青空の下、ヒロインを助手席に車を走らせた。


ホロではない紅葉を満喫する為。


東京を抜けしばらく走ると、この時期特有の色に染まる目的との距離は縮み始めた。


棄てられた街で、たくさんのすすきが悠然と揺れる山道。


陽射しを浴び舞い落ちる葉はきらきらとして見えた。


それらを瞳に映す度にヒロインの表情は華やいだ。


「聖護くん、山が近いね」

「そうだね」


此処まで来れば何処を見ても、車も人も建造物も何もない。


在るのは自然だけで、あの統治社会と続いている地だという事実もまやかしのよう。


まるでこの世には僕とヒロインしか存在しないのではないかと思える程の景観。


「赤、橙、黄色、緑、茶色……数え切れないなぁ……」

「なにかな、ヒロイン」

「山の色、すごいいっぱいあって、綺麗だなーって」

「ああ、そういうことか」

「ぬりえとかしたら楽しいかも、紅葉のぬりえ」

「それは……一から風景画を描いてみる、では駄目なのかい?」

「確かに、ふふ、でもなんだかぬりえがしたい気分だったの」

「そう、じゃあ例えば僕がスケッチをして、ヒロインがそれに色を付けるのはどうかな」

「わーそれはすごい贅沢なぬりえになりそう」


東京では味わえぬ景色と、途切れることのない会話を楽しみつつ。


昼近くになった頃、以前は駐車場として使われていたと思われるスペースへと車を停めた。


「この辺りで少し歩こうか」

「うん!歩きたい」


車を降り深呼吸をすれば自然と共存をしている香りが肺を満たした。


ヒロインに目をやると、ヒロインも同じ感覚で満たされていることが見て取れた。


最小限の荷物を持ち、ヒロインの手を取り、道を進んだ。


数分歩いたところで山中へと続く遊歩道の入口を見付けた為辿ることにした。


荒れてはいるが歩けないこともなく。


踏み入ると混じり合う土と葉の香りは更に増した。


ヒロインは足下よりも全体を眺め、綺麗綺麗と終始上機嫌だった。


「――……フ、」

「なあに、聖護くん」

「いや、今はとても楽しそうだけど、昨夜の君は複雑だったなと思い出しただけだよ」


楽しげなヒロインを眺めていると、対のような昨夜の態度がふと浮かんだ。


昨夜ヒロインが読み終えた本の中、主人公の女の恋について。


ヒロインはそれにシンパシーを感じもしたが、相容れない部分もあったらしく、渦巻く感情を持ち考え込んでいた。


僕の本棚にあった本だった故、眠るまで語ることに徹した夜。


「昨日はかなり色々考えちゃった、でももう納得したから大丈夫、」


結局僕と話したことが気持ちの整理に繋がったらしく、そんな夜を振り返ればヒロインは晴れ晴れとした笑みを見せた。


だがその時。


「だって―――人間は、……きゃあ!」


笑顔から一転、肩を竦ませ何かに驚き、僕の服をぎゅうっと握り寄り添ったヒロイン。


そうして何かと思えば、「聖護くん!おばけ!」と怯え始めた。


頭の上には、先程までなかった枯葉が一枚乗っている。


頭上から降ってきたものだろう。


相変わらず目まぐるしく変化する表情に緩く口角が上がった。


「フフ、おばけ?」

「何かが今私の頭を触った、絶対に触った、ここには聖護くんと私しかいないのに…」

「そうだね、二人きりだね、でも自然はたくさんあると思うよ」

「え…?……はっぱ?」


頭上の葉を指先で摘まみ、ヒロインの顔の前で見せる。


「もしかしてこれ?……なんだーよかった」


するとヒロインは怯えの正体に気付きけらけらと笑い始めた。


「それにしても幽霊と勘違いするなんてね、野生の動物が出てくる可能性の方が高い気もするけど」

「そっか、本物の山には動物もいるかも知れないんだよね、でもそれは聖護くんといれば大丈夫な気がしちゃう」

「そう?」

「聖護くんならどんな環境でも守ってくれるでしょ?」

「そうだね、君を見捨てる選択肢だけは見付からないかな」


僕の返答に満足気に瞳を細めたヒロインは密着させていた身体を離し、また前を向き歩き始めた。


そのまま歩くと拓けた場所が見え、昼食を取るのに頃合も広さも丁度いいと思えた。


見上げればそびえ立つ樹々、見渡せば連なる山々も形として見え、ロケーションも悪くなかった。


「聖護くん、あそこでお弁当食べたいな」

「僕も今そう思っていたところだよ」

「やった、じゃあそうしよう」


シートを地面へと敷いて座り、ヒロインが早朝から作っていた弁当を取り出し並べ始めた。


蓋を開ければ風景に負けじと彩り豊かな弁当がヒロインらしく、当たり前ではあるがグソンの作るものとの相違を感じる。


「美味しそうだね」

「ほんと?うれしいな」

「早速いただくよ」


まずは握り飯を一つ手に取った。


耳を澄ませば、何処かで流れる川の音と、名も知らぬ鳥の声が聞こえた。


ヒロインも「鳥の声がする」と言いながら、茶を口に運んでいる。


本当に今、僕とヒロインは二人きりだ。


何の不自由もなく、ただただ穏やかで幸福だった。


ほんの刹那、このまま何もかも捨て、二人で何処かに消えても構わないような幻想を見た。


厭わしいものには目もくれず、海外へ行き生活の基盤を整えたっていい。


だがすぐに追随し過ぎったのは、シビュラに支配されているあの街。


そこには反発の末、自身で仕掛けた様々な遊びがあった。


それらもまた僕にとって同等の楽しみに違いなく、色褪せはしない。


ドローンでの殺人を示唆した金原は始末されたようだが、今は御堂の動向を追うことが興にもなっている。


従って実際に今の生活を捨てきれはしないだろう。


その癖ヒロインにとっての何よりの幸福は、確実に其処へは歩み寄らないと知りながら―――。


「……もしかして、砂糖…?」


ヒロインの声に僅かにはっとする。


握り飯をひとくち口に入れ、咀嚼し飲み込んでも、つい考え込んでいた。


しかしヒロインから見れば、ただ単に手の中の飯を見つめ黙り込んでいることとなったのだろう。


故に今の突拍子もない発言。


「……心当たりでもあるのかな?」

「うそ!ほんとに甘かった?」

「君も食べて確かめてみればいいだろう」

「んー…甘いおにぎりはちょっと…」


わざとらしく視線を逸らしたヒロイン。


追うようにわざとらしく責め立てる口調を作った。


「僕には真っ先に食べさせた癖に、ね?」

「あはは、ごめん、違うの聖護くん、ちゃんと塩で作ったつもりだから甘くしようなんて思ってなくて、」

「なら味見したらいい」


ヒロインの腕を掴み少し強引に引き寄せた。


咄嗟の出来事にヒロインは抵抗する隙すら見つけられなかったようだ。


「…!……んっ…」


唇を重ね、優しく舌を絡めた。


甘いことなど分かりきっている口付けを確認し、元通りの距離を取った。


「もー…いきなりでびっくりした」

「甘かったかな?」

「ふ……うん、とってもあまかった」

「大丈夫、美味しいよ」


僕がしていた思案も、ヒロインに気付かれることなく、今のキスで流れたらいい。


その後も平穏に食事を済ませ、僕がスケッチブックと鉛筆を取り出すと「本当に描いてくれるの?」とヒロインは瞳を輝かせた。


「時間もあるしね、ヒロインも何か描くかい?」

「ううん、じゃあ私は色を研究する為にいろんな葉っぱを拾ってこようかな」

「そうだね、僕が描いても君が着色するまでの時間はないかも知れないから、集めて持って帰るのもいいと思うよ」


これ以上山登りを突き詰めた所で険しくなる一方だろうし、このままの時間を楽しむには此処で経過させるのも悪くないと思えた。


ヒロインは目に見える範囲を歩き、しゃがんでは目星い葉を手に取り、時には陽に透かし観察をしていた。


それから気に入ったものだけを持ってきていた袋に丁寧にしまっていた。


そんなヒロインを横目に景色の輪郭を写していく。


ひたすらに静かな時間が流れる中、突如似つかわしくない音が響いた。


此処にいると異質に感じられる程のそれは、僕の端末がメッセージを受信した音で、確認をすればグソンからだった。


内容は、他人のサイコパスを写すヘルメットの試作品が出来上がったとのこと――。


返信はせずに端末をしまうと、今度はヒロインの端末が鳴った。


「あ、グソンさん……“紅葉は綺麗ですか?”だって」

「僕の端末にも送られてきたけど、チェ・グソンは暇なのかな」

「でも聖護くん今返事しないまましまわなかった?」

「ああ、しなかったね」

「ふふふ、もう、」


ヒロインに送られたものは当然僕が見た内容とは違う。


だがヒロインは「聖護くんの分も返事しとこう」と言いながら、眺望を何枚か写真に収めグソンに送ったようだった。


そうしてもう一度落ち葉集めに戻った。


グソンの仕事は信頼しているし、ヘルメットは帰ってから確認をすればいい。


しかしグソンのメッセージをきっかけに再び燻り始めたのは先程の思考。


あのヘルメットが実用できれば、世間は騒然とならざるを得ず暴動も起きる。


シビュラの支配下で暮らす人類にこの世の在り方を問いたいが故に、バイオテロも視野に入れている。


さすれば必然的に今のような平穏だけを保つことは難しくなるだろう。


決してヒロインを巻き込みたい訳ではない。


だがヒロインが大切に想うもの―――例えば両親や友人は軽率に失わせる可能性があった。


特別に慕うグソンの余命だって保障はしてやれない。


僕が大切に想う人間は、ヒロインだけ。


たったひとつ、大切なものを持っただけ。


それだけ、なのに。


付随させれば想定外に重く、がんじがらめになると知る。


犯罪とは隔離したまま生かしておけるはずだったが、間接的にでもヒロインを傷付ける覚悟が必要となった。


無意識に何度も慰めた泣き顔が浮かぶ。


僕さえいれば最終的に笑っていられる女だと、いつの間にか疑う余地もなくなっていた。


世界がどう転ぼうと隣で生きるヒロインは安易に想像もできた。


だからこそ。―――いや、だからこそ、しかし。


「……っ、痛…!」

「ヒロイン?」


はらり。一枚の葉が落ちる。


先程までの静寂だったならそれが地に触れる音も聞き取れただろうが、不意に零れたヒロインの声に掻き消された。


繚乱を見せ始めていた思考も目の前の現実だけに舞い戻った。


痛覚による声を良いものだとは思えず咄嗟に立ち上がり傍に寄っていた。


「何処か痛めたのかい?」

「見て、聖護くん、これ、落ち葉に隠れてた」


ヒロインの前にしゃがみ、ヒロインが指さす先に目線を落とすと、無数の棘に覆われた物体。


様々な品を扱う廃棄区画でもこのままの状態は見掛けたことがなかった。


「毬栗だね」

「これがいがぐり…!こんなトゲトゲが隠れてるなんてテロだよ」

「ハ……こんな所にもテロリストか…――見せてごらん」


やわな手を取り全体を確認した。


「出血はしていないね」

「うん、痛いと思ってすぐに手を隠したから大丈夫」


安堵する心は、ヒロインに付くのならどんな小さな傷でも憎らしいと、痛感する。


それでも培った思想も所業も、今更どうしようもない。


全ての根源は僕、その事実を伏せたままだとしても。


今後の計画の末ヒロインを傷付ける事態は避けられやしないだろう。


見知らぬ人間が助けを求めたとしても、寄り添う努力をするような女だ。


その上ここから先、生き残ることのできる人間は淘汰されていく。


僕自身想定外の敵と対峙する事態も頭には置いておかなければならない。


もしも誰かが僕に辿り着けるとすれば、命を懸けられる相手にもなる。


対等の人間がこの世に存在するのなら喜ばしいことだ。


それこそ望んで迎える状況になるのだから、身ひとつで存分に楽しみたい。


だが命のやり取りをする、そんな瞬間にもヒロインを連れていたら多大な恐怖を与えた上で、最も危険に晒す。


いじらしく僕を庇おうとする女だからこそ、足手まといにしかならないことも分かる。


この世で唯一大切な命が足枷になるなんてぞっとしない。


ヒロインの傷は僕が癒すことを前提とし行動を共にし続ける行為は、果たして正しいと呼べるのだろうか。


混沌を創り上げる世界で。


僕の欲と、ヒロインの命、どちらが大切かなんて天秤にかけるべきではない。


「………痛みで泣くかと思ったけどね、君は泣き虫だから」

「そうかもしれないけど、これくらいなら聖護くんに守ってもらわなくても平気だったよ」

「そっか…」


そもそも。


どんな場面でも傍に置き続けたいのはただの僕のエゴで。


ヒロイン自身は無秩序が仕上がりを見せた世界でも逞しく生きていけるのではないか。


実際そう確信できる程の知恵と技術は与えてきた。


何よりかねてから孤独も理解できる女だった。


もしも今僕との関係を断たせる為に別れを告げたとしても、時間は要するが立ち直ることだって可能だろう。


むしろ今後を見据えればそれが最善の策になる可能性の方が高い。


――…しかし。


「聖護くん?」

「…うん?」

「そんなに心配そうな顔しなくても、もう痛くないよ」


ヒロインは無垢な笑みを見せ、僕の手を握り返した。


手放したくはない、心底そう思った。


ならばやはり僕が仕掛けた全てを放棄し、二人きりでの逃避行の選択をする。


それができたなら何事もなく平穏は保たれるのだろう。


ヒロインの為だけに。


だがその選択をした時点で僕達の関係は歪み、待ち構えるはおそらく崩壊。


全て僕の身勝手で。


核の真実を隠したまま。


ヒロインを手放してやれない僕を、ヒロインは何処まで許してくれるだろうか―――。


「あれ?」

「…なにかな、ヒロイン」

「あのね、きれいなイチョウのはっぱが……あ、あった」


手に気を取られていたヒロインだったが、何かを探すように辺りをきょろきょろと見回した。


それからすぐに無数の落ち葉の中から一枚を選別し、そっと拾い上げた。


「よかったー、毬栗にびっくりして思わず手を離しちゃったからどっか行ったかと思った」

「そのイチョウの葉がどうかしたのかい」

「たくさんある中でこれが一番きれいなハートの形に見えたの」

「言われてみればそうだね」

「だから帰ってこれを栞にしてね、聖護くんに持っていてもらいたいなと思って」


ヒロインは整った形のイチョウを顔の横に並べ僕の反応を待った。


何処まで許されるか等と呈した疑問すら、何があろうと見限られはしないのではないか、と浅はかな思想で覆すことができた。


裏切られることに慣れた世界で。


この期に及んでもまだヒロインとの関係だけは脆い感情同士で強く結べた。


「聖護くん…?」


きっとヒロインがイメージしていたであろう反応を返せなかった僕を、ヒロインは少し不安げに見つめた。


今そんな顔をさせたかった訳ではない。


今日という一日にも幸福な記憶だけを刻んでほしかった。


「……ヒロイン、」

「うん?……わ!」


ヒロインの両脇に手を入れ立ち上がり、空へとヒロインの身体を掲げた。


驚きから目を丸くさせたヒロインだったが、すぐに笑顔を取り戻した。


樹々の隙間から覗く陽射しと共に楽しげな空気が降り注ぐ。


「軽いね」

「なぁに聖護くん、急にどうしたの」

「いや…ヒロインはこんなに軽いのにな、と思っただけだよ」

「うそ、重たいでしょ」


ヒロインは落ち着かない様子で地面から浮いた両足をぱたぱたと動かしている。


それでも抵抗する気など微塵もない姿に何故か胸が締め付けられた。


「軽いからこんなに易々と持ち上がったんだろう」

「こんなに軽々と持ち上げられるのは聖護くんだけだよ」


そんなことないよ、と浮かびはしたが、そうあり続けたい心が言葉を阻んた。


このまま何も口にできなければヒロインをまた不安にさせると思い、そっと地面へと下ろし、今度は腕の中へ収めた。


こんなに軽くて収まりがいい身体、いっそ栞のように持ち歩けたらどんなに楽だったろうか。


「聖護くん…?今日どうかした?なんだか……いつもより考え事をしてるみたい」

「……そうだね、僕も少し考えていたよ」


抱き締めたところで結果は変わらず、ヒロインの声色には不安が乗った。


気を許し過ぎた故。


油断が招いた抜かりと同罪。


「どんなことを…?」

「夕べ君と話した本のことを、」

「ん…考え直したの?」

「ああ……だが結局結論は変わらなかったよ」


僕が描き。


ヒロインが想う色でできた世界。


恐れるものは悪意など皆無の幽霊とテロリスト。


綺麗なものだけを拾い集め、大切に保存をして。


その全てが砂糖細工のように繊細で甘ったるい。


ヒロインの日常はそんな幸福がよく似合う。


だから。


抱き締めていた腕を解き、真っ直ぐに目を見つめ引用を告げる。


「―――人間は恋と革命の為に生まれて来たのだ」


するとヒロインは今日一番優しい微笑みを見せ、ゆったりと頷いた。


僕とヒロインの心の在り方はいつだって変わらない。


それでいて何処までも自由だ。


不測の事態の連続を予測したところで、ヒロインの立ち位置が変わることもない。


共犯者や人質の類だと誤解される日が来ようものなら何よりも許しがたいだろう。


他人の意志で引き裂かれるくらいならば―――。


「だから聖護くん、これからもずっと一緒にいてね」

「そうだね、一緒にいたいよ」


僕の意志で置いていく。


全てに決着がついたら、ヒロインの待つ家へ帰ればいい。


今までだってそうしてきた、これからもそれでいい。


「……っくしゅん」

「フ…大丈夫かい」

「ふふ、くしゃみでちゃった、真面目な雰囲気だったのにごめんね」


納得をして導き出した答えということは明確。


だが冴える頭とは反して、得も知れぬ息苦しさが纏わり付いた。


それでもヒロインが織り成す全ては例外なく僕の間合いを解す。


「…いや、そこが君のいい所でもあるだろう、それより陽が傾いてきたから冷えてきたかな」

「そういえば…少し寒くなってきたかも」


今度は僕からヒロインの手を握った。


ひんやりとした感触は僕の正気を揺るがすことなく保たせた。


ここでの甘いだけの時間も、もう終いにしなければならない。


「帰ろうか、ヒロイン」

「うん、帰ろう、聖護くん」


繋いだ手は離さずに、来た道を辿った。


僕達が帰る場所はあの街なのだから。


正しく壊した世界でヒロインと生きていきたい。


願わくば、ヒロインの中のこの恋がいつまでも本物でいられるように。




The Setting Sun


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