※幼少期の話が主なので管理人の考える二人の年齢差と、夢主の家族についての記述があります。




今よりも更に無垢な笑み。


呼び起こされたのは、十一を迎える年。


ひとつの記憶―――。



「ダンナ?何見てるんです?」

「ヒロインのご両親に借りたアルバムだよ」


ヒロインの両親が記録した幼児期のヒロインの姿。


デジタルな平面に切り取られたデータの中でも様々な表情を見せている。


帰宅したばかりのグソンだが向かいに腰掛け早々に覗き込んだ。


すぐさま穏やかに下がる目尻。


「へぇ…面影ありますね、幼い頃のヒロインさんも可愛い」

「予想通りの反応だね、君にも見せようと思って借りてきた甲斐があったよ」

「あー……と、その前に、待ってくださいよダンナ、あまりにも自然だったからスルーしちまうところだったじゃないですか」

「うん?」


幼いヒロインに釣られていたグソンだったが、顔を上げ僕を見ると同時に表情から和やかさを抜いた。


神妙なトーンで問われる。


「ダンナ…ついにヒロインさんのご両親にも会われたんですか?」

「そのことか、この間の休日にお邪魔させてもらったよ」


事も無げに返せば、グソンは改めて驚嘆をあらわにした。


グソンの疑問と、この反応の所以は理解できた。


僕自身にとってもヒロインと出逢っていなければ想像にも及ばない行動だった。


発端は、単純にヒロインの両親が僕に会いたいと言ったこと。


ヒロインが実家を訪れた際、「最近ますます幸せそうだけど、何かいいことあった?」と問われ、僕のことを告げた経緯があったそうだ。


「まぁ…娘の恋人に関心を持つのは普通の感覚なんでしょうね」

「それに僕の方も少し興味があったしね」

「ダンナも?」

「ヒロインを造った環境にだよ」

「確かに……それは分かります」


いつまで経っても汚濁を知らぬまま。


無垢と奔放を掛け合わせ生きているヒロイン。


生まれ持った性質もあるだろうが、育った環境も要因の一つに違いない。


両親については、例え適性が出ていなくとも興味を持ったものには触れさせてくれたと、以前ヒロインから聞いていた。


一度対面してみるのも悪くないと思えた。


「どんなご両親でした?」

「僕が合成された物を好まないことをヒロインが伝えてあったらしくてね、母親はわざわざ天然の食材を用意しスコーンを作りもてなしてくれたよ」

「へぇ、レシピを探し慣れない作業をするのは大変だったでしょうね」

「それに父親はこの時代の物ではない紙の本も好むようでね、今まで悪影響を及ぼすかも知れないと家族にも隠していたそうだが、僕の嗜好を伝えた際話のできる相手ができたと喜んでいたよ」


傍らに置いてある本に一度目線を落とした。


僕の本棚と規模は違うが、大切にされていることが窺えるコレクションから、読んだことのない一冊を選び借りてきた。


返す際にはまたあの家を訪問することとなるだろう。


「もしかしてダンナ、既にものすごく馴染みましたね?」

「ああ、なんの問題もなくね」

「貴方の対人スキルの高さには脱帽しますよ、本当に」


グソンの声に視線を戻せば、面持ちは愕然から納得へと変わっていた。


印象深かった出来事を続けて話す。


「それにヒロインが僕が鍛えていることを言ったら、何故か父親に腕相撲を挑まれてね、」

「力比べですか…!ダンナ…それは、手加減とか……」

「しないよ、する方が失礼だと思うけど、違うかい?」

「いや……まぁ…そうかも知れないですね、その正解は俺には分かり兼ねますが…、それで結果はどうでした?」

「何度やっても圧勝だったよ」

「やっぱり」

「そうしたら改めて“ヒロインをよろしく頼む”と言われてね、」

「成程…認めていただいたんなら何よりです」


グソンのこの発言には違和感を覚えた。


ヒロインの両親に認めてもらいに行った訳ではない。


僕の意志で離す気など更々ないのだから、他人に許されようが許されまいが関係なかった。


だがヒロインが嬉しかったと微笑むから、それだけで価値のある行為とはなった。


しかしわざわざ口に出す気も起きず、口角だけを吊り上げ返した。


健全な恋人を演じつつ、犯罪者である事実を覆す気も更々ない。


「……ヒロインさんの為にも、これからも良好な関係を築いて下さいね」

「退屈にならない限りはね、今のところヒロインの両親も嫌いではないよ」


グソンはただ頷いた。


僕の犯罪を全面的に信用した上で。


ヒロインの行く末に在る幸福をひたすらに案じながら。


小さな沈黙が生じ、僕達の視線は再びアルバムへと向いていた。


「――…次のページを見ても?」

「君の好きに見たらいいよ」


グソンがそっとページを捲ると、就学前のヒロインが展開された。


主に笑顔。


時々真剣な眼差し。


そして一枚だけある、泣き顔。


「フ…泣いているのもありますね」

「母親が気に入って飾っておいた本物のガーベラを興味本位で触ったところ、花びらが散ってしまい驚きとショックで泣いていたそうだよ」

「ヒロインさんらしい」


そんなヒロインを愛おしげに眺めたグソン。


両親にとっても愛らしかった故に残っている一枚なのだろう。


大きな瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れている。


拭えもしない落涙に指を伸ばす。


「……ヒロインは覚えていないようだけど、この頃の泣き顔にさ」

「はい?」

「僕も一度触れたことがあるんだ」


そう告げるとグソンは本日二度目の驚嘆をあらわにした。


蘇った記憶を紡いでいく。



―――抜けるような青空の爽快感、平穏な昼下がりのことだった。


心地好いそよ風を感じつつ、本を片手に向かった公園。


広い公園には適度な距離を保ちいくつものベンチが設置されていた。


しかし気候も相俟ってか、辺りを見回しても空いているベンチはなかった。


だが手中の本の続きも気になり、場所を移す気にもなれず。


見回した中、目に付いたひとつのベンチへと近付くことにした。


そのベンチでは、涙を堪える女児が腕白を形容したような男児に絡まれていた。


女児が左端に座っていて、その隣に男児。


今思えば隅に座るこの女児がヒロインだった。


身体の小さな二人の横には僕一人が離れて座るにも充分なスペースがあった。


それにあわよくば退去させることが最も容易な人物像だと思えた。


近付いてはっきりと聞こえてきたのは「何言われてもにこにこしてるバカのくせに」や「ヒロインみたいなバカはしょうがないからぼくがケッコンしてやるんだ」という男児の理不尽な言葉の数々。


想いを寄せる相手ほどいじめたくなるという感情が実在するのなら、繰り広げられているシーンがそれなのだろうと感じていた。


まずは目の前に立てば、二人の視線は自然と僕を向いた。


この頃の背丈は今よりも25センチ程度低かったと記憶しているが、それでも子供には充分な圧になったことだろう。


ぶつかった視線を逸らさずに、にっこりと微笑んでみせる。


それだけで男児はばつが悪そうに口を噤んだ。


おまけに空いているスペースへと腰を掛ければ、急いで僕から目を逸らし、ぴょんとベンチから下りた。


小さなヒロインの手を掴み強引に引っ張った。


「行くぞ!ヒロイン!」

「やだ…」

「ヒロイン!」

「行きたくない、やだ!」


男児を退けることには成功した。


だがヒロインは男児に付いていくことだけは願い下げのようで。


強い意志を感じ、不本意ではあるが助け舟を出した。


ヒロインの手を掴む男児の手首を握る。


「無理に従わせようとするのは良くない、離してあげなよ」

「……」


声を掛けても男児は固まるだけで、僕の存在など見えないかのように無視を決め込んでいた。


だが僕もお構いなしに言葉を続ける。


「それにこの娘、ただニコニコしているだけの馬鹿になんて見えないけど、現に今も泣きそうだ」


ここでヒロインとしっかりと視線が絡めば、潤んだ瞳からは涙が溢れ始めた。


男児は焦って手を振りほどいた。


「ッ……じゃあな、バカヒロイン!また明日な!」


捨て台詞を残し走り去っていった男児。


それに対しヒロインは独り言のように「絶対にやだもん…」と呟き、唇を結んだ。


心底嫌がっていることが汲み取れ、小さく笑ってしまった。


「本当に彼のことが嫌いなんだね」


するとヒロインは力強く首を縦に振りながらも、更に大粒の涙で泣き始めた。


正直面倒事に巻き込まれるのは御免だった。


本の続きと泣き止まないヒロインを天秤に掛け、立ち去る選択をしようとした。


「っ……シビュラがね、」

「うん?」


だが思いがけずシビュラという単語が出てきて留まる。


拙い言葉に耳を傾けた。


「シビュラが、ひまわりぐみの中で、わたしとあっくんの相性がいちばんいいって言ったんだって、あっくんのママが言ってたって……だからあっくんがケッコンしてやるって、」

「だが君は嫌だと?」

「うん」


ヒロインは手の甲でごしごしと涙を拭った。


泣きじゃくり荒くなった呼吸を整えようともしている。


小さな世界で過ごし、将来のビジョンを理解できる訳もない。


提示されたものが全てだと鵜呑みにしてしまうような人間にも不安を抱かせ、影を落とす。


やはりシビュラを完璧とは呼ぶ気にはなれなかった。


「あっくん足が速くて髪型もかっこいいから、みんなには人気だけど、わたしにいやなことばっかり言うもん」

「そっか……じゃあきっと君は優しい娘なんだろうね、あんな横暴な男でも受け入れてやれるとシビュラが認めたんだろう」


システムへの嫌悪を募らせていた僕は、無意識にヒロインを慰めていた。


だが僕の選んだ言葉が難解だったのか、理解しきれていない様子で小首を傾げたヒロイン。


冷静な解釈を求めるのは困難だろうとも感じた。


噛み砕いて伝える。


「シビュラが相性がいいと言ったからって結婚しなくてもいいんだよ」

「ほんとう…?」

「ああ、何もかもシビュラの言う通りにする必要はないと、僕は思うよ」

「……おにいちゃんも?」

「僕はシビュラシステムが大嫌いだからね」


この世界に生きる人間は考えもしないであろうことを、包み隠さず伝えた。


するとヒロインは一瞬きょとんと目を丸くさせてから、泣き顔から一転、頬を緩ませくしゃりと笑った。


「よかったー、わたしもシビュラもあっくんもやだもん」

「そっか」


心底安堵したのだろう。


だが笑顔を取り戻したからといって、涙がすぐに乾くこともなかった。


乱暴に扱われた目元が憐れで、思わず人差し指で触れていた。


指に、丸い頬と湿った涙の感触が残り、不思議だった。


「落ち着くまでここにいるといいよ」

「ん……おにいちゃん、ありがとう」


ヒロインは瞳を細めふわりと笑んだ。


理由の相違は明確だったし、この出来事が明日まで記憶されているかも覚束ない幼さだが、シビュラ敵視を共有した幼女。


隣に居ることが不快ではなかった為、そのまま本を開いた。


するとすぐさま興味津々な様子で覗き込んできたヒロイン。


物理的に距離の縮んだヒロインは、今とは違い、陽だまりの香りがした。


「おにいちゃん、これなあに?」

「これは紙の本だよ」


想定通りの問いに、予定調和のように返す。


数秒静かに僕の手元を見つめたヒロイン。


「ほん………字ばっか!」


本の形態と文章量に驚いたのか、目をまん丸にさせ顔を上げた。


長いまつ毛に未だ付着している雫が瞳の輝きに拍車を掛けた。


「どんなことがかいてあるの?」

「……君にはまだ難しいことだよ」


説明したところで伝わらないだろうが、そもそもこの純粋な瞳に相応しいとは思えなかった。


男が憧れの女を攫い監禁をする話。


「おにいちゃんくらい大きくなったら、わたしにも分かるようになる?」

「どうだろうね、君次第かな」


他人の未来を断言する権限など僕にはない。


導くことはできるが、そこまでの理屈もなく君次第とだけ告げれば、ヒロインは嬉しそうに頷いた。


満足気なヒロインを見届け、もう少しで終わる本の世界へと身を委ねた。


ヒロインは声を掛けてくることもなく、ただそこに居た。


暫くすると、肩から斜めに掛けているポシェットを開け、中から色とりどりの正方形の紙を出した。


僅かに悩んだ末、淡い桃色を一枚選び、残りは再びポシェットへとしまった。


読書を始めた矢先だが、今度は僕の意識が奪われる番だった。


「……珍しい物を持っているね」

「おりがみ、大きいばあばがくれたの」

「大きいばあば?」

「ばあばより長く生きてるんだって」

「ああ…そういうことか…」


一度読書を中断し、紙を折り始めたヒロインの手元を注視した。


たどたどしい手付きだが、迷いはないことから手順もインプットされていることが窺えた。


折り線を重ねられ原型は留めていない紙。


「……できた!」


僕の前に差し出されたそれは折り鶴と呼ばれるものだった。


「鶴が折れるんだね」

「うん!見ておにいちゃん、これ羽もぱたぱた動くの」


角はずれているし、決して綺麗と呼べる代物ではない。


しかしヒロインが折り鶴の尾の部分を引くと、羽が上下に動いた。


僕へと向けて楽しげに羽を操作するヒロイン。


泣いていたことが嘘のように思えた。


「ぶーん」

「ハ……鶴はブーンとは飛ばないんじゃないかな」

「そうなの?……ぴよぴよ、」

「それも違うと思うよ」

「ちゅんちゅん」

「それも違うね」


だが擬音がおかしなものばかりで、気が抜ける。


つい相手にしてしまうし、随分と空気がほぐれたことも分かる。


「僕も聞いたことはないけど、鶴はけーんと鳴くそうだよ」

「そうなんだ!おにいちゃん、すごいね」


ヒロインの手から一度借り、僕も羽を操作しながら知識として持っていた鳴き声を伝えた。


歪であろうと、かさかさと音を立て羽ばたく翼を自身でも確認した。


それから感心をするヒロインの手のひらへと返そうとした。


「はい、」

「ううん、わたしはいらないの」

「うん?」


しかしヒロインは首を横に振り、それを拒否した。


「助けてくれたお礼だから、おにいちゃんにあげる」

「…僕に?」

「うん!いちばん好きな色えらんだんだよ」

「そう……じゃあ、ありがたくいただくよ」


欲する気持ちは1ミリもなかった。


だが突き返す気も起きず、ただの紙屑にするのも違う気がした。


故に本の裏見返し部分へと挟み、優しく閉じた。


その行為に視線を注いでいたヒロイン。


それからもう一度僕の顔をしっかりと見つめて。


「わたしにもこの本がわかるようになったら、おにいちゃんとケッコンできる?」


飛び出したのは思いがけない発言。


はにかむヒロインの面構えには裏も表もない。


在るのは、微かな恥じらいと、上回る無邪気さ。


この頃の僕の何がヒロインに響いたのかは不明だが、小さな頭で思うところがあったのは確かだろう。


「……そうだね、君がこの本に興味を持ち理解できるようになったら、考えるてみるのも面白いかも知れないね」

「いいの!?やったー」


もしも本当にヒロインが自ら、シビュラに間引かれたこの本に辿り着くような人生を送れたとしたら、興味深いと本心から思えた。


それどころか、関心を持たれている今。


シビュラを敵視できる幼女を僕の思考に染め上げる為に、この本のように誘拐してみても悪くないのではないかと、頭を過ぎった。


「――…ひとたび知り合ってしまえば、彼女は僕の美点を認め、僕を理解してくれるはずだった、」

「?、なあに、おにいちゃん」

「……いや、なんでもないよ」


だが、僕に作れないものを産み出せるヒロイン。


僕の思想で支配を試みても、持て余す可能性はゼロではなかった。


もう一度裏表紙を開き、桃色の翼を撫でる。


同時に公園の時計からは十六時を知らせるメロディが鳴った。


「あ……じかん…」

「何か用があるのかな?」

「うん、ピアノのレッスンの日なの」


寂しそうに呟きながらベンチから下りたヒロイン。


この時間も終いになるらしい。


僕と離れ難いと思っているのか、しゅんと効果音が聞こえてきそうな程の落胆を向けられる。


「おにいちゃん…また来る?」

「気が向いたらね」

「ほんと!?」


また来るかとの問いには、曖昧に返したつもりだが、ヒロインにとっては肯定となったようで。


「じゃあおにいちゃん、今日は本当にありがとう」


花が舞うような笑みを取り戻したヒロイン。


ふいに頭を撫でてやりたい衝動に襲われた。


だが自身の感覚がにわかには信じられず、戸惑いの上躊躇した。


当然ヒロインはそんな僕の葛藤など知る由もない。


西陽を浴びながら「ばいばい」と小さな手を振り、知らない場所へと帰っていった。


隣の空いたベンチでひとり。


読書を続け結末まで見届けたところで本を閉じた。


その瞬間、幼いヒロインと過ごした時間も閉じ込めた―――。



「―――…すごい偶然があるもんですねぇ……運命的といいますか……」


話し終えるとグソンはしみじみと驚きを噛み締めた。


「僕も思い出して驚いたよ」

「ていうかダンナ忘れてたんですか?結構インパクトのでかい出来事だったと思うんですけど」

「結局は婚姻が記憶の軸となっていたんだろう、興味がなかったし、他に面白いことを探す日々の方が充実していたからね」

「じゃあその後公園へは…?」

「足を向けることはなかったよ」


結果的にあの時ヒロインを逃がし、その後も会いにいかなかった選択は正しかったと言い切れる。


当時の僕がヒロインを攫っても、繊細に愛でる術は持ち合わせていなかったし、ヒロインもまたそれを受け止める器を備えてはいなかった。


「ダンナが来なくて、ヒロインさんがっかりされたでしょうね」

「それはどうかな、実際ヒロインも覚えていないようだし」

「まあ…この幼さなら忘れちまうのも仕方ないですかね……、あ、帰ってきたようですよ」


グソンはヒロインの記憶から忘却されている事象を、幼かったから、と踏んだ。


一理あることは確かだった。


だが僕はそれだけではないと感じている。


「ただいまー、聖護くん、グソンさん」

「おかえり、ヒロイン」

「おかえりなさい、ヒロインさん」


いつも通り柔らかな雰囲気を纏い帰宅したヒロイン。


「あ…!私のアルバム、二人で見てたの?」

「ええ、拝見させてもらってます、この頃のヒロインさんも可愛いですね」

「ほんと?照れる、でもありがとうグソンさん」


すぐに僕達の間にある物に気付き、口にしながら僕の隣へと座った。


それから改めて僕の顔を覗き「どんな話してたの?」と聞いた。


「君と僕の将来についての話だよ」

「そうなの!?将来?…どんなこと?」


将来という単語に反応を示し、ヒロインは相も変わらず混じり気のない瞳で期待を込めた。


だが僕の口から過去へのヒントを与えるつもりはなかった。


「……大人になったヒロインには秘密だよ」

「え!?すごい気になるんだけど」

「教えてあげない」

「えー、なんで、……ふふ、しかも聖護くんちょっと拗ねてない?」


おそらくヒロインにとって、あの日僕と過ごしたような時間を送ることは、僕以外の人間であっても日常だったのだろう。


故に埋もれてしまったはずの僕との記憶。


婚姻をねだるような相手が僕以外に存在したかどうか探る気もないが。


なんだか少し妬けるから、記憶の紐解きはしてやらない。


「グソンさん、聖護くんが拗ねてる」

「ダンナが言わねェことを俺の口から伝える訳にはいきませんが……ヒロインさんはこのまま読書を続けていけばいいと思いますよ」


わざとらしく困り果てた表情を作りグソンに助けを求めたヒロイン。


グソンは僕にもヒロインにも譲歩して、記憶の欠片のみを渡した。


「読書を?」

「そうだね、ヒロイン、此処にある本は全て読みたいと思うかい?」


事実この家の本棚にあの日の出来事は眠っている。


ヒロインが飽くことなく向き合い続ければ辿り着けることは確約されていた。


自らが作り出した折り鶴は糸口となるに違いない。


「もちろん読みたいよ、」


最も重要なヒロインの意志も変わらず。


「少しでも聖護くんに追いつきたいから」


そう言って見せた偽りのない微笑みが、あの日のヒロインと重なった。


あの日、触れることができなかったヒロインの髪を優しく撫でる。


歳月を経て手に入れることのできた距離。


互いにこうして成長できたことを、ただただ愛おしく想った。




早熟ティアドロップ


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