日常シーン10題
2.真夜中の公園

だたっぴろいコンクリート地の広場に、瀟洒な塗装、暗闇にほんのり浮かび上がる真っ白なシートがめだつ、荘厳な単車がとめられた。

このゴージャスなバイクを、けして傷つけぬよう。
まもなく日付の変更を迎える夜のとばりのなか、あすかはめかしこまれた大型バイクから、実に慎重に降りる。

「何回のせてもらっても、どきどきする・・・・・・」

あすかがぬいだメットをとりあげ、千冬は、風で乱れたロングヘアをかきあげながら、ケラケラと笑った。くるくるとキュートにかかったウェーブが、夜陰にとけこんでゆく。

「なんでだよ?」
「こう、振動が」

身振り手振りで、あすかはこのまばゆいばかりのバイクの衝撃を語ろうとすれど、千冬はかたっぱしから笑い飛ばしてしまう。


鎌倉海浜公園。
夕暮れ時は、江の島の向こう側にしずむ夕陽がうつくしいけれど、この時間、眺められるものは、宵闇だけだ。

すぐそこにある石段を降りれば、一面にひろがる砂浜にいきつく。

134号を隔てた向こう側。

高級住宅のわずかなあかりと、規則的にともる街灯だけが、夜の稲村ケ崎をぼんやりと照らしている。

「夜中の稲村」
「いーじゃん、寒くないだろ」
「あっ、それは、着せてもらってるからだよ、ごめんね」

あすかをバイクにのせるまえ、千冬があすかにそっとかぶせた、質のいいコート。あすかの体の上でひるがえっていたそれを、あわてて脱ぎ、千冬にてわたそうとする。当の千冬は軽い身のこなしであすかから逃げるものだから、あすかはあわてて千冬をつかまえて、そのしなやかな肩にひっかけた。

コートをぬいだあと、あすかはアクリル素材のざっくりとしたセーターの腕をまくりあげた。足下はボーイフレンドジーンズに、スニーカー。実にかざらぬ格好だ。
うすいセーターと、妙にしなやかな脚をきわだたせるパンツを纏った千冬は、さらりと軽いロングコートのそでに腕をとおしながら、あすかのそばを歩く。

「ねむい?」
「ぜんぜんねむくないよ」

なんか買ってくりゃよかったな、あったかいの。
ひとりごとのようにつぶやいた千冬に、ほんのすこしだけ距離をとって、あすかは歩く。キャンパス地のスニーカー。足元は、さらさらの砂。もうすこしだけ海へ近い場所へゆくと、またたくまに海水がしみこんでしまうだろう。
真っ暗な海辺。足元を慎重にたしかめながら、あすかは気がかりだったことをたずねる。

「千冬さん、こんなとこ、夜中に出歩いていいの?」
「何?“族”のオレに、気づかい?」

千冬の声に、少しだけ嗜虐のかおりが帯びる。

「え、っと、・・・・・・うん、そうだよ」
「デージョブに決まってんだろ?何があってもおめーはぜってーまきこまねーよ」
「うーん、何かあったとしても、あたしとか空気扱いだろうし・・・・・・」

ケーサツすぐよべる公衆電話とかあったっけ。

あたりをみまわそうにも、高い石塀と暗闇にさえぎられ、何がなんだかわからない。昼間の海辺を、いかに周到に観察してこなかったか。日々、江ノ電のなかから見ている風景なのに。己が如何ほど注意力に欠けているかという証であろう。

ポケットからひっぱりだしたたばこに、千冬がジッポで火をつける。千冬は、あすかの前では、できる範囲で我慢をしているのだけど。夏が終わったばかりの、真っ暗な海辺に、だいだい色の炎がゆれる。

「千冬さんに何かあってほしくないなっておもったけど、ま、大丈夫か。千冬さんがそういうなら」

マルボロメンソール。特徴ある香りが、あすかのもとまでとどく。いつも、あすかをよけている煙。ゆるい海風にあおられて、消えかけた煙が、すこしだけあすかにぶつかった。

「夜景見えるトコのほうがよかった?」
「夜景?千冬さんは、好き?」
「どうでもいいよ」
「あたし、そもそも、夜景をわざわざ見に行ったことがないよ」
「あんなのただの電気だよ」
「千冬さんと一緒だったらなんでも楽しいけどね」

この海は、人気のない時間帯でも、遠くに人の粒がある。とはいえ、さすがにこの黒い海に、その粒を確認することはできない。
沖にひかるのは釣り船だろういか。
車で海辺にのりつけ、語らっているカップルは散見されるわけで、まもなく真夜中を迎える時間とはいえ、どことなく、どこかの暗闇で何かがうごめいている気配は消えない。

そして、不思議な音をたてて疾走してゆく、改造バイクの群れ。そんなとき、あすかはあえて千冬をみないようにする。千冬は、きっと、冷淡な瞳で、その群を確認していることだろう。

そして、千冬の足元に気がつく。

「あっ、くつ、ぬいでる」
「このほうがラクだよ。でもあすかは履いてな」

いつのまにか手元からたばこは消えている。あすかのメットを提げたまま、千冬は両手に靴をつかんでいる。

「靴下にスニーカーだしね」
「足切っちまうぞ?」
「千冬さんだってあぶないよ、それ」

「じゃ、こっちいくよ」

まっしろな素足をさらしたまま。千冬は、歩く方向を転換し、渚のほうへ向かい始めた。
あすかのスニーカーが、ずぷりと埋もれる。
さらさらとした砂ではなく、湿った砂が、シルクのように広がる、波で濡れた渚へ。

「疲れた?」
「ぜんぜん大丈夫だよ。このへんは、すわれないよね」
「砂浜じゃないもんな」

いつも早足である千冬の歩調が、砂にとられて、やや緩やかだ。あすかが無理をせずついてゆける速さである。

「あそこ行ったことある?」

石塀の向こう側。おとされた店内の照明。
指さしたのはこの界隈でも随一の人気の、昼間はカフェ、夜はバーに変貌する飲食店。

「お父さんの代の頃は、あそこにお酒いれてたよ」
「マジで?」
「グラッパとか扱うの、うちがやめたから、今はご縁がないけど。いつもならんでるよね、行ったことないなあ」

千冬がポケットをさぐるが、たばこが最後の一本だったことは、わかっていた。

「じゃ、今度ならんでみる?」
「行く!千冬さんと行きたいところ、いっぱいあるなあ」
「どこでもつれてってやるよ」
「千冬さんは、あたしと行きたいところ、ある?」
「なんでそんなこと聞くの」
「あたしばっかりかなあ?っておもって」

千冬から、ほんのわずか離れて。拗ねたつもりなんかないけれど。
あすかは、重たい砂にスニーカーのつまさきをうめて、あすかは言葉をはなった瞬間、後悔した。すると、千冬から、思ってもみない言葉がかえってくる。

「オレも、オレばっかかな?って思うよ?」
「……そんなにふうに、思わせてた!?」

言葉のはじめは、震えたかすかな声で。
そこから一転、あすかの言葉は、一気に求知心に満ちはじめる。

「どうして??」

そう矢継ぎ早に質問をかさねるあすかの声は、ヒステリックでもせっぱつまってもいなくて。どこか、好奇にみちている。

「ね、千冬さん!どうしてそう思ったの!」

海風に、美しくきまったウェーブをなびかせて、どこか作りこんだ表情で歩いている千冬のことを、ぐいとのぞきこむと、

「ちょ、見てんなよ!」
「い、いたい」

千冬に額をおもいきりおしのけられたあすかは、少しだけ涙をうかべて、千冬のそばからひいた。

「えー、どうしてかな。あたしこんなに千冬さんに頼りっぱなしで、甘えっぱなしなのに……」

おしのけられても、あすかは千冬のそばにもどる。そして、もう一度、その妖艶な顔をのぞきこみ。

「あたしのほうが好きだよ、絶対」

そう伝えるや否や。あすかのつんと尖った口元は、ルージュをはっきりとひいた千冬のあでやかなくちびるに、おもいきりふさがれた。

なんだか、妙に乱雑なキスだ。
上半身を一気に抱え込まれ、噛みつくようにキスをされ、あすかは、のどのおくからかすかな音を滑り出させながら、千冬のくちづけに耐える。

刹那、濡れた砂浜に深く埋まった千冬の足が傾き、スニーカーひとつではすべてを支えることのできなかったあすかの足も、ずるりとすべる。

まったくもって色気に欠けたさけびごえをあげながら、あすかは千冬に抱きしめられたまま、しっとりとぬれた砂浜をころがった。

「ちょ、びしょびしょになるってば」
「お、オメーのせいだろ」
「はあ?意味がわかんない。い、いたいよ、乗っからないで」
「あすかこそ乗ってくんな!!」
「だってこーしなきゃ、服が」

耐え切れなくなった千冬が、片腕をついて起き上がり、あすかのことも抱き起こす。
二人して砂浜にすわりこみ、髪の毛やセーターにこびりついた砂の塊をはらいおとした。
全身がすっかり磯のかおりにまみれている。

「あーあ、濡れた……」
「暴走ったらかわくんじゃない」

なかばやけくそなのか。濡れた砂浜に、まるで沈むように体を横たえた千冬の姿に、あすかは驚きの声をあげた。

「あの、髪もだけどさ、そやって寝ると、千冬さんのバイクのきれいなシートが濡れるよ・・・・・・」
「あっ・・・・・・」
「押して帰る、のは無理だよね・・・・・・」
「オメーがカゼひいちまうな」
「千冬さんこそ」

体育座りだと、ジーンズが大変情けなく濡れてしまうだろう。しょうがないので、正座ですわりこむか。そう逡巡したあと、あすかは、腰をすこしだけうかせて、足を抱え込み、千冬のそばにしゃがんだ。

「千冬さん、髪が濡れちゃうよ」
「温泉はいる」
「あすこの温泉、8時までだと思う」
「マジで?鎌倉はホテルもねえからよ、ったくよ」
「ほ、ほてる……」

砂浜にふわりとひろがった千冬の金髪をまとめてもちあげながら、あすかは羞恥をにじませた呆れ声で千冬の言葉をくりかえした。

「今度行く?」
「おうちじゃいけないのかな……」

あすかのばつのわるい声に、風のように短い笑い声をたてて、渚に体をしずめながら、千冬がつぶやいた。

「からかってごめんな」
「ん?ほてる?ううん、全然……」
「オレの方が、あすかのこと好きだよ」
「わ、わたしのほうが……」

千冬が、その艶やかな口元を、真っ白な指で、さした。あすかは、冷たい砂浜に膝をつく。じゅっと音をたてるように、デニムの膝は色をおびてゆく。
妙に音のない波。海の音は、ほんのかすかに流れたあと、静かにさってゆく。

千冬のととのった輪郭。その両側に手をつくと、砂浜にあすかの手が埋もれてゆく。
腰をゆっくりと折り、頑強な濃さでいろどられた千冬のかたちのいい口元に、あすかのくちびるがかさなった。

「あたしのほうが好きだよ」
「オレ」
「あたしだよ」
「うるっせーな、オレっつってんだろ」

18歳にもなって、なんて幼いやりとりなのか。
お互いそう思っていることだろう。
語気を強める千冬に苦笑いをうかべながら、膝をついたままのあすかは暗い海の向こうを眺めた。

「また、夜にどっか行く?」
「おめーの行きたいとこにいつでも行くよ」

腹筋をつかって濡れた砂浜から千冬が一気に体をおこした。あすかは、その美麗な金髪にこびりつく砂を、ひとつひとつとりのぞき、まるできれいな猫をブラッシングするように、背中の砂をはらってやる。

さざ波の音に身をまかせながら、二人の時間は、深く暮れてゆく夜とともに、しばらく続いてゆく。

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