窓の外。


静かに降り注ぐ雨。


雨粒が地面に触れては、音を奏でる。


ヒロインは、風呂上がり窓際の座椅子に腰掛け、ぼんやりと外を眺めているようだった。


小さな後頭部、僅かに見える頬、長い睫毛。


白い首筋、薄い肩。


全てが無性にいとおしく。


「…ヒロインさん、」

「―――…」

「ヒロイン」


一刻でも早く抱き寄せたくなり、声を掛けた。


が、返答どころか、反応もなく。


窓の外の風景にすら妬けちまうんだから、始末に負えんな…。


「ヒロインさん」

「…あ」

「なにを見ていたんです」


横で正座をし、ヒロインの膝の上に置かれていた手に手を重ねた。


ヒロインの意識は俺を取り込み、瞳にも俺を写した。


返事がなかったことに対し、若干不機嫌な面でも作り。


あとは…そうだ、耳に唇を近付け少し意地の悪いことでも囁いて。


そうすればきっとすぐに紅く染まるであろう耳の輪郭を舌でなぞり、耳朶を甘噛みでもしてやろうかと思った。


が、それを実行に移すよりも先に。


些か眉を下げ、切なげな顔をしたヒロインの腕が俺の首へと巻き付いてきて。


「くすりうりさん…」

「…うん…?」

「ぎゅ、って…してて?」


甘ったるい声で縋られ。


…自分の容易さに失笑である。


いとおしい。


愛おしい。


たかがこれだけで、先程まで感じていた嫉妬は欠片もなく消え失せちまうんだから。


それどころか、持てる限りの情で受け入れてやりたくなっちまって。


「…ふ、はい、いいですよ」

「うん…」


ヒロインの背中を右手で支え。


「よ…、と、」

「わ、薬売りさん、重たいでしょ?」

「いいえ、」


膝の裏に左手を入れ抱き上げた。


「本当?…でも、薬売りさん小柄だし、私より女らしかったりすることあるし…」

「おや、そいつは心外ですね…、夜毎あなたは誰に抱かれているのですか」

「ん、ふふ、薬売りさん?」


幸せそうな笑い声を溢すヒロインを、そのまま布団まで運び寝かせれば。


ヒロインは軽く腕を広げてもう一度抱き締められることを要求したから。


俺も横になり、腕の中にヒロインを収めた。


更に寄り添ってくるヒロイン。


「どうか…したのか」

「ん…?」

「いえ…ヒロインさんが甘ったれなのは、十分承知していますが…」

「くすくす、甘ったれ、」


ヒロインはいつも素直に俺を求めてくる。


だが今夜はいつも以上に感情をさらけ出し求められている気がして。


「…めんどうじゃない?」

「そう思っているのなら、疾うに離別していますよ」

「ん…ありがとう、薬売りさん」


ヒロインは満たされたように瞼を伏せた。


僅かな動作だが、それすら美しく儚げに見え。


このままヒロインが何処にも行かぬよう、回す腕に少し力を入れた。


閉じ込めておきたくなっちまった、なんて馬鹿馬鹿しいのは百も承知だが―――。



「あのね、別に何かあったわけでもないんだけど…なんか意味もなく寂しくなっちゃって」

「意味もなく…」


おもむろに口を開いたヒロイン。


「うん、人肌恋しかったり」

「まぁ雨のせいもあり、今夜は肌寒くもありますが…」


女特有の情緒不安定といったところか…。


おそらく俺の理解の範疇には及ばない。


正直ヒロインでなければ、関心を示すに値もしなかった。


安定剤でも勧めて、事を済まそうとするかも知れんな。


だがヒロインならば俺自身でなんとかしてやりたくて。


すべて、ヒロインを自らの手の内で把握しておきたいという独占欲から来る感情かも知れんが…。


「…まだ、寂しい、ですか」

「ううん、もう、嬉しいです」


ヒロインのゆったりとした口調が、心地好く耳に響いた。


それはヒロインにとっては俺が安定剤になれていることを物語っていて。


驚くほど充実する心。



ヒロインの髪に指を絡め撫で、感触を楽しんでいた。


そして少しばかりの沈黙の後。


「…でも、薬売りさんはそういう気持ちになることない?」

「いや、ありませんぜ」


ヒロインから唐突な問い。


しかし考える隙もなく、そのような経験は知らず、すぐに答えは出た。


「あはは、そっか」


ヒロインも俺の即答に反応を示し、顔を上げ。


目が合うと思わずといった感じで笑った。


また愛しくて、もう一度力を入れ抱き寄せる。


柔順に呼応するヒロインのからだ。


未だくすくすと笑っている。


「ないものはないですからねぇ…」

「でも薬売りさん今、考えもしなかったでしょ?」

「まぁ…そうですが…」

「ふふふ、ちょっとは考えてよー」


ヒロインに言われ、一応は幾ばくか思い返してみる。


が、やはり心当たりはなく。


考えたところで俺にあるのは、今こうしてヒロインに触れる感触が恋しいという事実だけ。


だからこの先を想うと、話は変わってくるのであろう。


今更、独りで過ごしていた頃の自分には戻れまい。


「……いや、」

「うん?」

「今は、分かりませんね…」

「え?今?」


ヒロインは、今度は不思議そうな面持ちで再び俺を見た。


きょとんとするヒロインに、微笑みで返し穏やかに言葉を紡ぐ。



「あなたという女を…知っちまいやしたから」


するとヒロインは一層瞳を丸くしてから、でもすぐに柔らかく細め。


「だいすき」そう言って、また幸せそうな笑い声を漏らした。


一度覚えた幸福な味は、きっともう手放せぬから。


失わぬよう抱き締めて。


「くすりうりさん、あったかい…」

「ふ、俺からすりゃあ、ヒロインさんの方があたたかい、ですが…ね」


今宵も、甘い甘い口付けを。




砂糖付けの日々

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