夏的恋愛二十題
15.じりじり。ちりちり。いらいら。

客商売は、2月と8月は、客足が衰えるというけれど。

あすかの店は、8月頭をむかえて一週間。
先月に関しては、ずいぶんと暇な一日であったり。
または、あくる日はせわしなく一日が過ぎ去ったり。
実に、まちまちな日々であった。

そして8月に入ると、たしかに客足は鈍くなった。
そして今日もおなじく。どうも、通説通り、8月は、お客の流れが途絶えがちである日のようだ。

あすかは、備品棚のかたすみからハタキをとりあげ、焼酎棚から日焼けしたPOPをはがし、書き換えるものを選別しながら、棚のお酒につもったほこりをていねいにぬぐいさってゆく。
店の外は、大変な暑さだ。8月第一週目らしい真夏の天候。蝉はいやみなほど泣きわめき、耳をすませてみれば水上バイクの音が聞こえて、交尾しながらとぶトンボもいる。

店のなかは、いたって快適にすごせるように冷房を充分きかせて。
お客が少ないものだから、あすかは汗一つかいていない。

そのとき、店の前の駐車場に、ずいぶん聞き慣れたうなり声がひびいた。
ドルッ、ドルッという咆哮がとどろくようなエンジンの音。
猛獣がほえるようなそれ。

自動ドアごしに、そのスレンダーな体がゆったりとバイクからおりてくる姿が見えた。

レジの裏に、使っていたハタキとはがしたPOPをおいたあと、あすかは、うきうきと、恋人をむかえる。

「千冬さん!」

すらりとしなやかな体によってあけられた自動ドア。
店内にきかされている冷房の風により、千冬のうねるウェーブヘアが、ひらりと跳ね上がった。

「・・・・・・」
「なんかひさしぶりだよ?いらっしゃいませ!」

そして、当の千冬は、じっとうつむいたまま。
長い前髪をかきあげればのぞく冷涼であたたかい瞳が、あすかのことをいとおしく刺すことはない。

「千冬さん?」

自動ドアをくぐり、店にはいってすぐ、千冬はその場にじっと立ち尽くしたまま。
機嫌がわるいのか、何かあったのか。

「ち、千冬さん?いらっしゃいませ」

あすかは、つとめて明朗快活な声で、千冬にあいさつをくりかえしてみる。

金髪の隙間から冷涼な瞳が、ようやくのぞいた。

「・・・・・・」

千冬のその瞳に、感情はない。
音もない。
揺れもムラもない

ただ一点を、焦点の定まらぬ一点を、千冬はゆらゆらとみつめている。

「ど、どうしたの?」
「あすか・・・・・・」
「・・・・・・?」
「助けて・・・・・・」

千冬の間近にかけより、千冬をのぞきこむあすか。

その少し痩せた体に、千冬が突然しなだれかかった。

「え、ちょ、千冬さん!」

ギャーという色気のない悲鳴を、あすかは寸前でこらえて。
急に重みが増した千冬の体を、あすかはすんでのところで、しっかりと支えた。
あすかの肩に額をあずけて、半袖のTシャツからのぞく腕を、だらりとさげたまま。
千冬があすかのことをぎゅっと抱きしめることなく、千冬は、あすかに、ただ、だらりと、しなだれかかっているのだ。

「千冬さんどうしたの?しっかりして!」

千冬の体をいったん支えなおしたとき、あすかが、千冬の腕をむしばむ、あるものに気づく。

「こ、これは・・・・・・」

その、本来であれば真っ白であるはずの、しなやかなむき出しの腕。

そこには。

「ひ、日焼けだね・・・・・・」

白い腕には、まるでそこだけきつく照射されたように、赤く焦げ付いてしまった日焼けのあとが、のこっているのである。

「いてぇよ・・・・・・」

千冬の腕をおそるおそるとってみる。
すぐにひやさないと、やけどそのものと同じ状態になってしまうだろう。

あすかに体をあずけて、けだるくぼやくそのきれいな顔は、ファンデーションのUV効果とメットで守ったようだけれど。

首筋、胸元も真っ赤にそまっている。

そして、なによりひどいのが、腕。

まるで鉄板におしつけたように、集中的にやけついている。

控え室で休憩をとっていた母親をよび、千冬にしなだれかかられたまま、事態を説明する。母親はあわてて、徒歩数十秒の自宅にもどった。

ひとまず、両腕をむしばむ、ひどい日焼けの処置を行わなければならない。

ともかく、千冬の体をひきはなし。
ずるずるとしなだれかかりたがる千冬の背中をおして、控え室に押し込んだ。

休憩用のソファに千冬がドサリと体をよこたえた。
すると、ソファの生地に、日焼けでダメージを受けた腕が、こすれてしまって。
千冬が、低い声で叫び声をあげた。

「え、と、デオドランドはしみるよね」
「なんでもいーからよ、たすけて……」

念のため千冬の額に手をあててみても、いやな熱はない。腕の痛みだけが特別ひどいようだ。もちろん、ひどく高温のなかバイクに乗っていたことによる疲労もあるだろうけれど。

仕事中にほてった体をしずめるためあすかが使っていたフランス製の低刺激のスプレー型化粧水を、日焼けで焦げ付いた腕に、ふってみる。水とほぼ変わらない成分だそうだ。

「いっ!!!」

大きな悲鳴をあげて、千冬が体をはねさせた。
ソファにぺたりと横たわったそばに、あすかは体をかがめて。しなやかな腕を、とってみる。

「これ、もう、やけどだよね」

その後、母親があわてて持ってきた氷嚢で、千冬の腕をそっと冷やすと、千冬がようやく安堵したためいきをついた。
心配そうに様子をうかがう母が、千冬に、なぜ家に帰らなかったのかとたずねると、こちらのほうが近かったからと素直に語る。

「熱はないみたいだね」

千冬の額に手をあてたあすかが、もう一度、熱中症の有無を確かめてみる。母親が、氷嚢やアイスノン等と一緒に持ってきた冷却シートをすすめると、千冬は頭をよこにふった。

「顔は大丈夫だったんだね。首も痛いでしょ・・・・・・」
「ツラだけ日焼け止めぬった」

アイスノンをとりあげて、首筋にあててやると、千冬が気持ちよさそうに瞳をとじて、体をあすかにすなおにまかせた。

「腕はそのままだったんだ」
「だってよ、家出たときよ、こんな日差しつよくなかったよ」
「いやー、まあ確かに、朝は曇ってたけどさ・・・・紫外線きついよ。そっか、夜だとね・・・・・・、いらないもんね日焼け止め」

あすかの母親があわててつくった氷嚢。ビニール袋のまわりは水で濡れているけれど、千冬は、相変わらず気持ちよさそうに腕をあずけたままだ。
それにしたってこの日焼け。腕をとったまま、あすかは、慄きの声をあげる。

「あ、赤い・・・・・・赤すぎる。これ元に戻るの?」
「戻るよ、ヒリヒリすっけど。いてぇよぉーーー」
「あたし、日焼けしたら即黒くなるんだよ!白くもどるのか・・・・・・」
「色黒の方がシミめだたねーよ?」
「そ、そうだね・・・・・・フォローありがと・・・・・・」

母親が、しずく酒用の冷凍庫からとりだしてきた、大きめのアイスノン。ぬるくなった氷嚢のかわりに、千冬の腕にあててあげると、千冬はまるで、極上の温泉につかったときのように、あまりにもここちよいためいきをついた。

「ほんっと、やけどだよ、これ」
「んなことよりよ、あすか、ここすわってよ」
「ひ、ひざまくらか・・・・・・いいよ、ちょっと起きて」

千冬の願いどおり、あすかもソファにこしかけて。
動きやすいチノパンは、幸い、今日は汗や埃や土で汚れてはいない。

すっかり安心したようすで、千冬は、あすかの腿に、頭をあずけた。
そのまま、ゆっくりと瞳をとじて。
太くも細くもない脚でも、千冬の役に立てるものだろうか。
真っ赤にそまった胸元、首元。順番にアイスノンをあてながら、あすかは、千冬の髪の毛をそっと梳いた。

そのとき、客足が途絶えていた店の、自動ドアが開く。

千冬の面倒をみるあすかのかわりに店にたっていた母親が、入ってきたお客に、愛想良く挨拶をかわした。

心地よい低音が、静かな店の中に響く。

あすかの母親と何やら話している、その美声の男性は。

千冬とあすかが顔を見合わせた。

「あっ!お、お母さん、こっちに」

千冬をひざにのせたまま、あすかは、大きな声で母親に案内を頼んだ。

あすかの店のタイルをカツカツとたたく、質のいい靴の音。
そういえば、今日は、千冬の香水が汗でうちけされている。
店からゆらりと流れてくる、海のにおいの香水。
品よく漂うこの男物の香水のかおりに、あすかもすっかり慣れた。

「よぉあすかちゃん」
「八尋さん、こんにちは」
「ああ。ちふ・・・・・・?」
「渉、オレ今日はでれねーぞ」

あすかにすすめられるまえに。
控え室に置かれていた、キャスター付きの事務いすをころころとひきよせて、背もたれを前側にまわし、八尋はそれにまたがった。
そして、背もたれに腕をのせ、そこに小さな顔をのせて、興味深い顔で、あすかに甘えきっている千冬をながめまわした。

「なんだよ、具合わりーんか」
「つかよ、何ここにきてんだよ」
「おまえん家行ったらいねーっつーからよ。したらここしかねえだろ」
「千冬さん、起きてお話する?」
「腕いてーからむり。首も」

八尋が、あすかの膝に頭をあずけて遠慮なくしどけなく横たわり続ける千冬をゆびさし、どうしたのかというジェスチャーをあすかにおくる。

「日焼けですよ」
「ああ、何があったんかと思ったぜ」

あすかは、だらりとなげだされていた千冬の腕をもちあげて、八尋にみせてあげる。
千冬はあすかにされるがままで。
八尋が、あきれた様で相づちをうった。

「八尋さんも日焼けします?」

いまだに敬語が混ざるあすかに、困ったような笑みをうかべながら。
八尋は、己のことを思い返してみる。

「そーだな、目的決めて走んからな、どっちかっつーと皮膚もつぇーみてーでよ」
ここまで焼けたこたねーな。

「千冬さん、敏感肌なんだね」
えっ、ならどーして顔はいろんなファンデためしてもきれいなんだろ。

汗でぺたりとはりついた千冬の前髪をかきわけてあげながら、あすかはひとりごとのようにつぶやく。

「お袋の化粧品くすねてっからだよ。それよかよ、なんだよ、渉、どうした?」
「あたし店いってよっか」

二人の会話に気を遣って、少し身をおこしかけたあすかを、八尋が笑顔でたしなめる。

「いや、いてくれてかまわねーよ」
「渉もあれかよ、涼みにきたんかよ」
「そーだよ、この店、わるくねーからよ」
「わー、ありがとうございます」

それにしたって、己の前で取り繕うこともなく、千冬がオンナに素直に体をあずけている。
他人の前で、オンナに甘えることなど、八尋の知る限り一度もなかった千冬が。
千冬が心から他人を信頼するすがたは、己の前でしか見せなかったはずだが。
この二人の関係を知って一年たっても、その事実は、八尋にとって、実に感慨深いのだ。

あすかの母親が、店のすぐそばにある自宅から、ジンジャーエールと麦茶ふたつをはこんできた。わざわざ立って礼を伝える礼儀正しい八尋に、母親は恐縮している。

「これも商品?」
「んーん、ソフトドリンクはあつかってないよ」

さらに、新しいアイスノンまでもってきてくれて。それにしたって、いまだ一向によくなる様子のないひどい日焼けの患部に、直に冷たいものをあててもいいものか。そう心配したあすかが、千冬にたずねる。

「てぬぐいまこうか」
「いいよ、直にきて」
「しみすぎない?」
「大丈夫だからよ、はやくして、いたい・・・・・・ちりちりする・・・・・・」
「はい、よく凍ってるからね」

元気と殺気をすっかりうしなってしまった千冬の姿を、敵チームに見せるわけにはいかない。
この店があってよかった。そう思った八尋は、千冬に忠告する。

「千冬おめーいーかげん天気よめよ」
「っせーよ、朝はよ、温度ひくかっただろーがよ!」
なぁあすか!

強い語気で八尋に反論し、あすかに同意を求める千冬に対して、あすかは、いたって冷静に自分の意見をのべた。

「うーん・・・・・・暑かったと思うなあ」
「んだよ、あすかまでよ!」
「ああ、暴れると、これ落ちる」
巻いとこーね。

てぬぐいをつかって、千冬のしなやかな腕にアイスノンをまきつける。
素材そのものの辛さがいかされたジンジャエールをあおりながら、八尋があきれ声でぼやいた。

「されるがままだな千冬」
「そんなことないんですよ!ぜんぜん。ね?」

あすかに頭をあずけたままの千冬が、あすかの問いかけに、つんと無視をした。ややすごみのある笑みをうかべた八尋が、ととのった口元をゆがめながら、千冬の反応を、あすかに解説する。

「んなことあるっつってんだよ、これ」
「そうなんだ、まだ八尋さんほどじゃないなあ、あたし」
「なにがだよ」
「千冬さんのこと、わかるかどうか」
「おまえ、そのうち勝つよ、渉に」
「勝ち負けじゃないし、そこはゆずるよ・・・・・・」

そうして、あすかは、暑さと太陽にに敗北した千冬をていねいに冷やしてやりながら、八尋に話題を切り出した。

「材木座にできたじゃないですか」
「ああ、あれ」
あのビル。

材木座海岸沿いに新たにたてられた、ハワイアンなショッピングビル。もとあった木造建築をいかしながらリノベーションされた、女性向けの総合施設だ。中には、飲食店もはいっている。

「あれ、工事の看板みたら」
「そうだな、オレんちの施工」
「あんな大きいの、それに、まだできるってききました」
「あすかちゃんち紹介しといたよ」
「ええ!ありがとうございます!」
「てかよ、しなくてもここしかねーよな」
「そんなことないよ、八幡様のところの老舗の酒屋さん……」
「でもあそことここぁよ、取り扱ってるモンちがうだろ」
「一部かぶってますよ、かぶってたらあっちをえらぶひと多いから」
「どうやってここを選んでもらうか、だな」
「そうなんですよ、だから、ご紹介いただいてすごくありがたいです」
千冬さんのおかげだね!

19歳をむかえた3人。
それぞれに、この海辺の町で生きていく未来がある。
地元に根ざした事業の話で盛り上がるふたりに、千冬があてつけるようにすねてみせた。

「なにがだよ、仕事の話しやがってよ」
「千冬さんとも、仕事の話するじゃん」

19歳をむかえて、千冬が始めた夜のバーのバイト。
鎌倉では珍しく、夜遅くまであいている、若者に人気の店だ。

「千冬さんがいてくれるから、あたし、いろんな人とお話できるようになったよ」
ひとりぼっちだったら、こんなになってなかったとおもう。

あすかがストレートに千冬におくる言葉にも、千冬はつんと無視をした。
八尋がふたたび、千冬の行動性について、あすかに解説をくりかえす。

「これは照れてんだよ」
「あ、そこは、わかるようになりました」
「いーかげんにしろ!」

あの八尋だ。湘南と一手にまとめて率いる八尋。
小さな店ではあるが、一足先に一般社会で生きているあすかには、そんな畏怖は通用しないのか。
なぜだか、鎌倉近代美術館の中のカフェやレストランの話をしている。あれを施工したのは八尋の実家であり、あそこに酒をおろしているのもあすかの店なものだから。
話が江ノ島水族館にとんだあたりで、焦げ付いた日焼けを抱えた腕や胸元の熱、そうして、おいてけぼりという事実に腹をすえかねた千冬のいらいらが頂点に達しかけたとき。

八尋が、キャスター付きの事務イスから、がたりと立ち上がった。

「これ以上あすかちゃんとしゃべっと、こいつがめんどくせーやつあたりする」
「大丈夫、千冬さんはそんなことしません。あたしが保証する。ね」
「うるっせぇよ、まー今日はよ、かえって寝んよ、肌のコンディションわりーときとよ、髪のウェーブきまってねーときぁよ、なんもやるきしねーの」
「ひどくなったら病院もかんがえといたほうがいいよ」

心配すんな。

熱のこもった手であすかの頬をそっとなでたあと、千冬が、あすかのひざから体を起こした。腕にまきつけられていた手拭いをほどいて、礼をつたえながら、アイスノンを返す。

そうして、自分の腕を再度確認しながら、千冬は、あすかと八尋にたずねてみる。

「落ち着いてんの、これ」
「おち、ついたのかなあ……。でも、今日、お風呂でしみるんじゃない?」
「ああ、皮むけちまうな」
「チビのころ、日焼けしたらよ、背中の皮むけてたよな?ああなんの?」
「なるかもな」
あれさー、湯船にういてキモイよな!

千冬と八尋を見送るため、あすかもソファからたちあがった。
結局、すずしい部屋で三人で語り合っているあいだ、お客は一人もこなかった。
残念だが、今日は、客足が鈍い日で決定であるようだ。

冷房がしっかり効かされた店内。
三人が自動ドアを開けると、熱風が一気にぶつかってくる。

顔色ひとつかえない八尋。
きれいな顔をゆがめる千冬。
そしてあすかは、実は、夏はけして嫌いではないのだ。

「またな、あすかちゃん」
「ありがとうございました」
「ひさしぶりだったろ、またくるからよ。お前の母さんにもお礼ゆっといてよ」
「ひさしぶりだったよ!!いつでもきてね、夏休み長いから」
「スクーリングもあんだろ?ムリすんなよ」
「ありがとう、千冬さんも仕事むりしないで」
「日付またぐこともない店だよ。大丈夫。じゃあな」

真夏の今日の空は、よく冷えたミントのように澄んだ水色だ。
そして、八尋のバイクは、深海のように深い青色。
ハーレーのエンジンをかけながら、千冬は、いかほど暑気がきびしかったか、八尋に訴えかけている。その組み合わせは、どきどきするほどおとなびているけれど、会話の内容はいたって男の子だ。

風のようにバイクにまたがって、弾丸のようにスタートした。
あっさりと消えてゆく八尋の背中を、千冬も追いかける。あすかに向かってひとつ片手をあげたあと、千冬も、真夏の突風のように、あっさりと消えてしまった。

そろそろ夕方を迎える。
今日はこのまま、静かな夏だろうか。
明日の配達のついでに、千冬のために、体のほてりがすうっと落ち着くお気に入りの入浴剤でも届けてあげようか。
海のかおりの香水と、千冬のここちよい汗のかおり、シャンプーのかおりがのこる、実に涼しい店内に、あすかは軽やかな足取りで折り返した。

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