天恵物語
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第十一章 17

そう遠くまでは行っていないはず。
カレンは上がりはじめた息を抑え込み、周囲を見回す。怪我も完全には治っていないのに、人の為に無茶ばかりする小さな守護天使を探して。


「リタ、どこ行っちゃったんだろ?」


「そう遠くへは行っていないと思うのですが……」


まだ見つからない――後ろを追いかけてくるレッセにそう言いかけたカレンだったが、微かに人の気配を感じて目を凝らす。
そして、川の橋の上でようやくその姿を見つけた。思わずその名を呼ぶ。


「リタ!」


「あ……カレン?」


必死に探したというのに、当の本人はケロリとした顔でカレンに振り向いた。


「リタったら……突然ティルさんとどこかへ走り去ってしまうんですもの! 心配しましたわ!」


「ごめん、追いかけてきてくれたんだね……ありがとう」


「ああもうっ、どういたしましてですわっ!」


若干息を切らせたカレンはヤケのように言い放つ。文句を言いつつも、結局リタには甘いカレンである。素直に謝られてしまえば、それ以上何も言えなくなってしまった。
そんなやり取りを見守りつつ、レッセは追いかけていたはずのもう一人の姿が見えないことに気付いた。


「あれ、ティルは……一緒じゃないの?」


「ティルさんはね、英雄に会える方法を探すって言って家に帰っちゃった」


「英雄……?」


何のことかサッパリ分からず、レッセは首を傾げた。先程のリタとティルの会話を聞いていなければ分からないのは当然だ。リタは順を追って説明した。


「ドミールの里ってところに昔邪悪なドラゴンを倒した英雄がいるらしくて。確か……グレイナルって名前だったかな……? その人ならもしかしたら黒いドラゴンを倒せるかもしれないって、ティルさんは英雄グレイナルに会う方法を探しに行ってくれたんだ」


ティルによれば竜の門とやらを開くことでドミールへの道が繋がるらしい。その門を開けるための鍵が近くの洞窟にあるようだが、洞窟の封印を解く方法を知る者はいない。道は閉ざされたようなものだ。
だが、もしかしたら別の方法があるかもしれない。それをティルは探してくれるのだという。
そんな話を聞いたカレンは、ドミールへ行く方法よりも懸念することがあるらしく、懐疑的な表情で口許に人差し指を当てる。


「ドラゴンを倒した英雄、ですか……。本当にそんな方が実在するのでしょうか」


確かに。ティルはグレイナルという人物が実在するかのように話していたが、もしも伝説上の人だったら――。
そんな可能性すら考えていなかったリタは、一理あるカレンの言葉に「う、」と一瞬言葉を詰まらせた。


「分からない……けど! 邪悪なドラゴンを倒したって言い伝えがあるくらいだし、里に行けばあの黒いドラゴンを倒すヒントが見つかるかもしれないし!」


「なるほど、何か弱点だけでも分かれば黒いドラゴンとの戦いが有利になるはず……ってちょっと待ってリタ、もしかして黒いドラゴンと戦うつもりなの?!」


最初は頷いていたレッセだったが、なぜだかリタが黒いドラゴンを倒すことを前提として進む話に慌ててストップをかけた。
レッセの問いかけに対して、リタの返答は極めてシンプルなものである。


「うん」


「うん、って……」


「リタ……そんな当然のような顔で……」


さすがのカレンもそれ以上言葉が出ないようだ。村の寄り合いの中で、そして教会を飛び出したティルから何か言われたのは明らかだが、リタはそれらを受けて黒いドラゴンを倒す意思を固めたようだった。


「みんなが困ってるなら助けないと。ケガでお世話になっちゃったし、そのお返しをするためにも……村の人達の不安をなくしたい」


黒いドラゴンは、リタが箱舟から落ちた日以来、姿を見せていないようだ。つまり、箱舟に乗ったリタを追うためにドラゴンが現れたとも言える。
理由はきっと、女神の果実を手に入れたから――。
だとしたら尚更、リタは黒いドラゴンを追わなければならない。


(私のせいかもしれない、なんて)


守護天使とは人々を守る者であるのに、その人々の平和を脅かすだなんて、あってはならないことだ。


「私は私がやれることをしなくちゃ。だから、まずはティルさんの言ってた英雄を探そうと思うの」


「リタ……」


カレンとレッセは困惑顔で互いに顔を見合わせる。別の声が聞こえてきたのはその時だった。


「お前、本当にドラゴンを倒すつもりなのか?」


カレンとレッセの後ろにアルティナの姿が見えた。カレン達から少し遅れてやってきた彼の肩口からピンク色の光がひょっこりと顔を出す。


「はぁ……タイヘンな目にあったわ……」


「サンディ? 随分とお疲れの様子ですわね……」


「もー聞いてよカレン! 外出たらイキナリ猫が飛びかかってきたのヨ! マジありえないんですケド!」


カレンに話し掛けられたサンディは、ぱっとアルティナから離れ、カレンの胸に飛び込んだ。今まで猫の襲撃から身を守るためにアルティナの影に隠れていたようだ。
騒ぐサンディには目もくれず、アルティナはリタを見る。その視線はいつも静かで真っ直ぐとしたものだった。なのに、今それを向けられたリタはなぜだかたじろいでしまった。


「……黒いドラゴンを倒す方法があるかもしれないんだって。ティルさんが言ってたの。方法があるなら、私は……」


「俺は、そういうことを聞きたいわけじゃねぇよ」


遮られた言葉に押し殺した苛立ちを感じて、リタの肩がぴくりと揺れた。月光の下、淡い光に照らされたアルティナの顔を思わず見つめる。青い瞳の中に静かな怒気を孕んでいるような気がして、胸の奥がざわついた。もしかして何かに怒っているのだろうか。だが、アルティナの怒る理由がリタには分からない。カレンとレッセも、そんなアルティナの様子に戸惑い、怪訝な表情を見せる。


「お前がどうしたいんだ。ドラゴンを追う理由はなんだ。果実を奪われたからか。それともこの村のヤツらが騒いでるからか」


「それは……」


どちらもだ。奪われた女神の果実を取り戻さなくては。村の人達を黒いドラゴンという脅威から守らなければ。だって、リタは守護天使だ。
しかし、そう言ったところでアルティナが納得しそうには見えない。アルティナが何を言いたいのかがリタには分からない。混乱する頭で考えても思考は空回り、複雑に絡まった糸のようにこんがらがるばかりだ。


「お前、今何を考えてる」


どうして、そんなことを聞くのだろうか。
――何のために、自分は黒いドラゴンを倒そうとしているのだろう。
考えれば考えるほど、混乱するばかりだ。


「私……」


女神の果実を奪われた。師匠に剣を向けられた。脳裏に浮かぶのは、急降下していく景色と遠のく箱舟、そして黒いドラゴン。
黒いドラゴンはナザム村の果実を探す為の手がかりであり、村の脅威でもある。ドラゴンを探す理由は充分にある。自分がどうしたいのかなんて考えるまでもない。ドラゴンを追うべきだ。
だが、アルティナが聞きたいのはそういうことではないのだと言う。
アルティナの聞きたがっていることは何なのだろう。何を答えたら良いか分からない。
疑問が渦巻き、リタの頭が混乱を極める中、口をついたのは無意識に抑えていた感情の発露だった。


「私……分からないよ。どうすれば良いの? ベッドの上で落ち込んだままでいるのはもう嫌。何も出来なくても……動かないよりは行動した方が良いに決まってる。だから……っ!」


リタはずっと、天の箱舟での出来事を引きずったままだ。今もその出来事に囚われている。リタの頭の大部分を占めるのは、やはりイザヤールとのことばかり。
どこからともなく聞こえてきた不気味な声に師匠が膝を折る姿、慕っていた師に無抵抗に斬りつけられたこと、そして――なすすべもなく女神の果実を奪われた己の無力さ。全てが強烈な記憶となってリタを苛む。
それでも、目の前で発生する問題は解決しなければ。黒いドラゴンを倒さなくては。重くのしかかる現実に、リタの表情は苦しく歪む。
じわりと視界が揺らいだ。それでも、涙は流したくない。仲間の前でみっともなく泣き崩れるのは嫌で、顔を背けた。
――今まで受け止めきれなかった現実をようやく実感した気がした。
起きてしまった悪夢のような出来事に苦しめられるリタを前に、アルティナは何を思ったのだろう。深くため息をつくのが聞こえた。呆れたと言外にほのめかされた気がして、リタは顔を俯かせる。
呆れられても仕方がない。それを分かっているから、怖くて顔を上げることが出来ない。
アルティナは更に歩を進め、リタの目の前に立った。手を伸ばさずとも届く位置にまで距離を詰めたアルティナをリタはやはり見ることが出来ない。
そして、アルティナがいきなり屈んだかと思えば、リタの身体はふわりと宙に浮いた。
予想外の出来事に、目を白黒させる。


「は……、え、な、なにっ……?!」


思わず涙も引っ込む程に仰天し、高くなった視線であたふたと周りを見回した。そこでようやく、アルティナに横抱きにされたのだと分かった。


「ちょっとアルっ、おろして……っ!」


「お前、とりあえず寝ろ。今のままじゃまた無茶して体壊すのが関の山だ」


有無を言わさずアルティナはスタスタと歩き始めた――村長の家とは違う方向に向かって。


「アルってば! ねぇ、どこに行くの……?」


「宿。あんな胸くそ悪ぃヤツの家で寝かせられるか。金払って宿で寝た方がまだマシだ」


サンディから何か寄り合いのことを聞いたのだろうか。リタが寄り合いへ行ってからティルと抜け出すまでの僅かな間で、アルティナの機嫌は急降下していた。


「……寄り合いのこと、何か聞いた……?」


「…………」


聞いたのだろう。閉ざされた口がそのことを何よりも物語っていた。


「私は別に怒ってないのに……」


「お前が怒らねーから俺が怒るんだろうが」


「な、何それ……」


というか、やはり怒ってるのか。寄り合いのことで。
だが、アルティナが怒っているのは、村の人達に対してだけだろうか。リタに対して怒っているようにも見えるのは気のせいではないはず。だというのに、大事そうに抱え込まれたこの状況は何なのだろう。


「アル、宿屋に行くなら私ちゃんと歩けるよ……」


「ついさっきベッドの上が嫌だとか言ったのはどこのどいつだ」


「それは、」


紛れもなく自分だ。言った端から自分の言葉がブーメランのように返ってくるとは思いもしなかった。
何を言ったところでアルティナはリタを降ろすつもりはなさそうだ。リタはすっかり諦めて、大人しくアルティナの腕の中に収まっていた。
人一人抱えて運ぶなんて重くないのだろうか。チラリとそんなことも考えたが、重そうだとか疲れそうだとか、アルティナはそんな素振りを全く見せない、涼しい顔で軽々とリタを抱きかかえて歩く。


「アル……、」


「何だ」


アルティナはどうして怒っているのか。なぜリタの為にそこまで怒ってくれるのか。
聞きたかったけれど、何だか聞いてはいけないような気もして、リタはそれ以上アルティナに尋ねることをやめた。


「……ううん、やっぱり何でもない」


それっきり二人とも無言で宿屋へと向かう。
リタが少し身じろぎしても、抱えられる手はびくともしなかった。体の触れ合う場所からは温かさが伝わる。どちらもがリタに安心感を与えてくれるものだ。
アルティナは怒っているはずなのに、リタを抱えて運ぶ姿はいたわりに満ちていて、裏腹な行動にリタの心は揺れる。
胸の奥に少しずつ積もる切なさが、もどかしい。









(錯綜する想い)
17(終)



―――――
何気にお姫様抱っこは初めてな気がするこの二人。


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