段はぎしぎしと音をたてる。あすかが年に幾度か楽しむことのできる、真嶋家の音だ。

二階にあがってすぐ左側の部屋をあすかが使っている。そして、その向かいの部屋で、今も秋生が眠っているはずだ。

秋生の部屋のドアをノックしてみる。

「アッちゃん、おはよ」

あすかにできる最大の努力で、声の音量をしずめて。秋生の部屋から、反応はない。

あすかは、ドアノブに手をかけて、しずかに引いてみた。

「アッちゃん」
「・・・・・・」

勉強イスにかかっているのは、制服。そして、脱ぎ捨てた洋服やタオルや雑誌に、工具に、たばこに灰皿。雑然としていて、ずいぶんとたばこくさい、六畳の部屋。
部屋の奥のベッドの上で、Tシャツとパンツで、タオルケットを体にひっかけたまま、かるいいびきをかきながら。

ひどいねぐせのまま、秋生は、ずいぶん深く眠り続けている。

「アッちゃん、そろそろ起きよう」

ひとまず、部屋に入ってすぐ備わっている、出窓のカーテンをあけてみる。とたん、部屋中が、真夏のまばゆい朝の光で満たされた。

「アッちゃんー、昨日遅くまでテレビ見てて疲れた?でももーおきたほうがいいよ」
バイクの専門書がいっぱいある・・・・・・。これ資格の本?


夢のなかであすかが話しているのか。
二階の秋生の部屋はは日当たりが抜群によく、まぶしすぎるくらいであるから、カーテンはきっちりとざして寝る。そのはずなのに、今日はまぶしい。
秋生がうっすらと目をあけたとき。

ベッドがぎしりとしずんだ。

「気持ちいい」
日当たりいいね!

秋生のベッドに遠慮なくのっかったあすかが、ベッド越しの窓のカーテンも、おもいきりあけた。

「アッちゃん、おはよう」

秋生のからだをまたいだあすかが、秋生に、朝のあいさつをかわした。

「・・・・・・!?」
「アッちゃんおはよ」

秋生が、とっさにあすかの腕をつかむ。

「起きれるんじゃん、起きよう」

その手の力はつよすぎたか。すぐに、あすかを解放する。
とっさに走った後悔とうらはらに、あすかは、さっぱりした笑顔でへらりとわらった。

「アッちゃん、やっぱ髪おろしてたらかわいい」

いまだうまくまわらない頭を懸命に回転させてあすかへの悪態をつこうとすれども、言葉はのどもとでひっかかって、もとへもどってしまう。

そのうちに、あすかが秋生からはなれて、ベッドにすわった。
乱れた髪の毛をかきあげながら、秋生が体を起こす。枕元の目覚まし時計をとりあげてつぶやいた。

「……10時かよ……」
「そう!そろそろおきよーよ。てか、ここからの景色、きれいだなあ、横浜っていいね」
「……おまえの部屋もよー、すぐそこが江ノ島だろ……」
「そうだねー、覚えててくれたんだ、今度、アッちゃんが泊まりにきてよ」
「バッ、おまえ」
「きてよ、泊まりに」

この暑いのにすずしげなあすかに、いちいちかまっていられない。

タオルケットをひるがえすと、あすかはひょいと立ち上がり、マイペースに部屋の外に出てしまった。

あすかの背中を必然追いかけるような様で、秋生は、洗面所に向かうために階段をおりてゆく。家中が掃除されている。普段はほこりがまいあがっている階段も、とてもきれいだ。客人に何をさせているのかと思うが、男二人と、時折おとずれてくれる祖母だけのくらしでは、掃除がままならないところもある。

まだ汗くさい部屋着のまま、朝の身支度をすませた秋生が、あすかの母親が用意してくれた朝食を、手をあわせていただく。

「アッちゃん」
「何だよ」
「暇だね」
「昨日あんだけ起きてただろ?昼寝でもしろよ」
「アッちゃんは眠くないの?」
「・・・・・・こんなもんだよ、いつもよ。宿題でもやれよ」
「終わったよ。アッちゃんもやんなよ」
「お、おれだってよ、おわっちまったぜ!?」
「わー!偉いね!」
「練習は盆やすみかよ」
「そうだよ、休むのも練習のうちっていわれた」

勝手にランニングにでかけて勝手に帰ってくる。物騒な町ではないけれど、念のため、己か夏生を供につけろと忠告をしたのだが、あすかは結局言うことをきかず、マイペースに走ってマイペースに帰ってくる。

あすかが話しかけるものだから、秋生の朝食もすすみやしない。居間にいた夏生が、何本目かのたばこに火をつけながら、らちのあかない会話を続ける子供たちに忠告をした。

「おまえらよ、外であそんでこいよ」
「えーーー」
「ああ??」

第一声で不満げな声をあげたあすかだが、一転目をかがやかせる。

「外だって!でも、たぶん混んでるよね?」
「中華街もめちゃくちゃだろーな・・・・・・」

世間も休みをとっている真夏のこの時期は、横浜のめぼしい観光地はどこもかしこも人でいっぱいであろう。

「いろいろあんだろ、映画とかよ」

選択肢をうかべそこねているこどもたちに、夏生が助け船をだした。

「映画!」
「えーが・・・・・・」
「いいね、映画いこうか?」
「お、おう」
「着替えてくるね!」

いったん決めてしまえば、あすかは行動がはやい。さんざん秋生の朝食をじゃましたあと、ばたばたと階段をのぼり、与えられた部屋に消えた。
いいアシストをだしてやっただろ感謝しろといわんばかりに、ずいぶんじっくりとたばこを味わい続ける兄のにやついた顔に、秋生はひとつ舌打ちをのこして。

いつもなら、習慣どおり秋生が片づけをするけれど。
今日はすべてを兄におしつけ、着替えの為に、秋生も階段をのぼった。



しっかりとした体格をラフに包むTシャツに着替えたあすかは、秋生に苦言を呈され、デニムのショートパンツから、ジーンズにはきかえた。

それよりも、いつもと違う雰囲気を見せているのは、メイクだ。
つるりとした日焼け肌に、あっさりとした顔のあすか。
きれいにパウダーをはたき、日焼け肌に映えるオレンジコーラルのチークがかるくはたかれて。目元にすっと引かれたアイラインが、さっぱりとした目尻をクールにひきたてている。華やかなグリーンのアイシャドウもずいぶんなじんでいて。素のままだと短いまつげも、マスカラをひとぬりすれば長く見える。いつもかざらないあすかが、軽くメイクをほどこしただけで妙に大人っぽく見えるのだ。

「お、おまえ、雰囲気変わりやがんな……」
「ちょっとやっただけなんだよ」
「ふーん、ちったーマシになんじゃねーかよ……」
「まっ、どーせ落としたら、つまんねー顔になるだけだけどね!」

せいいっぱいほめたつもりの秋生の言葉を簡単に一蹴したあすかは、いってきます!そう叫んで玄関から秋生について出る。

工場側にまわりこんだあと、秋生は、愛機の調子を確認しはじめた。

「えっ、バイク・・・・・・?」
「んだよ」
「のせてもらってもいーの?」

愛機のまえにしゃがみこんでいる秋生は、あすかに背をむけたままうなずいた。

「誰が乗んじゃねーっつったよ」
「だってさ、こだわりがあるのかって、思うでしょ」
「いいからよ、のれよ」
「ありがとう!」

深夜に、あすかとともにコンビニに買い物に出向いたときに気づいたことであるが、あすかには、どうも、そこらの男女に比べると随分しっかりと鍛えられた体格、運動神経のよさ、独特ののびのびとしたオーラにより、ちんぴらや中途半端な不良をよせつけぬ、存在感の強度というものがあるようだ。きっと、自分ひとりついていれば、これに乗せていたとしても、何かつまらぬもめごとに、あすかを巻き込むことはないだろう。

「おおげさにゆってんけどよーー、おめー、兄貴のアレに乗ったことあんだろーが」
「え、あったっけ?」
「ったくよ、あれに乗ったオンナこそ、あすかくれーのもんだべ」
「ちがうよ、アッちゃん、のせてもらったのは、なんだっけ、代替機みたいなバイクだよ。あそこのカバーのかかったのでしょ、乗るわけないじゃん」 
「・・・・・・乗ってなかったか?」
「ないない、さすがのわたしでも、一応分別はあるよ」

秋生が適当にわたしたメットをかぶり、長さを調節しているあすか。あっ!これ、メイクした意味ない!?そんなひとりごとを大声でつぶやきながら、事務机の上のステッカーに目をとめた。

「そんなことより、このシールちょうだい」
「ステッカーっつんだよ。何につかうんだよ」
「自転車にはる。ちょうだい」
「やってもいーけどよ、めだたねーとこにはれ」
「自転車じゃ都合わるい?じゃあ、お父さんの軽トラでいいかな」

そういえば以前、代表レベルの競泳選手はバイクの免許をとることも禁止だとあすかに聞いたが。後ろに乗せてもかまわないものだろうか。

「そーいやよ、おまえ、乗ってもいーんかよ」
「アッちゃんだもん、信じてる」

半帽ではなく、フルフェイスのメットを与えている。もっとも、秋生の自負する運転技術は、後ろに乗せたオンナ一人くらい、確かに守れるに決まっているが。

「つかよ、映画館も混んでんべな?」
「混んでるよね、あれ、なんであたしたち映画いってんの?」
「・・・・・・」
「そっか、ナッちゃんが行けっつったからか。あー、なんかアッちゃんと観られたら、なんでもいいや。なんかちっちゃいとこない?」

そういえば。
以前、意外に映画好き、それもなかなかしぶい映画を好む晶が、話していた映画館がある。

「んじゃ、いくかよ」
「あ、どこかいいとこあるの?じゃアッちゃんにまかせよ」

要領を得たようすで、リアシートにまたがったあすかが、すでにまたがっていた秋生に遠慮なくしがみつく。いちいち指示をあたえなくとも、運動神経にめぐまれた者のカンか、あすかは秋生の後ろで、きちんと適切な体勢をとった。

知っている者にすれ違うこともなく、お盆の混み合った道路を、秋生は器用にすれ違ってゆく。おとなしく腰をまわし、頼んでもいないのに身体を適切に傾けるあすかは、秋生のタンデムにおいて、理想的な同乗者となっている。
めざす映画館は、秋生の自宅からさほど時間はかからない。鎌倉街道をめざし、イセザキモールをつっきって、黄金町の手前当たりにある、名画座と呼ばれる映画館だ。

自転車や原付にまぎれて秋生が単車をすべりこませて、サイドスタンドをおろすと、あすかが身軽に飛び降りた。メットをぬいで、古びた映画館をひとつみまわしてみる。レトロな雰囲気が、懐かしい味わいをかもしだしている。
映画館の前のポスターをみくらべて、あすかが指さした。

「どっちにする?ていうか、こっち、上映中だね。こっちがもーすぐだから、こっちしかない」
「・・・・・・」
「サイコホラーって、書いてあるね・・・・・・。でも、この女優さんだし意外とフツーなんじゃないの」

目鼻立ちが妙にくどい、フランス人の女優。タイトルをみたかぎりでは、お気楽な恋愛映画に見えるが。ポスターは、格子のような鉄柱をつかみ、思いにふけっているような女のすがた。これなら、幽霊系のホラー映画ではないだろう。秋生はとにかく、オバケさえ出てこなければ大丈夫なのだ。
そういえば、あすかのニガテなものは何なのだろうか。15年一緒にすごしてきて、そんなこと一度も聞いたことがない。

秋生が黙ったまま受付へ向かい、二人分のお金を支払った。財布からお金をとりだして、秋生のポケットにつっこもうとするも、秋生は、何の遠慮もなくあすかの顔を大きな手でつつみとおざける。秋生の手をはらいのけ、怒ったあすかは、お金を押し付けるかわりに大量のポップコーンとコーラを二人分買った。

秋生とあすか以外に、観客が3人しかいない。それなりににぎわっている名画座だと聞いたけれど、今日、この場所にくることを選ぶ客は少なかったようだ。

秋生が、中央列の通路側からひとつ座席をあけて、どさりと腰掛ける。あすかがそのそばに遠慮なく腰掛けた。

「アッちゃんって女子と映画観に来たことあるの?」
「……」
「……?ないの?わたしは男子とふたりだけで映画観るのはじめてだよ」
「……アイツぁよ?」
「あいつ?あの子と観るわけないじゃん……滅多に会わないってば。てか今日決勝だからね、見てあげてね」

妙に小声で、秋生の耳元ににじりよりながら。
あすかは、こそこそと話しかけて、秋生にもたせたポップコーンに手をつっこむ。

そうしていると、灯りが落ちて、映画がはじまった。

案の定、幽霊系のホラーではない。
幽霊さえでなければ、秋生はまったくもって平気だ。
そして秋生にはすぐにオチが読めた。あのポスターに載っていた、くどい顔の女は、この映画のなかで大きな嘘をついている。常に一歩引き、大切な者のために注意を払い続けることを厭わない秋生は、現実でも創作物でも、こんな嘘を見抜くことにはたけている。そのかわり、秋生の大切なものや愛するものをダシに使われた場合、普段は強固な理性が揺らぐことがあるかもしれないけれど。
どれほど殺人がおころうが、どれほど人間のどろついた感情がさらされようが、オバケさえいなければかまわない。
まったくこのみでない顔の、若いフランス人女優のしずかなパニックと他者への執着を、秋生はしずかに見守った。

映画のラスト。錠剤で描かれた、人間の絵。

それが映しだされた瞬間、あすかが、息をのむ声がきこえた。

そのままエンドロールに突入する。昼飯がわりのポップコーン。ドラム缶のようなボックスにみたされたそれをたべつくした秋生が、そばでぐったりとへたりこんでいるあすかに、冷静な声音で話しかけた。

「おもしろかったか?」
「つかれた……」
「ああ、おまえこんなんキツいんかよ」
「ああいう、実は全然反省してない、みたいなオチが、わたし一番きっついなあ……」
「そっかよ、人間簡単にかわんねーぞ、オレぁあんなもんだとおもうけどよ」

アッちゃん!疲れたよー!
そうぼやきながら、秋生にしなだれかかるあすか。あすかの骨太な体をずるずると引きずりながら、おめー筋肉あんな、おもてーぞ……とつぶやく秋生は、うなだれたあすかを引っ張って、暗い映画館から、ぎらぎらと明るい若葉町の町に出た。

駐車場では、ぴかぴかにみがかれた単車が無事にオーナーをまっている。

「バイク、かっこいいなあ。アッちゃんとナッちゃんのしか乗ったことないけど、気持ちよかった」
「うち帰ったらよ、あいてるやつによ、またがってみっか?」
「んー、ホントに乗りたくなっちゃったら困るからな。後ろに乗せてもらうだけにしとくよ」
「でもよ、おめー、単車似合ってんよ?」
「本当?ありがと!」

運動神経にすぐれているからか。
秋生につづいて、ステップに左足をかけてひょいとまたがったあすかの、ジーンズにつつまれた筋肉質の長い足は、おろおろと戸惑うこともなく、単車に遠慮なく馴染んでいる。
秋生にわたされたメットを装着して。
単車のエンジンをかけようとしたとき、あすかが、澄んだ声をあげた。

「ああ、そうか、これオイルだ!」

秋生の背中にしなだれかかったまま、あすかは、腰から手をまわして、秋生の手をとった。

「バイクに乗ってわかった。これくらい近くに寄って、初めてわかった!アッちゃんの手の匂い、オイルだね」
「……おまえ、オンナだろ。オトコにこーいうことすんじゃねーよ」
「いやだ。これからも、こうする……かもしんない」
「かもかよ……」
「てか、わたしがしゃべる男子なんて、身内以外じゃアッちゃんとナッちゃんくらいだし。あいつも、別に滅多にあわないんだよ」
「オ、オレぁよ、身内だろ・・・・・・?あすかバカじゃねーのか」
「バカかもしれない。期末、順位下がってたし」

ノーヘルの秋生の頭に、ヘルメットがぶつからないように。あすかがすこし体を引いても、秋生のしっかりとした背中から感じられる、かすかな汗のにおいと、秋生自身のにおい。香水をつかわないかわりに、秋生は、秋生の大切なものそのもののかおりが漂うのだ。

「映画おもしろかったね!ナッちゃんにおしえてあげよ」
「……おめーさっききっついとかゆってなかったかよ……?」
「もう切り替わったの!さ、帰ろ!」

あすかが、秋生の整えられた頭をぽんぽんぽんと叩く。
ぴたりとくっついてくるあすかの身体は、やわらかさのかけらもない。誇り高い筋肉でできあがったかたさだ。Tシャツからのぞいていた、くっきり浮き出た鎖骨は好みじゃなくはないけれど。

こいつに遠慮なくさわられても、どうにも、不愉快とはほど遠い感情が湧き上がってくるのだ。少し滅入った顔をしたあと、あっさりと元に戻ってしまったあすかが、何かをニガテにしている様は、今日のところは見られなかった。こうしてずっとともにいれば、いつか、そんなあすかの顔も見ることができるだろう。ずうずうしくてなれなれしくて遠慮のないオンナだが、いつだって己のことを嗤ったり粗末に扱ったりすることはない、気持ちのいいイトコ。

はやくはやくとせかすあすかのことばに、わざとらしく肩をおとしてみせて、うらめしそうな顔をつくった秋生。そして、どこか呆れたように破顔したあと、腰に回ったあすかの腕の感触を確かめながら、アクセルをゆっくり開き始めた。

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