日曜の真っ昼間。遠慮なく開く、開店前のスナックの扉。
挨拶をひとつ置いて、両手に荷物をさげたあすかが入ってくる。右手の荷物は店のかたすみに。左手の荷物はバーカウンターの上に。
カウンターの丸椅子にけだるく腰掛けた、あすかの恋人。
豊かな髪の毛をだらりとかきわけ、白く抜けるような肌が、今日はより透き通って見える。
手元のガラスの灰皿には、吸い殻の山。
「んだよ、頼んじゃいねーだろ」
いつもあすかに向ける瞳より、ずいぶん鋭い視線。
千冬が、じろりと、自分の彼女のことをにらみつけた。
顔にはいっさいの傷を追っていないものの、白いシャツからのぞく精悍な腕には、包帯が巻かれている。
店の壁に特攻服はつられていない。
そのかわり、壁に立てかけられているのは松葉杖。
ギプスはないものの、細いパンツから覗く、つっかけをひっかけた右足も、包帯で覆われているようだ。
「営業だよ営業。お母さんは買い出し?」
「そーだよ」
つれないながらも、律儀に返事は返したあと、千冬は、十数本目のたばこに火をつけた。
あすかは、自作のチラシをテーブルの上に置いた。そのうえに、ビニール袋にはいったものをひっくりかえした。
「んだよこれ。うっとーしーもんばっか」
「そういわずに、食べよう」
ゼリー飲料、栄養ドリンクに、スポーツドリンク。おにぎりに、インスタント味噌汁、ヨーグルト。手軽に栄養補給できるものばかりだ。
「食べないと痛み止めも飲めないよ」
未成年だてら、ウイスキーに手をつけようとしていた千冬の手を、あすかが、上からそっと覆う。
さわるなとこばまれることを覚悟していたが、千冬のしなやかな手は、あすかに覆われたままでいる。
あすかが千冬の顔をのぞきこむと、わがままな瞳で、千冬はぷいと顔をそらした。
「わりーな」
小さな声で、あすかにもよく届かないほどの、ごく小さな声で、そっぽをむいたまま、千冬がつぶやいた。
あすかは、微笑をうかべたあと、少しうつむく。
「とりあえず、食べて、話したい人と話して、よく寝たらいいよね」
しかし、目の前には、己が選んできた、手軽ではあるが冷たいものばかり。
ぱっとみて食欲がわくものではない。
羞恥をしのび、拒まれること覚悟で、手作りの料理でも持参すればよかっただろうか。
そのとき、あすかの鼻先を、強い香水と、バラのシャンプーのかおりがつよくただよった。
「うわっ、と」
千冬が、あすかの肩口に顔を埋め、腕をまわし、しなだれかかる。
いつもしっかりキメてあるウェーブは、ゆるくかかっただけ。
頼りなくとれかけ、だらりとうねるその豊かな金髪を、あすかが優しくなでる。
「急ぎすぎたらだめだよ」
千冬の豊かな髪の毛を何度もなでながら、あすかは、耳元でささやく。
「ちょっと待てば、なおるはずだよ」
松葉杖が視界にはいる。あすかにまわった腕には、包帯。自分で転んだ、いわゆる自爆ではなく、悪意のある者により、転倒させられたようだ。それは、己のハーレーに乗っているときではなかったという。
あの美しい青色のタンクのバイクのリアシートにのっているとき、タイヤに木刀をさしこまれた。千冬は、運転している者とそのバイクを守り抜きながら、派手にアスファルトにたたきつけられたとのことだ。
よくもまあ、この顔にキズのひとつもなく、腕の打撲と、足のケガだけですんだものだ。
あすかは、ためいきをつきながら千冬のことをぎゅっと抱きしめる。
「大丈夫だよ、千冬さんは」
千冬があすかからケガしたほうの腕をほどきながら、ぼやきはじめる。
「コンビニの食いもんかよ」
「弁当つくろーかとおもったけど、さすがに、すべるのがこわくてね・・・・・・」
「つかえよ、そこ」
片腕だけであすかに抱きついたまま、千冬がうながす。それは、カウンターの向こう側の厨房。
「食材とかもってきてないんだけど」
「あるもんつかえよ」
「失敗したなー、材料買ってくるべきだったね・・・・・・でもいいの?勝手に使って」
あすかの問いに答えるかわり、カウンターの出入り口を千冬はゆびさした。
指示どおり内側にまわったあすかが、手を念入りに洗いながら、千冬にたずねる。
「それなしで、歩けるようにはなったの?」
「いらねーんだよこんなもん。大げさすぎ」
「我慢だよ、我慢」
背もたれに背中をあずけ、思い切り反り返りたいものの、座っているのはカウンターの丸イス。千冬は、反り返ろうとしたあと、カウンターにつっぷした。
「本当にいいのかな。いいわけないよね・・・・・・とりあえず、使った分のお金は置いて帰るから」
ぶつぶつとぼやきながら、冷蔵庫から野菜と麺をとりだす。きれいに整頓されたキッチンにそなえつけられたソースも手元にひきよせた。
「濃くしてよ」
つっぷしたまま、甘えるような口調の千冬に、あすかが手を動かしながら答えた。
「ほどほどに濃くするよ」
カウンターにだらりと寝そべり、頬をついた千冬が、そのしなやかな指で、灰皿を遠くにおいやった。
「また来るからね」
「来んのおせーよ」
「遅かった?ごめんね。次からは、すぐ飛んでくるからね」
「次なんかねーよ!」
ソースの香りがつよくただよいはじめる。
「一人で悩まないでね」
「オレがいつ悩んでるっつった」
「違うならいいの。でも一人で抱えないでね」
手際よく調理をつづけるあすか。
カウンターにひろげられたコンビニ商品を、千冬が袋にもどしはじめる。
「これはこれで頂くからよ」
「てきとーに食べて」
「わたしいつも千冬さんに助けてもらってばかりだから。ちょっとは助けになれてたらいいけど」
穏やかな顔で調理に励むあすかの顔は、前髪に隠れていて、見えない。
「おめーに助けられてばっかだよ」
「ん?何かゆった?」
いためてて、きこえなかった。
「なんでもねー」
千冬が、ポケットから薬剤をとりだす。
「食べてからね」
「わーってるよ。早くして」
「もーすぐ、できるよ」
顔をあげたあすかと、眼があう。
千冬の表情が、ようやくやわらかくほころんだことを確認して、あすかはゆるやかに笑みをうかべる。
良かった。
心の奥底でそっとつぶやいたあと、せかす千冬をなだめながら、あすかは、香ばしく、そして濃い味つけの焼きそばを、皿によそい、カウンター越しに、千冬にさしだしたのだった。
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