旧時代のイベント。


クリスマスイブに、ヒロインと呼ばれる女に買われこの家に来た。


クリスマスツリーには似ても似つかない風貌だが、花で飾り付けられ。


ヒロインによって、この家のダイニングテーブルに置かれた。


華やかにクリスマスという日を彩るのみの役目。


それだけかと思っていた。


だが、どうやらそうでもないらしく。


飾られた花こそ除かれはしたものの、クリスマスを過ぎても居場所は変わらず。


あの日から此処で快適な毎日を過ごしている。


もう既に数ヶ月暮らしているこの家に出入りしているのは、ヒロインの他に二人の男。


まずはヒロインが“グソンさん”と呼ぶ人間。


グソンには自宅と呼べる場所が此処以外にあるらしいが、それでもよく見掛ける。


「この家のキッチンの性能が一番いいですしねぇ」なんて言っているのも耳にした。


料理が息抜きにもなる男にとって此処は居心地がいいらしい。


それに何より、ヒロインと関わる時は大概穏やかに笑っている。


故にグソンが此処へ足を運ぶ理由には、ヒロインも大きく関わっているように見えた。


それからもう一人。


ヒロインが“聖護くん”と呼び、心底惚れているらしい男。


おそらくこの家の主で、どんなに美しい花々でも及ばぬ程の美を持ち併せていた。


聖護もヒロインがいれば常に柔らかな雰囲気を纏い。


会話も触れ合いも欠かすことはなかった。


二人共それぞれの意味合いでヒロインを大切に扱っていることは一目瞭然だった。



そんなヒロインがいつだったか「これね、すごい大きくもなるらしいの、だからちゃんと育ててみたいな」と口にした。


だから、きっと、二人にも気に掛けられる。


此処は地下にあるから、いくらヒロインが時折外へ連れ出し日光に当ててくれたとしても、足りなくなる時がある。


するとグソンは日光と同じ役割をする培養ライトを当ててくれる。


そんなグソンを見て聖護は「君はやはり少し、ヒロインを甘やかし過ぎなんじゃないかな」と言う。


グソンは若干呆れつつ「だから、ダンナにだけは言われたくないですって」と返す。



ヒロインのいない空間。



「それにもし、こいつが枯れたらヒロインさん泣いちまうかも知れないですし」

「それはそれで構わないよ、僕が慰めるだけだ」

「…そういやダンナ、ヒロインさんの涙も好きなんですもんね……尚更枯らせませんよ」

「そもそも君のものではないだろう」

「でもいいんです、俺はヒロインさんには笑っていて欲しいですから、なんならヒロインさんの背より大きくしてみせますよ」

「八……まあ…そうなればヒロインは喜ぶだろうね」


そうして聖護も穏やかに微笑みをたたえた。


それはきっと、ヒロインの喜ぶ姿を見越しての表情。


そのまま逸らされることなく見つめられる。


聖護はグソンのように手を出してくることは一度もない。


だがこんな折、真っ直ぐに見つめられることは多々あった。


聖護の視線は不思議なもので。


眼差しを浴びる。


それだけで、葉も枝も、先端まで意識が行き渡り。


凛としていたくなった。



「あー…そういや、ダンナ」

「何かな」

「ヒロインさん、時々こいつの画像データをどこぞの野郎に送ってるじゃないですか」

「そうだね、でも何故、男だと?」


少しの間の後、培養ライトを切ったグソンの雰囲気が微かに変わった。


聖護はさして興味がなさそうに相槌を打った。


現に本を開き目を通し始めている。


だがグソンの言うことに偽りはなく、ヒロインは順調に育つ姿を写真に収め、定期的に誰かに送っていた。


相手の人間も観葉植物が好きらしく、だから見てもらいたいということを、以前に言ってもいた。


そして毎度一言のみのようだが、“少し大きくなりましたね”やら“綺麗に育っていますね”やら、律儀に返信も来るらしい。


そうすれば「やった、褒めてもらえた」などと言って、嬉しそうにするヒロインの姿も何度か見掛けている。



「そいつからの返信はいつも素っ気ないみたいですからね」

「それだけで男と決め付けるのもどうかと思うけど」

「ですが…ヒロインさん、先日初めて不意に相手の名を零したんですけど、」


グソンが次の言葉を発するまでの僅かな沈黙。


ヒロインのいる時に在る感覚とは違う空気が蔓延し始める。


「ギノザ、って言ったんです、今日も宜野座さんに送ろう、って」

「宜野座、」

「それで思い出したんですけど、刑事課に一人、宜野座という男がいるようでして…」

「へぇ…」


刑事課、その言葉には興味を示した聖護。


本からも顔を上げ、グソンの次の発言を期待していることが分かる。


「ヒロインさんの言う“宜野座さん”がこの宜野座とは限りませんけど、それでもあまり多くはない姓ですし、少し調べたら庭園デザイナーの資格も取っているので、辻褄も合わなくはないかな…と」

「そうだね」

「刑事課の宜野座だったとしたら監視官をしているようですよ」

「監視官か……ヒロインの行動パターンは本当に読み切れないな」


ここまで聞き、聖護の口角ははっきりと吊り上がる。


グソンは、考えを読ませはしない琥珀を覗き込んだ。


「対策は講じなくても、宜しいんで?」

「僕達に直接関係がある訳ではないしね、必要ないよ」

「まぁ…ヒロインさんの端末の位置情報は元より弄ってありますからね、発信者情報から此処が割れることもまずないでしょうし」

「ああ、だからこれ以上の干渉は無意味でしかないよ、ヒロインは変わらず気ままに過ごしたらいい」


……また、不穏な単語が挟まれていた。


今日の不穏は軽い方ではあるが。


聖護とグソン、二人きりの会話。


今に限らず、一般では理解し難い単語が並ぶ際、信じられない程に冷ややかな空気が放たれることもあった。


終いには、慣れない鮮血が香ることも。


ヒロインのいない空間―――。



でも、それでも。


「……ダンナ、嬉しそうですねぇ」

「もし本当にヒロインが日常の中で、刑事課の人間とも繋がりを持つ機会があったのだとしたら、」


ますます面白い女だと思うよ、そう言って何処か幼気に瞳も細めた聖護。


今日も聖護は、ヒロインの全てを歓び、受け入れている。


だからこそヒロインは、いつも幸福に満ちて笑えるわけで。


会話の中心がヒロインに戻りさえすれば、いつだって平和だった。


故に問題など見当たらない。


「フ、やっぱりダンナもヒロインさんには甘い、……あ、それに噂をすれば、」

「帰ってきたようだね」

「はい」


二人の視線がリビングのドアへと向くと同時にそのドアは開き。


「ただいまー、聖護くん、グソンさん」とヒロインが、ふんわりと笑いながら入ってきた。


「おかえり、ヒロイン」

「おかえりなさい、ヒロインさん」


二人も柔和な微笑みでヒロインを迎え入れた。


空気は刹那に覆る。


これでいい。


こうして安寧の保たれる此処が好きだった。



「ヒロイン、今日はいつもより少し遅かったね、何かあったのかい?」

「あ、帰り際にね、一緒になった上司の話を聞いてたら、ちょっと遅くなっちゃった」


聖護は立ち上がりヒロインの前まで行った。


「相談に乗ってあげていたんだね、お疲れ様」

「ありがとう、聖護くん」


労いつつ髪を撫でれば、ヒロインは正に恋する乙女と呼べる表情で聖護を見上げた。


「ではヒロインさん疲れたでしょう、今から夕飯の支度をしますけど、今日はダンナと待っていてください」

「でも大丈夫だよ、グソンさん」

「いいよ、ヒロイン、今日はチェ・グソンは緩く仕事をしていたようだし」

「別に手ェ抜いてた訳じゃないですけど……そういうことでもいいですよ、今紅茶も持っていきますから、ね?」

「じゃあ…お言葉に甘えて、ありがとうグソンさん」

「ええ」


グソンはカウンターの向こう側で、早速二客のティーカップとソーサーを出し、準備を始めた。


聖護も、ヒロインと間近で並んで座る為か、ダイニングからリビングのソファへと読書の場を移した。


ヒロインは手洗いを済ませてから戻ってきて、至極自然に聖護の隣へ座った。


定位置だった。


それからヒロインは既に読書を再開していた聖護の肩口へと頭を預けた。


笑顔で振る舞ってはいたが疲労が残っていることも確かなようだった。


聖護に寄り添うことは、ヒロインの何よりの癒しになることを物語っていた。


聖護も理解しているからだろう、わざわざ何かを口にすることはないが、左手で本を支えつつ、右の手のひらはヒロインの左手を絡め取った。


ゆったりとした安堵混じりの呼吸を感じる。


「―――どうぞ、ヒロインさん、」


そんな二人を和やかに視界に収めながら、グソンはテーブルに紅茶を置いた。


グソンの移動と共にいつもより少しだけ甘いはずのアールグレイが漂った。


ヒロインは聖護に凭れていた格好から座り直し礼を告げ、カップを手にした。


「…落ち着く、おいしい、グソンさん」

「それは良かったです」


安らぎと共に頬を緩めたヒロイン。


それからカップを一度ソーサーに戻しながら、独り言のように「ふぅ…今日も充電できた」と呟いた。


それを聞いた二人の満足気な面持ちたるや。


どれだけ耳障りが良かったのかと、思わず感慨に浸る程。


「だがヒロイン、やはり疲れているんなら夜にもっと癒してあげるよ」

「ダンナ…もしかしてそれ、余計に疲れさせるやつなんじゃ……」

「あは、やだ、グソンさん、なんで知ってるの」


ヒロインは冗談めかしてくすくすと笑った。


聖護は何食わぬ顔で、三日月のように綺麗な弧を描いた唇にカップを運び、紅茶を味わっている。


グソンは「やれやれ…」と言いつつも、不満なんて一つもない晴れやかさでキッチンへ戻った。


グソンが背を向けると聖護はヒロインの額に軽くキスをしてから、もう一度本を手にした。


ヒロインは幸せそうに表情を綻ばせた。


それからヒロインも聖護と同じように、持参してきていた本を開き。


それぞれに没頭をして、声のない時間が流れる。


こういったひと時が生まれることもしばしあり、その都度平穏は蓄積されていった。


日頃の流れから、グソンが食事を知らせるまで静かな空間は続くことが予測できた。


だが予想に反し、今夜はそうではなく。


沈黙を破ったのはヒロインの「……ねぇ、聖護くん、」という声だった。


「なにかな、ヒロイン」


ヒロインが声を掛ければ、聖護もヒロインに目線を移した。


大方の食事を作り終え、香り立つ料理の乗る皿を並べ始めたグソンも耳を傾けているようだった。


「これってなんて読むのかな?わからなくて…」

「ああ、……フ、」


ヒロインは読んでいた本を聖護に向け、一箇所を指さした。


どうやら読めない文字に読書を阻まれ聖護に助けを求めたらしい。


聖護は、何処を切り取っても優しさしかない態度と声色で、差し出された本へと視線を落とした。


問題箇所を確認した聖護は、何故か少しだけ嬉々として、ヒロインの顔を見つめた。


「ヒロインはこれを、何と読むと思う?」

「知ってる読み方ももちろんあるんだけど……でもそれじゃない気がしたから聖護くんに聞いたの」

「予測で構わないよ、言ってごらん」

「んー…でも絶対違う気がする」

「じゃあこうしようか、もし正解できたら、明日ヒロインが帰ってくるまでに、ヒロインの好きなあの店のマフィンを買ってきてあげるよ」

「ほんと?」


スイーツに釣られたヒロインは瞬時に瞳をらんらんと輝かせた。


そんな会話を聞いているグソンも、柔らかな息を吐きつつ口角を上げた。


しかしそうまでして言わせたい理由が聖護にはあるらしいが、一体なんだというのだろうか。


二人がヒロインの返答を待つ中、ヒロインの眉尻はほのかに下がる。


そうして小さく首を傾げ、躊躇いながらも発した言葉。


「……コロめる?」


その一言を聞いた聖護の様子を見れば。


望んでいた答えが返ってきたのだとすぐに分かった。


「随分と可愛いらしい響きになるものだね、ヒロイン、緊迫感も一気に薄れてしまいそうだ」

「やっぱり……!だから違うと思ったの」

「少し自称武士のからくりロボットも彷彿とさせるかな」

「あ、確かに、ちょっとワガハイも浮かぶナリ、コロめるナリー」

「フフ、やはり可愛らしいね」


今、聖護自身が口にして解いた、可愛らしい響きというもの。


おそらく聖護は、単純にその響きをヒロインの口から言わせたかっただけ。


おまけにもう一人もまんまと感化させられたらしく。


あと少しで配膳も終わるだろうに、思わず「ああもう……ヒロインさん可愛い……」と漏らしリビングへと足を向けた。


ヒロインの前でしゃがむグソン。


「ヒロインさん、残念、外れちまいましたね」

「ねー、残念、はずれちゃった」

「ですがマフィンは俺が明日買って来るんで、安心してくださいね」

「え!なんで、グソンさん」

「ダンナは正解したらって言ってたでしょう、でも俺は今の答えで買ってあげたくなったんです」

「…チェ・グソン、僕にとってもヒロインの回答はある意味正解だったから、君が口を挟む問題ではないよ」

「あはは、なんで、はずれたのに、二人とも、」


二人の軽快な小競り合いにも、心底楽しそうにけらけらと笑うヒロイン。


結局今も、聖護もグソンもヒロインにはとびきり甘い。



「でも、じゃあ槙島先生、本当の正解はなあに?」

「あれはね、殺めると書いて、アヤめると読むんだよ」

「へー…あやめる、綺麗な響き」

「今の時代、用途としては馴染みのない言葉になっている部分もあるから、ヒロインが知らなかったとしても無理もないよ」

「けどもうちゃんと覚えたから大丈夫」

「だが君に限りコロめるのままでもいいんじゃないかな」

「俺もそう思います」

「ふふふ、もう、だから、なんで、」


ヒロインの心地好い笑い声は絶えることはなく。


予定通り三人で夕食も取り、幸福に包まれたまま、今夜も過ぎていった。



それから数時間後、ヒロインの「おはよう」という声と共に、たっぷりの水を浴び朝を知る。


「行ってきます」と言って出掛けていったヒロインの笑みは、今日もきっちりと守られるだろう。


目の前には、同じショップの箱が二つ。


時間差で並んだそれらの中身は言わずもがなだった。


ヒロインが帰れば、真っ先に箱の存在に気付くはずだ。


そうしてまた喜び、「三人で食べよう」と言えば。


麗らかに咲く幸福は約束されていた。




パキラの独白


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