御堂将剛の様子を窺う為、外へ出るにはまだ早かった。


故に、風呂上がり寝室へ行く前のヒロインを呼び止め、口当たりはいいが度数の高いカクテルを勧めた。


少し酔わせて、出掛けるまでの間、反応を楽しみたかった。


カクテルは案の定ヒロインの口にも合ったらしく、ハイペースでグラスは空になった。


時折「色もきれい…」と言って見惚れる瞳にも、徐々に夢心地があらわになっていった。



そうして、今。


おもむろにヒロインが立ち上がったかと思えば、対面の形で僕の膝に跨り。


とろんとした目付きで僕を見つめた。


当然、邪険にすることはなく、腰に手を回し受け入れ、ヒロインの振る舞いを見守った。


馴染む温度の手のひらが頬に添えられたかと思えば、柔らかな唇が「…しょーごくん、キスして」と静かに動いた。


ヒロインに与えた酒のように甘ったるい声。


これにも快く応じ触れるだけのキスを何度も繰り返した。


後に、舌を誘い吐息を貪るようなキスへと移行させた。


だが僕がこれから家を空けることを承知した上でキスをねだるなど、やはり酒が回っている証拠だろう。


しかも歯止めが効かなくなるようなキスまで、無抵抗で許すことは素面のヒロインからは考えられない。


僕が素直に引き下がるかは別として、冷ます術もないのに身体だけが熱を帯びたまま過ごさなければならないことは避けたがる。


なのに今夜はそんな素振りも見せずに、ひたすらに欲している。


しばらく堪能したところで唇を離してみれば、ヒロインの瞳は一層潤み、全てが艶めいて見えた。


酔った影響で、「行かないで」とでも言い泣き出しそうな面だと思った。


この表情が見たかった故に酔わせた気もして、まるで満点の回答の照合が済んだ気分だった。


「…ヒロイン、」

「ん…」

「いい子だね」


小さな後頭部に右手を回し、髪を撫でつつ抱き寄せると、ヒロインは僕の肩口に顔を埋めた。


耳許では呼吸を整える音。


空気のように在る「聖護くんすき、大好き…」の囁きは、何度聞いても色褪せることはなかった。


耳朶を甘噛みされれば、軽く笑い声が漏れる。


「……ね、しょうごくん…」

「ハ……何かな」

「…どうしても、行かなきゃだめなの…?」


か細い声で、今度は珍しく小さな駄々をこね始めたヒロイン。


出掛ける用を引き止められることはかつてなかった。


「約束をしているからね」


厭ではない。


おそらくヒロイン以外に問われたら面倒以外の何物でもないのだろうが。


厭ではない、無性にそう感じた。


それどころか愛おしくすら想え、抱き寄せる腕に僅かに力を入れる。


そうすることでヒロインも多少は慰められるのではないかと思った。


このまま泣いて甘えたっていい。


だがヒロインは、押し返すように腕の中で微かな抵抗を見せ、顔を上げた。


改めて目が合ったヒロインの表情は、何故か。


「……ほんとうは、」


泣きそうではなく、不機嫌そうなものに変化していて。


僕を見据える瞳からは不満が読み取れた。


「うん?」

「…本当はおんなのひとと会うの?」


疑心に満ちた問いも突飛で、想像とは違う展開になってきたようだった。


しかしこれはこれで面白いと感じる。


「何故そんな風に思ったのかな?」

「だってあんなキスをしておいて…そのままなんて、我慢できるわけないでしょ」

「そういうことか…、だが本当に女性と会うわけではないよ」


御堂将剛が今晩殺したであろう男を解体する様を見に行く、とわざわざ告げる必要もないが。


ヒロイン以外の女を抱きに外へ出る気など毛頭ないのだから、ゼロへの杞憂だ。


「今から会うのは御堂君――御堂将剛といってね、面白いことをしているから今度ヒロインにも会わせてあげるよ」

「みどうさん…?」


ヒロインが望むのならば、会わせることは容易い。


そう思い伝えたことだった。


その上でヒロインにあるのは、素直に頷くか、はたまた首を横に振り拗ねた態度を続行させるか、の二択だろう。


しかし返ってきた反応はそのどちらでもなく。


「だったら聖護くん、みどうさんはイケメン?」

「…僕には君の言うその基準は分からないけど……」

「聖護くんと似たような顔立ち?」

「僕とは似ていないよ」

「んー…じゃあ、いい」


結果的に後者ではあるが、この返答はわだかまりも残る。


僅かに眉間を寄せてみれば、ヒロインの不機嫌は崩れいたずらに表情を溶かした。


「……君好みの顔の男だったのなら、会ってみたかったのかな」

「ふふ、どうかな、ないしょ」


完全に僕にもたれ今度はくすくすと笑い始める。


もうそろそろ家を出ようと思っていた時刻だが。


こうなってくると僕の方がこの状態のヒロインを置いて出掛けにくくもなる。


「はあ……そもそも、ヒロインだって、」


あんなキスをしておいてセックスはしなくて平気なのか、とヒロインは膨れた。


だが、だったら同じことが言える。


あんなキスをさせておいてセックスはしなくて平気なのか。


「ぁ…ッ……や……」

「あぁ…やっぱり……」


肌触りの良いショーパンの隙、太ももの付け根をなぞり、ショーツの脇から指を侵入させる。


すると充分に潤った感触は、いとも簡単に僕の指を受け容れた。


熱くとろけそうな中で、そのままゆるゆると指を動かせば、淫らな水音が漏れた。


「僕は切り替えができるけど、ヒロインのこの状態は、どうするつもりだったんだろうね」

「へ…き……だも、ん……」

「…ふぅん………そんな風に強がって、ヒロインの方こそ僕が出掛けた後、どこかの男に抱かれる予定でもあったんじゃないのかな」


揶揄を、少し冷たく言い放ちながら、指の動きを止める。


その言葉に反応したヒロインはもう一度僕の瞳を見つめ直した。


それから喘ぎの余韻を収めつつも、再び妖艶に微笑み、「……内緒」と密めいた。


全く怯む様子のないこの女は、僕が自分以外の身体を求めるようなことはないと、おそらく本能的には理解している。


反応を楽しんでいるのはお互い様ということか。



「…でもヒロイン、さすがにこの時間帯に独りで出歩くのはお勧めしないよ」


溜め息を吐きつつ、指の動きを再開させる。


だがヒロインはこれも、僕が本当に呆れている訳ではないことを知っている。


愉快だった。


「……ふ、外へ出るばかりが、能じゃないでしょう?……ッ……」

「ああ……だとしても、この家のセキュリティは万全だから、侵入者も許さないけどね」


元から組まれていたプログラムだって、いつしかまるで、宝物でも閉じ込めておく為のもののよう。


しかしそれでも此処は、何処よりも自由だった。


「もぅ、……どうしたら、いいの」

「僕の帰りを待っていればいいだろう 」

「…んっ………まって…、しょ…ごくん……!そんなにしちゃ………!」


ヒロインの良がるところを攻めていた指を一層早める。


このまま一度絶頂を迎えさせてやろうかと思った。


しかしそんなタイミングで、 隣に置いてある端末から新着メッセージを知らせる音が鳴る。


目をやると記されていたのは、殺した、の一言だった。


いよいよ時間切れだ。


ヒロインもすぐに察したようで、身体に入る力加減が変わった。


既に僕に全身を委ねようとはしない。


あんなにとろけそうになっていた癖に、弁える余地が残っているのなら、もっと意地悪く触れておくべきだった。


「はぁ……こんな状態でやめてしまったら、ますます君は人肌恋しくなってしまうね」


ゆっくりと引き抜いて、ヒロインの蜜で濡れた指にいやらしく舌を這わせた。


その動作に頬を染めつつも、不服そうにするヒロイン。


またむくれ始めてしまった。


達する寸前でお預けを喰らったのだから、相当もどかしいことは確かだろう。


「いい子にしているんだよ」

「…聖護くんこそね」

「フフ、僕も?」


宥めるように髪を撫でる。


するとヒロインも素直に僕の肩に額を預けた。


かと思えば、首筋に暖かで柔らかな感触が触れて。


ちくりと小さな痛みが疼いた。


それは幾度となくヒロインの身体には残しているもの。


露骨な独占欲と呼ぶには言葉が足りない。


決して縛りたい訳ではないのに、愛しさが溢れた結果には心当たりがあった。


「聖護くんも、いい子にできるおまもり」

「お守り、ね……、必要ないけど、大切にするよ」


うん、と、少し淋しげに零すヒロインの臀部を支え立ち上がる。


ヒロインは言葉を発することもなくただぎゅっと僕にしがみついた。


そのまま寝室のベッドまで運ぶ。


大切なものを更に深い場所へと閉じ込めておきたくなるのは定石だろう。


そっとベッドへと横たわらせれば、泣き出しそうな面が舞い戻っていて。


手を伸ばしたヒロインの細い指に、指先が絡め取られる。


おまけに「本当に行っちゃうの……」なんて台詞を吐くから。


どれだけ掻き乱せば気が済むのか。


一瞬でもこのまま連れて行こうなんて考えた自分がどうしようもなく愚かしかった。


だがとてつもなく人間らしい気もして、何処か安堵もあった。


「聖護くん…」


僕からの返事を待たずにヒロインは、僕の手首の内側に二つ目の跡を残した。


どれだけ共に過ごそうと飽くことはなく。


ひたすら欲しい。


だが互いにセーブする術も持っていた。


しかし酔い痴れたヒロインからはそれが消えただけの話だ。


おそらく日頃から心根にはこんな本音も存在しているのだろう。


「ヒロイン、」

「んー…?」

「酔っていなくたって、今日のようにもっと甘えればいい」

「甘えてるわけじゃなくて、ふてくされてるの」

「フ…そっか……どちらにせよ僕にとっては可愛いだけだけど…」


さすがにもう唇には触れられない。


だから代わりに、自身の手首、ヒロインが付けた紅の上に口付けをした。


それを見たヒロインは分かり易くときめいたが、すぐさま腹立たしさで上書きをしたようだった。


「…いってらっしゃい、聖護くん」


初めて聞く、こんなにも不満たっぷりの見送りも、愛しいだけ。


「行ってくるよ」


最後に頬に触れる。


その行為に、瞼を閉ざしながら、うっとりと擦り寄ったヒロイン。


「……おやすみ、ヒロイン」


静かに首を縦に振るヒロインは、きっと数分もしないうちに眠りに堕ちるだろう。


此処に置いておけば、何の問題もない。


ぬくもりを手放し。


背を向け振り向くことはせず、寝室を後にした。


それから夜の街に混ざり、御堂の元へ向かった。


部屋へ足を踏み入れると、生きていた人間の匂いが充満していた。


さっきまであれ程傍で感じ、鼻腔で残留していたヒロインの香りはもうしない。


「―――遅くなって悪かったね、御堂君」

「槙島…」

「何か問題はあったかい」

「問題………いや、大丈夫だ」


僅かに口篭る御堂の顔を、瞳を細め覗き込む。


解体を待つ男の死体が横たわるブルーシートの隅には粘着テープ。


室内には抵抗をされた形跡もあった。


「……そうだね、君が永遠にこの男を演じ、全ての人間を欺き続けることができれば、この部屋に誰かが足を踏み入れることもないだろうし、」

「…ああ」

「問題ない、かな」

「ああ」


発した語尾が少しだけ強まった御堂は、ばつが悪そうに目を逸らした。


だがその視線は僕の首元で止まった。


シャツから覗く、色濃く主張する跡に気付いたらしく。


言葉こそ発しないものの、盛大に嫌悪をあらわにした。


ヒロインが起因しての態度かと思えば、これもまた愉快でしかなかった。


上機嫌のうちに、男だった物体はアバターだけを残し、この世から消え始める。


ヒロインが僕の身体に残したものの方が余程儚いはずだというのに。


この部屋に在る何よりも信頼を置ける気がした。


帰ったらヒロインと朝食を取りながら、独りで過ごす夜は何をしていたのか問おう。


酔いを引き摺り「内緒」と返してくるか、はたまた反動で甘えてくるか。


読み切れはしないが。


執拗に甘やかしてやろうと思う心は、揺るぎそうにはなかった。



▼80万打企画で書かせていただきました。




懐柔モード


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