構わないと思ってはいたが、わざわざこちらから都合を合わせることもしなかった。 故に泉宮寺の元へヒロインを連れていくことの実現は先伸ばしになっていた。 そんな折、ヒロイン宛に届いた一通の手紙。 今時珍しい封書で、invitationと書かれたそれは、帝都ネットワーク主催で行われるパーティーへの招待状だった。 毎年この時期に、交流のある人間に泉宮寺が声を掛けているものだ。 僕も泉宮寺と知り合ってからは毎年顔を出していた。 ただし僕の場合は無条件というわけではなく。 「気になる人間がいたら好きに使ってくれて構わないよ」と告げられた上で、使い物にならなくなったら獲物として泉宮寺の元へ返すことが前提だった。 しかし当然、以前泉宮寺にも伝えた通り、ヒロインはそういった契約には無関係な女だ。 実際顔を合わせてみたところで、泉宮寺には何の利益も生まれない。 だからと言って、僕が許していない言葉を、ヒロインへ告げることを目的としている訳でもないだろうが。 そんな真似をすれば、自身の楽しみまで失うことは重々承知しているはずだ。 それでもヒロインは招かれた。 泉宮寺のヒロインへの興味は褪せるどころか、増している一方ということの現れだ。 おそらく始めは、僕が傍に置いている女への単純な興味だった。 あわよくば、獲物になる日を見込み、品定めも含ませていた。 だが近頃は、ヒロインの持つ影響力を危惧し始めたのではないかと思えた。 僕が飽くことなく、犯罪とは隔離したまま、隣に置いていることへの杞憂。 そう考えることが最も据わりが良かった。 とは言え、どんなにヒロインを愛でようと、僕の根本が変わることはまずない。 やはり泉宮寺にとって、利益も不利益も生じない。 杞憂は杞憂に過ぎなかった。 故に、犯罪を根底として訪れる場に、ヒロインを連れていく理由は一つもないのだが。 招待状を見た瞬間に瞬いたヒロインの瞳。 「聖護くんと一緒に行ってもいいの」と期待を込められ。 連れて行かない理由は一つもなくなった。 そうして連れていくのなら、犯罪の香りなどしない華やかなパーティーを、存分に楽しませてやりたいと思った。 当日、ヒロインには家で待っているように告げ、ふさわしい一式を準備し帰路を辿った。 ドレスにアクセサリー、それからパンプス。 ヒロインの為にあつらえた。 各々が収められている箱を手に、寝室のドアを開ける。 僕の装いはタキシードで―――。 「お待たせ、ヒロイン」 「あっ…!聖護くん、おかえりなさい…!」 「ただいま、ヘアメイクは済んだかな」 「ちょうど今……だけど…そんなことより、聖護くんの格好!素敵すぎる」 ドレッサーの前で髪をアレンジすることに夢中になっていたらしいヒロインだが、目が合えばすぐさま僕に見惚れ。 心ごと奪われている時の面持ちで、言葉を発した。 その反応に静かに口角を上げつつ、ヒロインの前まで足を運ぶ。 自身の格好など何だって構わないと思っているが、ヒロインを一層惹き付けられるのなら結構なことだった。 ヒロインの喜びが散りばめられているであろう三つの箱をベッドの上に並べる。 だが未だ僕に釘付けなヒロインの意識。 箱の存在には触れず、僕を見上げたまま。 「聖護くんは本当に何でも完璧に着こなすね…」 「そうかな、…だが、そんなことより、君の方こそまた僕のシャツで寛いでいたのかい」 「うん、だってしあわせ、それに聖護くん脱ぎやすい格好で待っていてって言ったでしょ」 ドレスコードに合わせ髪をまとめておくよう伝え、着脱時に乱れぬよう気遣った。 その結果、ヒロインは僕のシャツを選択したようだが。 そんな姿のヒロインは、いつだって一層愛しく映った。 ヒロイン曰く幸福と安らぎが詰め込まれたシャツ。 一度でもヒロインを包んだ事実があれば、次回自身が着用する際にもその感覚は伝染をした。 「…確かにこれなら脱がせやすいけどね」 言いながらボタンを一つずつ外していくと、ヒロインはくすくすと笑い声を溢した。 無防備さに柔らかなため息を吐きつつ、全てのボタンを外し終えた。 前をはだけさせた状態で、まずは一つ目の箱を開ける。 「……聖護くん、これ……」 「君のだよ」 中身に気付いたらしいヒロインの意識も、やっと僕以外に追い付く。 ドレスを手に取り広げて見せた。 「わぁ…!かわいい!」 「着せてあげる」 深い赤色をしたベルベットのドレス。 眩い視線を送るヒロインの手を取り立たせ、シャツを落としてから、袖を通させた。 ファスナーを上げる為に後ろを向かせる。 「綺麗な色…」 「そうだね、僕も好きな色だよ」 ヒロインは俯き、ドレスをまじまじと眺めているようだった。 背後に立っているから顔は見えないが、感激をしていることは見ずとも分かった。 上品に開いた背から、滑らかに繋がるうなじに、軽く唇で触れてから。 次はアクセサリーの箱を開ける。 「これも私の…?」 返事の代わりにネックレスをそっと留めてやれば、ヒロインは首を回し潤んだ瞳で僕を見上げた。 想定通りの表情だった。 「ありがとう…聖護くん」 「よく似合っているね」 目が合ったついでに身体ごとこちらを向かせ、ネックレスと共に在ったイヤリングも耳朶に飾った。 身を委せ、うっとりと僕を見つめているヒロイン。 今すぐキスの一つでもしてやりたい気分だ。 おそらくヒロインも望んでいる。 だがまだ完成ではなかった為、互いの欲を交わらせることは、あえて避けた。 「もう少し待てるかい、ヒロイン」 「…キスしたいって、ばれちゃった?」 「分かりやすいからね」 「あはは、うそ」 ヒロインの頬を指の先で撫でてから、もう一度スツールに腰掛けさせた。 今度の箱の中身はビジューできらめくパンプス。 アッパーだけでなく、ヒールまで透き通る宝石が施されていた。 それを左手にヒロインの足元で跪く。 小さな足にも右手を添え、パンプスに収めるよう促した。 見上げれば、感極まった様子のヒロインと視線が絡む。 きらめきが瞳の中で揺れている。 「……しつじさま…」 「うん?」 「なんかね…とても贅沢な執事さまにお世話してもらってる気分……」 「フフ、執事か……まぁ、これくらいのことならいつでもしてあげられるから、君専属の執事にだったらなれるよ」 両方の足に輝きを纏い、僕の台詞にもときめき。 「さあ、ヒロイン、完成だよ」 「…ありがとう……」 感情を言葉にしきれない様子のヒロインを再度立たせ、全身が視界に収まるよう眺めた。 脳内で描いていた形が相違なく具現化された姿は、清々しさを僕に与えた。 「でも、どうかな…?聖護くん」 「うん…いいね、思い描いていた通りだよ」 「ほんと?こんなに高価そうなものを一度に身に付けたことがないから、ちょっと心配もあるんだけど…」 確かに今ヒロインを彩っているものは、一般的には高級品と呼ばれる代物ばかりだった。 だが目の前のヒロインは一切見劣りせず、全てを優に着こなしていた。 それでも、満ち足りて瞳を細める僕とは裏腹に、眉尻を下げるヒロイン。 「その顔も可愛いけど…」 「ん?」 「自身で確かめた方が早そうだね」 ドレッサーにある鏡では全身を写すことは不可能だった為、空間に姿見を投影した。 三面鏡になっているそれの前にヒロインを立たせる。 すると、どこか不安げだった表情が一転するのに時間は要さなかった。 「――…ほら、」 「…ぁ……すごい…!」 「すごく綺麗だよ、ヒロイン」 ヒロインの後ろに立てば、鏡越しに目が合った。 鏡の中で会話を続ける。 「こんなにしっくり着こなせてるなんて思わなかったんだけど…本当にありがとう、聖護くん」 「君に映えるものを選んだんだ、間違えるわけないだろう」 何処から見ても落ち度のない自身の姿に納得したらしいヒロインは、改めて僕の方へ向き直った。 「聖護くんは、魔法使いだね」 「今度は魔法使いか……」 魔法使いと口にするヒロインの表情からは、僕と同等に満たされたことが見て取れた。 同時にヒロインの脳内に浮かんでいる童話を察した。 「…しかし…僕が魔法使いならば、ヒロインのその格好は一体誰に見せる為のものなんだろうね?」 僕がその立ち位置ならば―――と思い、少しからかうように投げてみた問い。 すると高いヒールのおかげでいつもより近付いているヒロインは、すぐさまふわりと頬を綻ばせ。 僕の目を真っ直ぐに見つめ。 「そんなの一人しかいないよ、」 ―――王子様、と言いながら、僕の首に腕を回した。 耳許で紡がれる言葉は大層優しく響いた。 ヒロインの背に腕を回し、緩い力で抱き締め返す。 「…執事だったり魔法使いだったり王子だったり…忙しいな」 「ふふ、大変?」 「いいや、まったく」 即答をすれば、ヒロインは穏やかな音で再び「ありがとう」と言い、それから「大好き」と言った。 ヒロインはこうして何度も感謝を口にするが、僕は自身の意思に従い行動をしているだけなのだから、礼を言われるようなことをしている自覚はなかった。 それどころか、僕のこの意思を強制とすることなく受け入れ、自然と存在を認めているヒロインに心地好さすら感じている。 だがヒロインは、ここまで想われていることにはおそらく気付いていない。 それでいて、ひたすらに僕への想いを募らせ続ける。 その為生まれるのは僅かな誤差。 だからそれを埋めるように、僕はキスを降らせた。 唇を割り、誘われた舌に舌を絡めながら、やんわりとベッドへ押しやった。 後退りながらもベッドに足が触れると、ヒロインは力が抜けたように、すとんと腰を落とした。 必然的に上目遣いになる澄んだ瞳に、無意識に翻弄される。 「っ……はぁ……しょうごくん……、」 「何かな、ヒロイン」 「ん…っ」 何かなと聞きつつも、ヒロインの返答は待たずに。 離れてしまった温度を追い掛け、隣に座り厭きもせず唇を重ねた。 綺麗な曲線を描く腰に腕を回し捕らえ、甘い吐息を堪能する。 ここまでするつもりもなかったのだが、着せたばかりのドレスが煩わしくなることは摂理でしかないだろう。 ドレスの上から、脚の形を辿りながら撫で、押し倒すつもりで、まずはパンプスを片方脱がした。 だが、ここで。 「まって……しょ…ごく……、」 ヒロインが抵抗を見せ始めた為、名残惜しいが一度唇を離す。 ヒロインが時刻を気にしていることは、ヒロインの性格を理解した上で、聞かずとも推し量れた。 少しくらい遅れたって構わないけど……、と本心を独り言のように言いつつ、悪足掻きでも試みるよう抱き締めた。 だがやはり、僕の腕に密に収まるヒロインは、だめだよ、と小さく笑った。 空気は途切れる。 ぽんぽんと頭を撫でてから、ヒロインを腕の中から解放する。 パンプスを拾い、先程と同じように片膝をついた。 「―――…ヒロインが思い浮かべていた童話の王子、」 「うん?」 言葉を交わしつつ、再度パンプスを履かせる。 ヒロインの足はまた、すんなりとそれを受け入れた。 「グリムが描いたものでは、階段にピッチを塗り靴が脱げてしまうよう罠を仕掛けていたそうだよ」 「そうなの?知らなかった、…じゃあ、聖護くん…もしかして、このパンプスも……?」 わざとらしく僕を追及するような口調を作るヒロイン。 この女を見ている時に限り、浅はかな策略でも企てたくなる気持ちが分かるのだから手に負えない。 だが今はもう、これ以上を強いるつもりもなかった。 「フ……さあ、どうかな」 「え…!聖護くんにそんな風に言われると、本当に罠がありそうな気がしてきちゃうんだけど」 罠と言われ、意味ありげに口角を吊り上げれば、ヒロインは楽しげに笑った。 だが、今のキスの熱が体内で燻り、そのうちに僕が恋しくなることは間違いなかった。 ヒロインとはそういう女だ。 だからそれが罠になる可能性は大いにあった。 ただ、今はつゆ知らず、笑っていればいい。 「そろそろ行こうか」 「ありがとう、聖護くん」 手のひらを差し出せば、淑やかに置かれたヒロインの手。 どこまでも予定調和で。 僕の役割が、執事だろうと、魔法使いだろうと、王子だろうと。 恋人だろうと、犯罪者だろうと。 ヒロインの立ち位置はいつだって変わらない。 「当然のことをしたまでだよ――だって君は僕のお姫様だろ」 「ん、ふふ、でもやっぱり、ありがとう聖護くん」 重なる手の甲に口付けをひとつ落としてから。 完璧なエスコートを携え、夜の街へと連れ出した。 日付が変わる頃には、僕と二人きりの時間を望み始めるだろうヒロインを、見通しながら―――。 ハッピーエンドの方程式 ← top ← contents ×
|