天恵物語
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第八章 16-1

ぴちょん、と水滴の跳ねる音が反響する。
薄暗い地下水路の路は入り組んでおり、どこをどう行けば目的地にたどり着けるのか。天井は高く、足場の高い場所に行けば水路全体を見渡せたが、いかんせん通路が複雑すぎる。リタは水路をひたすらさ迷っていた。
地下水路でも一際高い場所に上ると、足元に下り階段があるのを見つけた。


「ここは……部屋、なの?」


テーブルに椅子、本棚も揃っている。さすがに人はいなかったが、人がいたという形跡は残っていた。部屋には窓こそないものの、外への扉がついていた。特に何もなければ、そのまま通りすぎるつもりだった。


「あのぅ……?」


部屋に佇む男の幽霊に、リタは思わず話しかけていた。幽霊は、この世に未練を残した人間の魂。助けなければ、と半ば条件反射のように思ってしまうのは、幼い頃から叩き込まれた天使としての使命からでもあり、リタの性格によるものでもある。
一方で、まさか少女に声をかけられるとは思っていなかった男が、目を見張って驚いている。


「私が……見えるのか?」


頷くと、男はまじまじとリタを見つめた。幽霊を見る人間に会うのが初めてだからだろう。大抵リタが話しかけた幽霊は、皆驚いていた――リタは人間ではないけれど。


「私は……えと、旅をしている者です。リタっていいます。ここに留まっているのには何か理由が……お困りのことがあるんでしょうか? お力になることがあるなら私が……あ! えと、今ちょっと女王様を探しているのでその後にお伺いします、すみません!」


不思議なものを見るようにリタを眺めていた男だったが、ポソリと呟くように言う。


「女王とは……ユリシスのことか」


「ユリシス様のことをご存じなんですか?」


「……私の名はガレイウス。女王ユリシスの父……つまりこの国の先代王である」


「ええっ?! せ、先代様だったのですか……」


あのユリシスの、父。今度はリタが驚く番であった。ということは、この地下水路を作ったのもこの目の前の人物であり、その偉業を讃えられた先代王その人なのである。目を丸くするリタには気にも止めず、男――先代王ガレイウス――は静かに話し出した。


「いかにも。私は……王としての名声を求め、娘のユリシスのことには見向きもしなかった……」


ユリシスの名を出すと、その悲しげな双眸がかすかに揺れた。執務に明け暮れ、娘に構ってあげられなかったことを後悔しているのだろう。


「ユリシスを人の心も分からぬわがままな女王にしてしまったのは他でもない、私なのだ……。しかし人の温もりも知らぬまま孤独に生きる娘を見守るのはあまりにも悲しすぎる……。旅の者よ……どうかユリシスを助けてやってくれ。愚かな父の願いを……どうか……」


ユリシスがワガママに育ってしまったのは、幼い頃父の愛を充分に受けられなかったせいだった。このままワガママを貫き通せば、女王は更に孤立してしまう。このままでは一生、女王は孤独に生きていくことになってしまう。


(必ず、助け出さないと)


唯一大事にしていたアノンさえ化け物になってしまい、女王はどんな心境で助けを待っているだろう。事情を知った今、一刻も早く助け出さなければという気持ちが一層強まった。


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