夏的恋愛二十題
14.どこへ行っても混んでいるので

「日焼け・・・・・・!!」

何者にもさえぎられることのないくっきりとした蒼い空が、秀人の純白のタンクを宝石のように照らしあげた。

そのタンクを、いとおしそうに撫でた秀人の、精悍な腕。

半袖のシャツと、むき出しの腕の、くっきりとした境目をみつけた千歳が、彼女にしては明快な声で、おもわずちいさく叫んだ。

「ああ、コイツに乗ってりゃよ」
「……日射病に、ならないでくださいね・・・・・・」

千歳の真っ白な指先が、その境目をそっとたどる。
そのやわらかな声は、秀人の身をいつも案じる。

おとなしい恋人を、強烈な日差しから守るように立った秀人が、いつだって深刻に心配する千歳のことをすずしげに笑いとばし、その豊かな黒髪を丁重になでたあと、ほっそりした体を胸元にひきよせた。

「オメーは、こんな季節でも真っ白だな」
「・・・・・・ひやけどめ、ぬってるし、すぐ赤くなるんです・・・・・・」

なぜだか消え入りそうな声で打ち明ける千歳の言葉を、ふーん?と聞きながし、秀人は純白の単車を、駐輪場に慎重に駐車させた。

お互いの期末テストも終わり、秀人は、いつものように、いっさいの予告をおこなわず、風のように千歳のまえにあらわれた。

そして、千歳にとって大変緊張感に満ちており、秀人にとってずいぶん居心地のいい、喫茶フェニックスにつれてゆかれ、軽食をまたたくまにたいらげた秀人が、千歳の目の前で堂々と昼寝をはじめた。学業と族生活を、愚痴ひとつこぼさず両立させる秀人の、疲労からくる仮眠を、千歳はアイスコーヒーをのみながら、おだやかに見守った。秀人の友人たち、あのチームの人々が、この行きつけの喫茶店に入れ替わり立ち替わりあらわれたけれど、だれもかれもが、あわてて起こそうとする千歳の手をわらって制止し、秀人をしずかに寝かせることをえらんでいた。

この猛暑のなか、千歳をつれまわすわけにもゆかぬ秀人が、純白の単車のリアシートにのせて千歳を自分の手狭なアパートにつれてくるのも、お決まりのコースだ。

「おめーは眠くねーんかよ?」
「大丈夫です!」

じゅうぶんな仮眠を摂り、ただでさえ柔軟な体がますます軽快になったのか。身軽に階段をのぼってゆく秀人のあとを、千歳が一生懸命追いかける。金属の階段の手すりになにげなく手をかけると、熱気でほかほかにあたためられていたそれが容赦なく千歳の華奢な手を灼いた。千歳がおもわずあげた小さな悲鳴に気づいた秀人が、即座にふりむき、あまりに深刻な瞳で、その悲鳴の理由をさがす。

「大丈夫です、ここ、熱かっただけ」
「・・・・・・やけどしてねーかよ?」
「大丈夫」

特に目立った外傷もない千歳の手のひらが、秀人の汗ばんだ手で、そっと覆われる。

「あ、あの、大丈夫なの。暑いでしょ?お部屋に」
「オメーから誘うんかよ、しょーがねーなーー」

激烈な暑気がたちこめる外に秀人をたたせたままであることを千歳が気遣うと、オーヴァーな口調でからかわれて。
しどろもどろで、そんなつもりじゃないといいわけする千歳を、秀人はまたも軽やかに笑い飛ばした。

千歳の手をとったままの秀人により、千歳の計量な体は浮き上がるように階段を導かれたあと、秀人の部屋に引っ張り込まれた。

熱気がこもった部屋に耐えきれず、秀人がリモコンで冷房をいれる。

たばこのにおいとさわやかな香水のかおり、整髪料のかおり、そして秀人のかおり。すべてが混ざった、小さな和室。

今日は、部屋がきれいに片づいている。
雑然としているときの秀人の部屋も、さっぱりと片づいた秀人の部屋も、どちらであろうと、千歳はだいすきなのだ。

いつだって清潔な畳。
まじめな丈のスカートをふわりと畳の上にひろげて、千歳が畳の上に、ぺたりとすわりこむ。

秀人が部屋中のカーテンをあければ、やわらかな自然光が、せまくて清潔な和室に満ち始める。

いったんズボンのポケットからたばこをひっぱりだしたけれど、それを吸うことをやめた秀人が、千歳のために、冷蔵庫からノンシュガーの紅茶のペットボトルをとりだして、そのすっきりとした頬にあてた。

「冷やしとけよ?さっきの」
「あ、ありがとう・・・・・・ございます」

そのまますべりおりてきた紅茶を両手でうけとめ、千歳はしばらくそれを手の中であそばせる。

千歳がぺたりとすわりこんだのはテーブルの前。ベッドのすぐそば。

改造制服姿のまま、タオルケットが乱雑にまるめられていたベッドにどさりところがった秀人が、すぐそばに所在なくすわっている千歳の長い黒髪を二度三度手に取った。器用な指先に黒髪をくるくるとまきつけ遊んだのち、その腕は、頭の下にしまわれて。
そして、横目で、千歳の遠慮がちな瞳を流し見る。

「・・・・・・?」
「なんかしゃべれよ」
「え、な、なにかって・・・・・・」

両腕を枕にして寝ころがっていた秀人が、かたひじをつき、手のひらにあごをのせ、狼狽する千歳のことを、実に挑戦的な瞳、嘘のない笑顔で観察する。

せかされてしまった千歳が、手の中で紅茶をころがしながら話題を一生懸命さがす。その真剣なすがたが愛しくて。秀人が、余裕をたっぷりにうかべて、そのさまをじっくりと味わった。

「……あっ、あ、あの……、平塚の七夕、行くんですか?」
「・・・・・・おめー、あんなもん好きだっけか・・・・・・?」
「……苦手です・・・・・・」
「つかよ、もー終わってんじゃねーか?」
「あっ・・・・・・」
「中華街でも七夕あんだとよ」
「あれ、事前申し込みが要るんですよ、たぶん」
それも2000円くらいする・・・・・・

高校生と中学生が出向くことが現実的である直近の大きな祭りというと、この程度。
そのどちらも、ふたりの性質、とくに千歳の性質には沿わないという事実があらためて浮き彫りにされて。

「・・・・・・・カネかかんな」
「どこへ行っても混んでますしね」

軽いため息をつきながら、すっかり冷やされた手で、千歳は、紅茶のペットボトルの栓を開けた。

「ここがいちばんすきです」
「どこ」
「こ、ここです」
「ここじゃわかんねえ」
「ひ、秀ちゃんの、ちかくです」

秀人が聞きたかったことばを存外素直に口にした千歳が、良く冷えたペットボトルを、火照った頬にあてた。

そうしていると、秀人がベッドからたちあがる。
その無造作で、自然なすがたを、千歳が瞳でおいかけていると、冷蔵庫の前でしゃがみこんだ秀人が、冷気漂うその中から、なにか小さなものを出して、もどってくる。

そして、千歳の目の前、テーブルのうえにラフにおかれた白い箱。

これはあきらかに、購入した製菓をつめるための箱だ。

アーモンド型のひとみをますます澄み渡らせて、千歳は、秀人とそれを、見比べる。

「……?」
「オメーのだぜ?」
「……あけてみていいですか?」

妙に慎重な手つきでそれに指をかけた千歳を、ベッドに身体を投げ出した秀人が爽やかに笑った。

蓋部分をひっかけている取っ手を丁寧にとりはずし、蓋を開放しながら、その不審な箱の中を、おそるおそるのぞきこむと。

「やる」
「・・・・・・!!」

その小さな箱のなかに、ほっそりとした手のひらごと侵入させて。

千歳が取り出したのは。

ふたつの、ちいさな、ゼリー菓子。

プラスチックの円形のタンブラーのなかに浸されているのは、澄んだ空色のソーダゼリー。

そして、いろとりどりのフルーツが、そのうえに重ねられている。

それがふたつ。

ぎっしりと載せられているフルーツをおとさないように、千歳は、テーブルのうえに順番にならべた。

大げさな声をあげてよろこぶ子ではない。澄んだその瞳、純粋で、しずかなよろこびをたたえたその横顔をじっくり確認してから、秀人は、両手を頭のしたに敷き、満足そうに瞳をとじた。

「これ、もしかして、七夕、ですか?」

どこかへ行きたがるより、ただ、そばにいたがる千歳のために。
どこにいても、まるでその夜のようなものを。

「星空だとよ?」
「ありがとう・・・・・・ございます・・・・・・」
あっ、ヨーグルト!

よくよく観察してみれば、底にはヨーグルトがしきつめられている。ソーダゼリーと一緒にすくってしまえば、きっと、さわやかな酸味たっぷりの実にキュートなおいしさが、千歳の口の中を満たすであろう。

「秀ちゃんはたべないの?」
「いらねーよ、千歳ふたつくれーくっちまうだろ」
「・・・・・・、かまわないんですか?」

頂点にのっかっているのは、房をとったさくらんぼと、星形にくりぬかれたパイナップル。そして、皮をむかれていない巨峰。ゼリーのなかにも、星がしずんでいる。

「星のかたち!!」

いつまでも眺めていたい気持ちと、その涼し気な七夕を味わってみたい気持ち。
居ても立っても居られなくて、千歳は、白いボックスにそなえられていた透明のスプーンを使って、慎重にすくう。
とりあえず、ちいさなスプーンのうえに、サクランボと星と、ソーダゼリーのかけらをのせて。

さくらんぼにもパイナップルにも、ソーダのさわやかさがしみこんでいて、実に美味だ。

「おいしいです!」

ソーダゼリーごと、メロンとぶどうとオレンジを味わうと、とても新鮮な甘みがひろがり、スプーンがあっというまに最下層のヨーグルト部分にまで到達すると、それを大胆にすくいあげて、いっきに口に含んだ。

目を閉じてそれをあじわいきる千歳のすがたを、あきれた笑顔で見やった。たばこは、千歳がそれを楽しみ終わるまでの我慢だ。

「もうひとつ……」
「2コ食うんだろ?」
「もったいないです、ずっと見てたい」

七夕の空、あるいは、晴れた日のプールのような色のソーダゼリー。
本当の夜は、こんなに澄んだ色をしていない
こんなにファンシーな星はうかんでいないし、
星くずの天の川は、こんなにすみきった味はしない。

そして、この七夕は、なによりも、どこへゆくよりも美しい。

両腕を突き、ベッドから体を起こした秀人が、千歳のそばにすわった。

そのまま、顔を引き寄せ、さわやかな風味に彩られた愛らしいくちびるを、秀人がかすめとる。

「んっ・・・・・・」

千歳のあまくなったくちびるをいやがり、かすめるだけで離れれゆくかと思えば。
そのまま、くちびるはのみこまれてしまい、秀人のぬるりとした舌に、すみずみまであじわいつくされて。

「あっめえ……」
「・・・・・・おいしかったですか?」
「ま、千歳が好きそうな味だろーな」
「どこで買ったの?」
もしかして、あれ?

有名な果物店の名前をあげると、秀人が、うそぶくようにうなずいた。

そのまま、千歳を背後からかかえこみ、ベッドのサイドフレームにもたれる。
秀人におとなしく体をあずけた千歳が、みぞおちあたりにまわされている、ずいぶん日焼けした秀人の手に、ほっそりとした手をそっと重ねた。

「七日間しか売ってねーんだとよ」
「えー!!そんなに貴重なものだったんですね・・・・・・」

なにげなく明かした秀人の方をふりむいて、千歳が驚愕の声をあげた。

テーブルの上から取り上げたペットボトルの紅茶で、千歳は、口の中のあまさを中和した。
そのあと、もうひとつのこった、星空のゼリーをとりあげる。

「きれいですね」
「早くくわねーとぬるくなんじゃねーか?」
「なんだか、ずっとみてたい」

もう一度、小さなプラスチックのなかの七夕をながめてみる。
夜の空の色と、星のように散ったフルーツと、底を指さして。

「天の川は、ヨーグルトなの」
「ああ、味したからよ」
「そ、そっか」

ほっそりとした手につつまれたゼリーを、あきることなく、千歳は鑑賞している。
それはなんだかひとつの美術品のようで。

「ありがとう、秀ちゃん」
「おめーはこれが一番ラクだろ?」

しずかな部屋で、秀人のそばにいて、好きなものを食べる。
そう考えてみると、なんだか即物的だ。

にぎやかな場所も、にぎやかな人も気後れしてしまう千歳は、秀人のそばに、そっといるだけで幸せで。

見透かされていることをはじながら。そして。

「そうです・・・・・・。秀ちゃんは?秀ちゃんは、もっと楽しいところが、好きですか?ものたりない?」

秀人も、同じなのだろうか。
千歳のなかに、いつも、迷いは、絶えずある。

「オレがいつんなこと言った?」
「・・・・・・」
「オレもよ、めんどくせーことよりよ、千歳が笑ってんのみれりゃ、じゅうぶんだぜ」

一番上にのっかったさくらんぼをとりあげて、秀人が口にひょいとほうりこむ。
あっとふりむいた千歳のくちびるをとらえて、さくらんぼをじっくりとしゃぶるように、もう一度舌でなでまわした。
はずみでこぼさないように。
秀人の腕の檻にとじこめられたまま、千歳が懸命に持ち続けるゼリーのなかの星空が、ふるりと揺れた。

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