何故かと問われれば、軽やかに移ろうヒロインの表情を見たい故―――。



「聖護くんグソンさん、だだい……って…えぇ…!なにこれ!?どこここ!」

「おかえり、ヒロイン」

「おかえりなさい、ヒロインさん」

「で…待って…!なにその格好!二人とも素敵すぎるんだけど」


いつも通り仕事から帰ってきたヒロインは、いつもとは違う様子の室内に愕然とした。


無理もない。


今夜はホロで、いつもの雰囲気とは程遠い和室を演出したのだから。


そして僕とグソンは浴衣を身に付けている。


そんな装いの僕達を視界に収めると、更に感情を昂らせたヒロインはその場から動かなくなった。


「ヒロイン?どうしたんだい、おいで」

「こ…腰が抜けそうです…」

「ハ…そんなに驚いてくれたのかい」


もちろん浴衣はヒロインの分も用意してある。


今後の予定のことも視野に入れ、帰宅したらそのまま着替えさせる算段だったが。


こうなると落ち着かせることが先決だろうから腰を上げ手を取りに向かう。


間近でも僕を見たヒロインはあからさまにときめいた表情になった。


「歩けるかな」

「ん…ありがとう、聖護くん…」


ゆっくりソファまで連れていき座らせれば今度は瞳に涙を溜め始め。


「やばい…なんか泣けてきた…」

「フ、どうして?」

「だって聖護くんとグソンさんかっこよすぎて…この部屋にも合ってて素敵だし…感動してる」


いちいち予想以上の反応を示すヒロインに、早々に満たされていく。


「七夕、だから…なんだよね?」

「そうだよ」


ヒロインは部屋の一角に飾っておいた笹の木に視線を流しながら聞いた。


七夕。


今月に入り、旧時代のイベントとして知識は色々と与えた。


織姫と彦星の伝説を聞かせた時は「切ないねー…」と憂いの表情を見せた。


それから自分に置き換え考えたのか「仕事がんばろう」と言い出したから。


「だが君も恋愛に毒されているからね、いつか織姫と同じ運命を辿ることになったらどうするのかな」と少しだけ苛むつもりで問うた。


するとヒロインは「むり……聖護くんと一年に一度しか会えないなんて考えるだけで無理…!」と本気で落ち込み。


随分と甘えてきた為、普段よりも優しく抱いたのは一週間前の晩のことだ。


一昨日には時折夜空を眺めに行く場まで出向き、二人で天の川を探した。


改めて眺めた所で見えないと思うけどねと前置きはしておいたが、ヒロインはそれでも僕と探したいと言った。


案の定肉眼で確認することはできなかったが、ヒロインが楽しそうにしていたので僕としてはそれで充分だった。


「ねぇ聖護くん、天の川って見えたらきっとすごくキラキラしてるよね」

「キラキラか…どうだろうね、どちらにせよ僕は君の笑顔の方が眩しいだろうと思っているけど」

「あはは、ほんとう?」


そもそも天の川など興味があるわけではない。


ヒロインの笑顔の方が余程輝いている、冗談でもなくそう思えた。


今日もその笑みを見ることができればそれでいい。


その為に立てた計画だった。


古くからの風習が諸々あることも承知しているが、ヒロインが喜ぶことを考え形式を重視した。


「驚かせるつもりではあったが…想像以上に喜んでもらえているようで嬉しいよ」

「良かったですねダンナ、この部屋でも喜んでいただけて」

「うん?ほんとはこの部屋じゃだめだったの?」

「駄目って訳じゃないでしょうけど……ダンナ、今日の為に郊外に畳と縁側のある一軒家を買おうとしてましたからね」

「え!?家を?」

「和室の方が雰囲気が出るだろう、趣は大切にしていきたいんだ、だからここをこうしたんだが……やはりホロでは味気ない、い草の香りもないし、感触だって全く違う」

「またぶつくさ………」

「何かな、チェ・グソン」

「…いいえ、ですが郊外まで行っていたら時間がなくなっちまうって言ったのもダンナでしょう」

「時間?」


この空間にも徐々に慣れてきた様子のヒロインは、僕達のやり取りにくすくすと笑い、小首を傾げたから。


今後の予定を伝える。


「ここの近くに商店街があるだろう、君もよく立ち寄っていると思うけど」

「うん、みんないい人」

「そこでね今日は祭りを開催してくれるそうだよ」

「七夕祭り!?」

「ああ、七夕祭り」


とは言え手配したのは僕だ。


浴衣も準備したのだから祭りにも連れて行ってやりたいという安直な考えが元だった。


数週間前に商店街へ出向き、一日だけ商売を屋台に切り替えてほしいと提案をした。


一風変わったことをすれば単純に売り上げが伸びる場合もあるだろうし、それとは別に報酬を用意することも告げた。


その上ヒロインの名を出せば大半の人間は二つ返事で了承をした。


中には、僕とヒロインの関係を知らずにいたらしく「この人がヒロインちゃんの彼氏!?勝ち目ないじゃん…」等とショックを受けている輩もいたが。


ヒロインの人柄が浸透している事実を実感する出来事ともなった。



「だからヒロインも浴衣に着替えておいで、寝室に置いてあるよ」

「うれしい…!聖護くんありがとう」

「帯は俺がやりますんで、とりあえず左を前にして羽織ってきてくださいね」

「はーい、グソンさんもありがとう」


そうしてヒロインは浮かれ足で一先ず部屋を出ていった。


暫くすると浴衣に合わせ、髪もアレンジしたヒロインが戻ってきた。


まだ帯は巻かれていないが、ヒロインを想い選んだ浴衣は、とてもよく映えている。


「聖護くん、これすごいかわいい、本当にありがとう」

「よく似合っているよ、ヒロイン」

「では帯も結びますよ」


浴衣に満足し上機嫌のヒロインにグソンが帯を巻く作業に取り掛かった。


背後では空調の影響も手伝い、笹の葉が微かに揺れている。


それらしくなるよう飾り付けはしてあるが、まだ完成ではない。


ヒロインの短冊も掛けられ役を果たす笹だろう。


「ヒロイン、何か願い事はあるのかな」

「あ…そっか、浴衣と和室の衝撃で忘れてたけど、七夕って願い事をするんだもんね……聖護くんとグソンさんは何か書いた?」

「俺は書かされましたけど…ダンナは、」

「僕は書かないよ、願う暇があったら行動に移した方が早いしね」

「さすが聖護くん」

「運任せの事柄や病など体内の事柄、あるいは他人に関する事柄のように自身では全てをコントロールできない場合もあるだろうけど、」


ヒロインの細い腰にするすると帯が巻かれていく様を眺めながら言葉を交わす。


ヒロインは何か書きたがるだろうと思い短冊を用意しておいたが、僕は何かに願を掛ける等考えたことすらなかった。


何事も自分次第でどうにでもなる。


「そんなものを願ったとしても変化があるとは思えないよ」


例えば今、これから先もヒロインを見守り続けたいと思っていたとしても、願うようなことではなかった。


意義はない。


「それにあんな紙切れ一枚で他人を変えよう等と願うことはおこがましいと思うけどね、…例えば、あのように」


言いながら、笹の葉に吊るしてある一枚の短冊を指さした。


それを聞いたグソンは帯を結びつつも苦笑し言葉を返した。


「…だいたいねぇ、いい年した男に願い事を書けっつー方が間違ってますよ、俺もダンナと同じような考えですし」

「グソンさんが何か書いたの?」

「ええ…どうせだから何か書いたらいいとダンナが言うんで……自分は書かない癖に………、さて、ヒロインさん、できましたよ」

「ありがとう、グソンさん!」

「うん、いいね、ヒロイン」

「正に浴衣美人ですね」


結局ヒロインの願いを聞くに至る前に、着付けが先に済んだ。


褒めてやれば、美しく浴衣を着こなしたヒロインは照れくさそうに、尚且つ幸せそうに目を細めた。


先程ヒロインが僕を見てあのような表情になった気持ちも分からなくないと思えた。


「わ…本物の浴衣って歩き方とかも意識しておしとやかになるね」

「それもホロの浴衣では味わえない風情の一つだろう」


それからヒロインは着付けが崩れないようにか、やや緊張しつつも笹の葉に近付き。


グソンの書いた短冊を見付け、読み上げた。


「グソンさんが書いたやつ…あ、これだね、…あは、“槙島さんが卵と肉も食べられるようになりますように”って書いてあるよ」

「料理の幅が広がるじゃないですか」

「…やはりやっつけ仕事だとしても酷い願いだ、そもそも卵も肉もアレルギーってわけじゃないから食べられないわけではない」

「ヒロインさん、こんな風に他人の意思をねじ曲げるようなことを書くと怒られちまいますよ」

「ふふふ、わかった、気を付ける」

「ヒロインの短冊もここにあるよ」

「うん!ありがとう」


ヒロインは、今夜は座卓と呼んだ方がふさわしいテーブルに向かい「じゃあ私は何を書こうかなぁ…」と悩み始めた。


しかし暫く悩んでも決まらなかったようで、持っていたペンを置き「帰ってきてから書く」と言った。


「落ち着かないみたいだね」

「お祭りも気になっちゃって、早く行きたい」

「じゃあ先に行こうか」

「うん、そうする!グソンさんも行ける?」

「お二人の邪魔でなければ」

「全然!三人でお祭り行けるの嬉しい」


三人で過ごすことは多々あっても、出掛けることは多くはなかった故、そのこともヒロインの上機嫌に拍車を掛けた。


下駄に足を乗せ、商店街へ向かう。


到着をすれば、すっかり祭り会場へと変貌を遂げたそこは普段よりも人で賑わっていた。


そんな光景を目の当たりにしたヒロインは、高揚感を隠すことなく更に瞳を輝かせた。


「すごいね、聖護くんグソンさん!わくわくする」

「好きに見て歩くといいよ」

「うん!じゃあ…あれはなんだろう、射的?」


ヒロインはまず傍にあった射的の屋台に近付いて行った。


覗けばヒロインにとっては馴染みの顔がヒロインを迎えたようだった。


「あ、おじちゃん!こんばんは、今日は射的屋さんなんだね」

「おお…ヒロインちゃん…!浴衣のヒロインちゃんはかわいさ割増だな」

「ほんと?ありがとう、これね聖護くんが用意してくれたの」

「そうかい…、…本当にできた男だな」


普段は雑貨屋を営む男は僕にちらりと視線を流した。


ヒロインが僕に気を遣い心からこの状況楽しめなくなる事態は避けたかった為、多くの手配を僕がしたことは口外しないよう徹底させた。


その結果、今もヒロインに事実を伝えたそうにする視線を感じはしたが、契約が破られることはなかった。


代わりに吐かれた“できた男”という台詞。


それを聞いたヒロインは満足げに笑んで首を回し僕を見た。


僕もにっこりと微笑んで返す。



「ヒロインさん、はい、これどうぞ」

「あ、ありがとーグソンさん」


僕達の視線が絡んでいるうちに、グソンが男から受け取った銃をヒロインに手渡した。


銃と呼ぶには余りにも軽い木製のコルク銃だ。


ヒロインはグソンに簡単な使い方の説明を受けてから、好奇心を含んだ瞳で品物を眺めた。


「ヒロインちゃん、チャンスは五回だよ」

「了解です」

「ヒロイン、何か欲しい物はあるのかな」

「えっとね…じゃああのぬいぐるみ、ピンクベージュっぽいあの子がいい」


ヒロインは何体か並べてある小振りのテディベアのうちの一体に銃を向けた。


早速引き金を引けば、ポンっと軽い音がし、コルクが飛んだ。


しかしそのコルクはテディベアに当たることはなく地面に落ちた。


「難しい…!もう一回、」

「しっかりと腕を伸ばして、中心ではなく上の端を狙うといいよ」


僕の教えに真面目に耳を傾けたヒロイン。


だがもう一度打ったコルクも、品物を掠めはしたが、やはり獲得には至らなかった。


「今ちょっと当たったのに…!…ねぇ聖護くん、一回だけやってみてくれる?見本見たい」

「いいよ、貸してごらん」


ヒロインは自身で得ても喜ぶだろうが、僕が取ってやっても同等に喜ぶはずだ。


その為ヒロインから銃を受け取り、狙いを定め引き金を引いた。


するとヒロインが欲しがっていたテディベアはすんなりと台から落ちた。


「…!すごい!!聖護くん!一回で取れるなんて!かっこいい」

「良かったな、ヒロインちゃん、どうぞ」


望みのテディベアを手にしたヒロインは満面の笑みではしゃいだ。


無条件で愛らしいと感じるのは、無意識の感情だった。


「これくらい難しいことではないよ、きっとチェ・グソンも一発で取れるに違いない」

「グソンさんも?」

「ダンナ……ハードル上げるの止めてくださいよ…」

「あはは、でもグソンさんもやって見せてー」


ヒロインにねだられ、グソンは僕が落とした物の隣にあるブラウンのテディベアに照準を合わせた。


刹那グソンは真剣な面持ちになり、コルクは打ち出され。


「あ…!グソンさんもすごい!」

「だから言っただろう」

「はぁ…、ダンナのプレッシャーに負けずに済みました」

「二人とも本当にかっこいいね」


もう一体のテディベアもきちんと落とされた。


残りはあと一発。


最後はまたヒロインの番だ。


「私も取ってみたいな…」

「だったら手伝うよ」


僕が手伝ったとしても、自分の打ったコルクで景品が落とせれば、ヒロインの得る満足感は変わらないだろうから。


背後に回り、共に景品を狙えるよう、ヒロインの手に手を添えた。


ヒロインは嬉しそうに「お願いします」と言い、案の定僕を拒否することはなかった。


「次はどれにするのかな」

「どうせだったらもう一個…今度は白い子にする」

「あれだね、……うん、ヒロイン、その辺でいいよ、打ってごらん」


ヒロインの手を誘導し、程良い所で固定すれば。


三度目の正直。


見事ホワイトのテディベアも落ち、ヒロインの物となった。


「やった…!私にも取れた!聖護くんのおかげだよー」

「それでもヒロインの功績だよ」

「良かったですね、ヒロインさん」

「だが三体も、何処に置くつもりかな」

「並んでてもかわいいから、みんな一緒に寝室かリビング……もしくは聖護くんの通勤用の車とか?ふふ、槙島先生には彼女がいますって主張」

「フ、まぁ…君が満足するのなら何処に置こうと構わないけど」


本当に嬉しかったのだろう、ヒロインは三体のテディベアを抱き締め嬉々として話している。


穏やかに相槌を打ちながら、次の店へ向かおうとした。


しかしその時。


「わあ、お姉さん、いいなー」

「うん?」

「私もさっきからあのテディベア狙ってるんだけどなかなか取れなくて…」


年の頃は桜霜学園の生徒達と変わらないだろう。


化粧も施されてはいるがまだあどけなさも残る少女に話し掛けられ、ヒロインは立ち止まった。


学園の生徒達と相違があるとすれば、この廃棄区画に馴染もうとする危うい空気を纏っていること。


「でも現金ももうなくて…、これもあと一発なんだ」

「そうなんだ、難しいよね、私も教えてもらわなければ取れてたか分からないし……えっとじゃあ…」


二人の視線はヒロインの手の中のテディベアに落とされている。


中でもヒロインの視線はホワイトのテディベアに注がれていた。


ヒロインの性質を考慮すれば、ヒロインの考えは手に取るように分かった。


ヒロインはそれを少女に差し出そうか悩んでいる。


他の二体は僕とグソンが取った物だから大切にしたいと思っているだろう。


従って差し出すとすれば残りの一体だ。


とは言え完全に一人で得た物でもない。


これが僕と共に狙った物でなければ、ヒロインは考える隙もなく差し出し、自身はもう一度射的に挑んでいたかも知れない。


だがお人好しな部分もあるヒロインだ。


どちらにせよ差し出す可能性は高い。



「ヒロインそれは全て君の物だよ」

「聖護くん…!私の心が読めたの?」

「分かりやすかったからね」

「今のは俺にも分かりましたよ」

「グソンさんにも、」


ヒロインは驚きつつ笑い声を零したが。


やはり予測通りで、今のヒロインの思考は実に読み取りやすかった。


「ヒロインさんが手離すことを考えるくらいなら、ダンナが取って差し上げるのが一番早いんじゃないですか」

「まぁそうなるだろうね、…君はあのテディベアが手に入りさえすればいいのかな」


少女に向けて問えば、少女はこくこくと首を縦に振った。


自身で経験することに意味があるとも思っているが、少女はその過程に重点を置いてはいなかった。


少女のことは全面的にどうでも良かったが、ヒロインが困惑せずに済むならば手を貸すことは構わなかった。


「そう、じゃあ僕が取ってあげるよ」

「いいの!?」


まだ獲得したわけでもないのに瞳を輝かせる少女から渡された銃に、最後のコルクを詰め。


少女が指さすテディベアに向けた。


期待を宿した瞳に見つめられつつ打てば、今回も望み通り仕留めることができた。


「あー!取れたー!!」

「良かったねー欲しいのが取れて」

「うん!超嬉しい、お兄さんありがとう!」


店の男からテディベアを渡された少女は喜びを露にし僕に礼を告げた。


ヒロイン同様に幸せそうな笑顔で。


だとしても僕の心に何かが響くようなことはなく。


ヒロインに対して芽生えるような感情は一切湧かなかった。


むしろ少女と一緒に喜んでやっているヒロインのことは、今も微笑ましく思えている。


この差は何か、と考え出したらきりがなく、思考は複雑に入り組み始める。


だが心を思えば、明快だった。


僕の心はヒロインを特別だと認識している、それだけのことで。


ヒロインに関しては何処までも心に従い生きていくのみだった。



少女と別れ、順次その他の屋台も覗いていった。


ヨーヨー釣り、かき氷、林檎飴と祭りを満喫し終始上機嫌だったヒロイン。


夕飯も屋台で済ませ、綿あめを土産に買った頃には、二時間以上が経過していた。


「ヒロイン、充分楽しめたかな?」

「うん!本当に、とっても楽しかった」

「それは良かった、…じゃあチェ・グソン、僕とヒロインはそろそろ行くけど」

「もうそんな時間ですか」

「後のことは頼んだよ」

「分かりました、ごゆっくり」

「行こう、ヒロイン」


いい頃合いだった為、グソンに見送られ、商店街を後にした。


だが家には向かわずに、人気のない静かな場所を目指した。


ヒロインは不思議そうな顔で僕を見た。


「聖護くん、まだ帰るわけじゃないの?」

「ヒロインに見せたい物があるんだ」

「見せたいもの?」

「行けば分かるよ」

「なんだろう、楽しみ」


祭り独特の喧騒に背を向け歩き、目的のビルへと到着する。


テナントが数件入ってはいるようだが、古めかしく廃れた雰囲気は否めない建物だ。


「聖護くん、ここ?暗いね…」

「怖くはないかい」

「大丈夫、こわくないよ」


だがヒロインは僕の向かう場所ならば、何の躊躇いもなく付いてくるから。


華奢な手を優しく握り直し、屋上へと続くエレベーターに乗った。


屋上へ着き扉を開くと、爽やかな風が僕達の頬を撫でた。


「はぁ…涼しくてきもちいい」

「人混みは暑かったからね」


屋上へ出たことによって、僅かに近付いた夜空。


反射的に空を見上げたヒロインは「やっぱり天の川は見えないね…」とぽつりと呟いた。


今夜天の川を見せることができたなら、きっとヒロインは一層浮かれただろう。


しかし星の光も届かない程に汚れてしまったこの街を一晩で変えることはできなかった。


とは言えヒロインを喜ばせたい気持ちも変わらないから、代わりを用意した。


「だけど、ヒロイン、ああ…ほら、時間だよ」

「ん…?あ…!」


そしてそれはタイミングよく始まった。


ドン、と低重音が鳴り、夜空に散らばる光。


「花火!わあ…聖護くん、綺麗だね!」

「そうだね」


二人きりで見たいと思ったから連れてきたこの場所。


赤、黄色、緑。


様々な色や形をした大輪が夜空に咲き誇る度に、ヒロインの表情を明るく照らした。


ヒロインは思わずというように口許で手を合わせ、彩られた夜空に見惚れている。


僕はそんなヒロインの横顔を眺め、花火の輝きがヒロインの瞳に反射している様を楽しんだ。


二人きりになりたかったのは、その表情を独占していたかったからか―――。



「聖護くん、ここに連れてきてくれてありがとう」

「天の川は見せてあげられなかったけどね」

「ううん…それでも私本当にしあわせだよ」

「良い思い出にはなったようだね」


言えば、ヒロインは満たされたように頷き、うっとりと僕の肩に頭を預けたから。


ヒロインの腰に手を回し、煌めいては消え行く花火を二人で見つめた。


僕もヒロインもきっと、平等に満ち足りただろう。



予定されていた数の花火を見届け。


「さあ、ヒロイン、そろそろ帰るとしようか」

「はーい、とっても楽しかった」


手を引いて帰路に着く。


「でも終わっちゃうとなんだか少し淋しくなるね」

「だが君の七夕はまだ終わりではないだろう」

「え?」

「帰って短冊を書くのではないのかな」

「あ、そうだった、書きたい!」


花火が終わったことには感慨深い面持ちになったヒロインだったが、短冊のことを告げれば意識はあの部屋へと舞い戻った。


家に着くとヒロインは再び座卓へ向かい、早速ペンを走らせた。


悩んでいる様子は、今は見られない。


「願いは決まったのかな」

「やっぱりね、どれだけ考えても、これが一番なの……書けた」


僕もヒロインの隣に腰を下ろし、書き終えた短冊に目をやる。


するとそこには“聖護くんとこれからもずっと一緒にいられますように”と書いてあり。


「…おこがましい?」

「いや…、君らしい」


ヒロインは少し遠慮がちに僕の顔を覗いた。


確かにこの願いならば、僕の気持ちも伴わなければ叶い続けることはない。


だが悪い気はせず、抵抗なく受け入れられた為、首を横に振り答えた。


「だから悩んでいたのか」

「だって人の気持ちのことを書いても意味ないでしょ」

「さっきはそう言ったけどね…、でも君が願うとなると、むしろこの願いでなければ不自然な気もするよ」

「あはは、そうかも」


ヒロインの心の中心を占めるものが僕であることは分かりきっていた。


故にこの願いは順当で。


ヒロインの描く未来を何処まで辿って行けるか。


想えば、日々に期待すら感じて。


「それに、これはね、願いだけど決意でもあるの」

「……決意、どういう意味かな」


無性に抱き締めたくなり、触れようとした。


しかし同時にヒロインも言葉を続けたから、抱き寄せる為の手は止めた。


まだそのままで、耳を傾ける。


「聖護くんは知らない世界をたくさん教えてくれるひとで、聖護くんとの生活はキラキラしててね、」

「ああ」

「本当に毎日楽しい、聖護くんって偉大」

「フ、それで?」


柔らかな口調で紡がれる言葉は流れるように僕の心に届いた。


輝きの粒子が降り注ぐ。


「だからこれからもちゃんと自分の目で見て、考えて、聖護くんの隣にいられるような私でありたい、そんな決意」

「そう…、いいと思うよ」


目を見て微笑めば、ヒロインも嬉しそうに頬を緩ませた。


その笑み、その言葉。


どれを取っても、今宵の出来事の対価に見合うものだと思えた。



それからヒロインは「じゃあ飾っちゃうね」と言って立ち上がり、笹の葉に短冊を吊るした。


その姿を見届けて、やっと後ろから抱き締めることができた。


「ん…聖護くん?」

「…僕も、目まぐるしく変化する君には日々楽しませてもらっているよ」

「ほんと?」

「ああ、本当だよ」


ヒロインの纏う幸福な色を感じつつ、うなじに口付けをして。


「だが今日まだ見ていない表情もあるね」

「ふ……聖護くん、それは毎日見ないとダメなの?」


浴衣の合わせの部分から手を忍ばせ、胸元と太股を撫でた。


軽く抵抗するように身動いだヒロイン。


しかしこの柔軟なからだは、僕を拒否することは決してないと知っていた。


「きっと、そうだね」

「ふふ、もう、」



願おうとも、願わずとも。


行き着く先で繋がる輝きは確かに此処にあるから。


赴くままに興じたい。




何故かと問われれば。


軽やかに移ろう表情を、見たい故。




▼60万打企画で書かせていただきました。




ミルキーウェイの散る世界


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