果たしてどのような女だろうか。


槙島聖護に随分と寵愛されている。


彼ほど頭が良く冷徹な犯罪者は他にいない。


だが恋に堕ちたことにより、平凡な男に成り下がるようなことがあれば、私は女を恨むだろう。


槙島に限りそんな馬鹿げた話は起こり得るわけが無いと信じてもいるが。


ここまで時を経ても尚、槙島の手により、ただただ幸福な生活を送っている女は異質でしかなかった。


そしてそれだけのことに満たされているらしい槙島も―――。


私の楽しみを担っている男に無駄な変化は必要ないであろう。


狩猟のない日々など、考えるだけでぞっとしない。


どのような女か――それにより、持てる限りの策を駆使し、槙島から遠ざけることも視野に入れる覚悟で。


自身の目で確かめる必要があった。


故に招いた今夜のパーティー。


海上にて船を一隻貸し切り、目に届く範囲一面をホログラムで演出。


へどろまみれの海だとしても、リゾート地へと早変わりした。



時間になり船を出せば、既に賑わい始めている会場。


開始時刻から程なくし、主催者挨拶の為前に立ち、ゆるりと口を開いた。


「本日は沢山の方にお集まりいただき、感謝しております」


多くの視線が向く中、見渡せば後方で睦まじい姿。


槙島の腕はヒロインの腰へと回されていた。


当たり障りのない言葉を並べつつ、視界の隅で観察を続ける。


ヒロインについての第一印象は、思ったよりも穏やかな雰囲気を持っているということ。


それはおそらく未だ疑っていた証拠でもある。


槙島がその程度のことで出し抜かれるなど有り得ぬと、頭では分かっていたとしても。


それでもヒロインが、槙島を上回る策略の持ち主で、槙島を翻弄しているのではないかと。


その為瞳の奥にはとんでもない野心を宿しているのではないかと疑っていた。


だがやはりそんな猜疑は砕いて棄てざるを得ない。


この歳まで生き多くの人間を見てきた上で、自身の感性には信頼も置いていた。


ヒロインはこちらが拍子抜けしてしまいそうになる程、柔らかな空気しか持ち合わせていなかった。


「では心ゆくまで楽しんでいただきたいーー」


ーー乾杯、と告げれば、二人はにこやかに視線を交わしグラスを軽く上げた。


あの様子では槙島は今夜、獲物になりそうな人間の物色はしないのであろう。


それどころか私がヒロインを招いた真意を探ることを目的としているかも知れん。


だが私もすぐに動く気はなかった。


立食ビュッフェへと向かう二人を横目に、個々に必要な挨拶を済ます。


その時少し離れた所からだが「聖護くん、私も泉宮寺さんに今日のお礼言いたい」という声が拾えた。


それに対し槙島は「そうだねヒロイン、でも今は忙しそうだからあとで一緒に行こうか」と返していた。


そんな槙島の言葉にヒロインは素直に首を縦に振り、無数に並ぶ料理へと再び目を向けたようだった。


だが視線を流すと槙島とのみ目が合い、いつだって全てを読ませてはくれぬ表情で口角を上げた。


やはりヒロインに対する私の懸念など見透かされているのだろうと思えた。


一通りの挨拶を終え、きりの良い所で二階にある専用の部屋へ向かった。


外から中の様子は窺えぬが、ここからは会場全てが見渡せた。


槙島とヒロインは大方の食事は済ませたようで、今はデザートの並ぶ前で寄り添っている。


私が下にいる間、槙島自身も何人かの人間と話をしていた。


槙島はその都度ヒロインを紹介し、ヒロインも自身の役割を果たしていた。


改めて眺めてみても、槙島の隣で瞳を輝かせるヒロインは終始幸福で満ち足りていた。


その時一人の女が槙島へと足を向けていることに気付く。


地下開発に携わっている女の一人で、こうして会える度に槙島の気を引こうとしていることは伝わってきていた。


だが生憎槙島のお眼鏡に適うことはなく、 業務こそ抜かりなくこなすものの、槙島にとっては退屈な女でしかないようだ。


毎年適度な距離でかわされている女。


先日社内で見掛けた際「調子はどうだね」と声を掛けた。


生真面目に近況の報告を受け、その後「そう言えば槙島君は、」と続けると、すぐさま女の目の色は変わった。


「パーティーで君に会えることを楽しみにしているようだよ」とほらまで吹き、けしかけた。


槙島と語れば盛り上がるであろう本のタイトルもいくつか伝えた。


しかし今年はヒロインがいる故、どう出るか定かではなかったが、けしかけておいた甲斐はあったようだ。


女は槙島の前まで行き、おそらく「会いたかったです、槙島さん」とでも告げている。


心ばかりだが本物のアルコールも用意した為、上気した頬は少し酔っているようにも見えた。


槙島は笑顔を崩さずに返答し、ヒロインも穏やかに会釈をした。


だが女はヒロインを無視し、眼中には槙島しかないようだった。


その様子に槙島は、唇をヒロインの耳に近付け何かを密めいた。


ヒロインはただ微笑み頷いて、独りデザートの吟味の続きを始めた。


同じく独りになった槙島は女にとっては好都合。


女は嬉々として槙島に話し掛け始めた。


大方私が吹き込んだ本の話であろう。



あの女をけしかけた目的は、ヒロインの反応を試すことにあった。



独りになったヒロインは私にとってもまた好都合。


屋敷の使用人を使い、じっくりと話をする為この部屋に呼び付けた。


数分後使用人に連れられ顔を覗かせたヒロイン。


部屋に入るや否や、目が合うと自己紹介をし、頭を下げた。


自分一人呼ばれた理由が分からずに緊張している様子が見て取れた。


だが発せられた言葉に淀みはなく、この空間に怯むことはないらしい。


「泉宮寺さん、本日はお招きくださりありがとうございます」

「なに、緊張することはないよ、ヒロインさん、パーティーは楽しんでいただけているかな」

「はい、とても」


と言いつつヒロインは柔らかく瞳を細めた。


それには槙島と引き離された今のこの状況も含まれていると思うが、偽りは見当たらなかった。


使用人に案内され、二人掛けの丸テーブルの向かいに腰を下ろしたヒロイン。


「失礼します」

「君の話はよく槙島君から聞いているよ、だから私も少し話がしてみたくてね、急にお呼び立てして申し訳ない」

「いえ、光栄です」


役を終えた使用人には席を外すよう目配せをした。


ヒロインを間近で見たところで、最初に感じた雰囲気に見誤りはなかった。


そうして確かに、見目好い部類の女に違いなかった。


だがたかがそれだけで槙島が絆されるとも思えず、掘り下げて行く。


「私の事は、槙島君になんと聞かされているのかね」

「泉宮寺さんとは共通の趣味があるって…、話が合うって聞いてます、あとはナイトゴルフとかされてるんですよね?」

「……いかにも、私も槙島君も部屋でじっとしてばかりもいられなくてね」

「ふふ、泉宮寺さんもそうなんですね」


屋敷の敷地内にはゴルフ場も完備している為、確かに稀にコースを回ることもあった。


ある意味共通の趣味を持っていることも虚言ではない。


しかし当然槙島は核には触れていない。


狩りは深夜にまで及ぶことも多々ある。


それでもヒロインは槙島の話を全てと鵜呑みにできる程、槙島に惚れていた。


「でも泉宮寺さんのお家って本当に大豪邸なんですね、お庭にバーチャルでもないゴルフコースがあるなんて」

「ならば今度ヒロインさんも遊びに来たらどうだね、コースも一緒に回ったらいい」

「いいんですか?ナイトゴルフってボールが綺麗そうだし興味あったんです、…あ、でも私ゴルフ自体ちゃんとやったことはなくて」

「槙島君に教わればいいだけの話じゃないか、彼も君に指導することは厭わんだろう、何なら私が教えても構わないよ」


和やかにありがとうございますと言うヒロインから、私に対する否定的な感情は見受けられず。


警戒心も感じられない。


今まで何度か槙島経由で屋敷へ誘ってはいたが、連れて来なかったのは、完全に槙島の意思のみだろう。


「それにしても……槙島君は君の事を相当大切にしているようだね」

「泉宮寺さんの目にもそう映っているのなら嬉しい限りです」

「なのに今はすまないね―――我が社の人間が、」


言いながら眼下の槙島達に目線をやった。


つられてヒロインも同じ方を向く。


互いの目に映るは、ヒロインではなくあの女が寄り添う槙島の姿。


僅かな沈黙の後、ヒロインが静かに呟いた。


「聖護くん、今日ももててるなぁ…」


だがその言葉にも驚くほど棘がなく。


視線をヒロインへと戻してみたが、二人の姿を見つめる横顔からも、酷く気落ちした様子は感じられなかった。


「…気にはならないのかね、」

「……私以外の女性が聖護くんと二人きりでいること、ですか?」

「端的に言えばそうなるな」


ヒロインも二人から視線を外し、私の目を真っ直ぐに見つめた。


私の問いには若干首を傾げたヒロインだったが。


澄んだ瞳で、すぐさま綺麗に微笑んで。


「聖護くん、人と関わるの好きだし、きっとそういうの気にしてたらキリがないって思うんです、そもそも女子高の先生だし」

「ハハ…それは、もっともだ」

「それに誰よりも大切にしてもらえてることは私が一番理解してるから……ふ、すみません、なんかのろけみたいになっちゃってますね」

「惚気けだって構わんよ、続けてくれたまえ」


自信があるのだろう。


この女の槙島への思考は、槙島が築き上げた賜物だ。


「私にとったらその事実さえ見えていれば良くて、他のひとがどう関わろうと関係ないんです」

「ほぉ…」


ヒロインの台詞は、既に二人だけの世界が出来上がっていることを物語っていた。


ヒロインは幸福だけが映るよう作られた檻の中で悠然と守られ生かされていた。


ヒロイン自身に自覚もなければ、槙島自身閉じ込めておく気は毛頭ないのだろうが。


それでもそれを壊そうと目論見でもすれば、返り討ちに遭うことは図らずも知れた。


「それに、今も聖護くん、“少しだけ待っていて”って言ってくれたから…、私はただ待っていればいいんです」


僅かに照れくさそうにはにかむヒロイン。


これがきっと、先程槙島がヒロインに囁いていた言葉なのだろう。


恋愛とは無縁だったあの男が、器用に飼い慣らしたものだと感心すら覚える。


元より他人の心を扱うことに関しても長けていたのだから、当然と言えば当然か…。


やはり槙島の本質は変わらないのだろうと、確信を持ち始めることができた。


面白味のあることを追求し、その為には惜しまず投資をする。


その癖失望したらあっさりと切り捨てる。


ただ現時点でヒロインは、他とは比にならぬ程大切にされていることも事実。



少し意地の悪い問いを投げてみる。


「だがヒロインさん…槙島君とて男だ、君をこうして待たせている間に、気持ちが変わることもあるかも知れんよ」


しかしそれでもヒロインの空気が崩れることはなく。


愛おしげに、離れた場所にいる槙島を視界に収めているだけ。


「だとしても私、聖護くんが意味のないことをするとは思えないんです、聖護くんが起こす行動は必ず非の打ち所のない理由の上に成り立っていて…」

「……成程、」

「そしてそれを私は正しいと思うだろうから……例えば私が聖護くんに捨てられてしまう日が来たとしても……」


納得しちゃう気がします、と、もう一度私の目を見たヒロイン。


しかし今までの笑みとは明らかに違う。


おそらく想像をして苦しくなった。


こんなにも切なげな笑みを見せ付けられたら、ヒロインに関して疑っていた自分が酷く馬鹿馬鹿しくもなる。


ヒロインの返答は完璧な心酔を見せた。


「いやはや…ヒロインさん、不躾に申し訳なかった、心配せずとも槙島君が心変わりをするようなことはないと、私も言い切れるよ」

「…ありがとうございます」


まずは安堵を取り戻させる。


「だが君にあんな顔をさせてしまったと槙島君に知れたら、槙島君はもう私と遊んではくれなくなってしまうかも知れんな」

「あはは、どんな顔が分からないですけど……、じゃあ内緒にしておきますね、泉宮寺さん」


そうして今度は人懐こい笑顔を咲かせ、ヒロインは唇の前に人差し指を立てた。



「―――君ならば、どんな槙島君でも受け入れて行けるんだろうね」


自然と出た言葉だった。


ヒロインはただ優しく頷いた。



その後ぽつりと一言。


「それに私も受け入れてもらってるし……」


それを発端に、微妙に雰囲気が変化したことに気付く。


「泉宮寺さん」

「何かね」


意を決して口を開いているのだろうと感じた。


同時に槙島側にも変化が起きた。


女がデッキの方へ向け指をさし、更に槙島に凭れるように寄り添い始めた。


酔ってしまったから風にでも当たりたいと言っていることが推測できた。


が、ヒロインは構うことなく言葉を続けた。


「聖護くんが教えてくれたんです、今夜泉宮寺さんが用意してくださったような海が、遠くの国では実在してるって」


告げられた話題はシビュラなど存在しない国の風景。


殺人こそ絡んでいないものの、シビュラの中のみで生活していたら及びもしない発想。


そんな景色まで共有できるのだから、私がけしかけた女ごときが割って入る隙はない。


「それを聞いて私、なんの躊躇いもなく、本物の澄んだ海を聖護くんと一緒に見たいと思ってしまって……」

「今までの話を聞いていれば君のその思考は理解できるよ」


槙島を連れデッキへと行きたがっている女はというと、槙島に支えられるようにして歩き。


だが槙島はデッキへ向かうことはせず、近くにいた給仕ドローンへと女を預けた。


女は驚き槙島と離れることを拒否したが、実際に酔いを感知したのであろうドローンは医務室へと案内する為、否応なしに女を連れ会場を出て行った。


槙島からすれば、これ以上女に付き合ってやる義理はないというところであろう。


それから数秒じっとこちらを見つめた槙島。


外から見える筈もないのだが、やはり見透かされている。


ここまでやって来るのも時間の問題だろう。


「夢物語なのは分かってるんです、本当は考えることすらありえなくて、いけないことですよね」


槙島がやって来るまで、ただヒロインの言葉に耳を傾けた。


槙島の為だけに在るような清らかな思想。


余計な口を挟み、汚すは避けるべきであろう。


もしかするとヒロインは、私がヒロインという人間を図る為にこうして閑談の場を設けたことを、無意識のうちに感じたのかも知れない。


だから今、こんな話題まで持ち出している。


察しも悪くなく、妨げになるような行動を起こすとも思えず。


「でも私は濁らなかった、それは今も変わっていなくて…」


この女の意識は、恋の範疇すら超越し。


「聖護くんさえいてくれれば、ずっとクリアなまま、ずっと幸せです」


崇拝と呼んでも過言ではない。


献身的に槙島の傍にいる女。



ヒロインならば或いは、犯罪者だと知ったとしても、健気に寄り添うのではないか。

よって槙島が、ヒロインの為に無駄な変化を迎える日など来ないと、今度こそ何の疑いもなく言えた。


杞憂に過ぎなかった。



「泉宮寺さん、」

「おや、槙島君」

「聖護くん!」


案の定槙島はこの部屋を定め、ヒロインを迎えにやって来た。


ヒロインの雰囲気は一層緩む。


「勝手に連れていかれると心配になるじゃないですか」

「ハ……それはすまなかったね」


そう言ったところで、槙島とて使用人がヒロインに声を掛けたことには気付いていたはずだ。


そして会場から出て行ったことにも。


気に食わなければ、あの女など放って、その時点でヒロインの後を追えば良かっただけの話。


だがそれをしなかったのは、私の納得いく答えをヒロインが持っていると判断したから。


ヒロインの想いを理解し、返答すら見越した上で―――。


槙島との間には、水面下で様々な言葉が浮かんでいた。


「でも聖護くん、泉宮寺さんといろいろお話できて楽しかったよ、泉宮寺さん話しやすくて、いろんなこと聞いてもらっちゃった」

「まぁ…君が楽しめたのなら何よりだよ」


だがヒロインだけは無邪気なまま。


槙島を見上げ言葉を紡げば、槙島は眉を下げヒロインの頬を撫でた。


「泉宮寺さんも、ヒロインと話して満足されましたか」


槙島の言う満足というのは、わざわざこんな時間を作ってまでの価値。


自分とヒロインに対する疑心が晴れたかの確認だった。


「ああ、とてもいい子を見付けたじゃないか、槙島君」


惜しみなく満足気に答えてやった。


すると槙島はさも当然と言わんばかりに口角を吊り上げた。


均衡は保たれる。



それから槙島は「そろそろ行こうか」とヒロインの手を取り立たせた。


ヒロインはこちらに向き直り一礼をした。


「泉宮寺さん、今日は本当にありがとうございました」

「次に会える日を楽しみに待っているよ、ヒロインさん」

「はい」

「ではまた連絡します、泉宮寺さん」


そうして槙島は再びヒロインの腰へと手を回し。


「ヒロイン、デザートを食べそびれてしまっただろう」「あ、うん、そういえば」「じゃあ今から一緒に食べようか」などという会話と共に部屋を後にした。



「海、か…」


静寂の訪れた室内。


ヒロインとの会話を反芻しつつ、立ち上がり窓際まで進み。


外では広がる景色へと目をやった。


星の光まで吸収したように煌めく海は、ホログラムの産物。


充分過ぎる程に美しいと呼べるが、あの二人の最大の満足には至らない。


軽く溜め息が漏れた。


煙管を取り出し火を点け、しばらくそのまま眺めていた。


すると室内からデッキへと出て来る槙島とヒロインの姿が確認できた。


外は冷えるからか、ヒロインは槙島のジャケットを羽織らされていた。


槙島の手には、色とりどりのプチケーキが乗った皿。


デッキのベンチに並んで座り、槙島がケーキをフォークで差し出せば、ヒロインの頬は綻んだ。


これはこれで至福そのものに見える。



「果たして君達にとって、満足のいく幕引きとは何かね……」


今後の日々。


何らかの終わりが来るまで、この距離を崩さず静観を続けてみたくなった。


ヒロインは夢物語と言っていたが、ヒロインが本気で望めば、槙島は国外だって連れて行くに違いない。


その際、交通手段くらいは用意してやっても構わないと思えた。


吐き出せばくゆる煙越しの二人に、密入国の共犯を誓った。




盲目的イノセンス


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