第八章 16-2
部屋を出たリタは、水路の中を走っていた。ガレイウスに最奥への道を教えてもらえたおかげで、地下水路の複雑な構造に右往左往することは少なくなった。
幸い水位は足元で安定しており、それ以上高くなることはなく、通行出来ないところはない。女王が水を使いすぎたせいであるが、一応それに助けられていることになる。
「にしても、あの女王サマがそんな悩み抱えてたなんてね」
リタの横では、ついさっき合流したばかりのサンディがいた。実は、アノンが巨大化した辺りから沐浴場にいたのだという。リタが井戸に入ったので慌てて追いかけてきたということだが……サンディは飛べる分リタほど複雑な通路に四苦八苦させられたわけではない模様。少しズルい。
「ただの甘やかされたワガママ女王、ってワケじゃなかったのネー」
ワガママで自分勝手なのは、愛に飢えてたから。誰かが手を差し伸べていたのなら、違っていたのだろうか。
「……誰だって、好きで人を苦しめたいなんて思わないよね」
先代王も、今の女王だってそうだ。ガレイウスは気付いた頃にはもう遅くて、だからユリシスにはすぐに気付いて欲しいのではないか。自分の過ちを娘にもさせたくなくて。
そう言うと、「ふーん、」とサンディは何かを含むような笑みをリタに向けた。何か変なことでも言っただろうか。見に覚えのないリタは首を傾げるばかりである。
「な、何……?」
「いや、アンタもかなり人間っぽくなったナーって思って」
「え……」
「そりゃ、天使にとって人間はお助けしなきゃいけない存在なんだろーけどさ。困ってる人がいたらとりあえず助ける、んで解決したら、良かった良かった任務完了! お次の仕事はー、って……そんな感じ? 仕事優先っていうの? それが使命なんだから仕方ないかもしんないけど」
「それは……」
確かに、天使の役目に割り切った部分もあることは否めない。
天使は人間の気付かないところで人間の手助けをする。そして、人間からは感謝のしるしとして星のオーラを受け取り、回収する。守護天使の仕事は主にその二つだ。
持ちつ持たれつのその関係に、人間が気付くことはない。天使という役目は、人間に思い入れがあって手助けをしているのでなく、慈悲からの無償の奉仕ではないのだ。目的があるからこそ人間の村を守護してきた。つまり、人間は守る対象であるけれど、一歩踏み込んだ感情移入などあまりしない――仲間同士ならともかく。
天使は意外と人間のことを分かっていない……というか、分かろうとしていない気がする。それとも、種族が違えばそうなるのも当然だろうか。
人間のことを良く思っていない天使だって多い。堂々と文句を垂れる天使もいた。どうして自分達が人間を守ってやらなければいけないのか、と。星のオーラを集めるためと言ってしまえばそこまでだが、疑問を持つ天使は少なからずいる。
――それで、良いのだろうか。
確かに、自分は人間を知った分、人間寄りの考え方になったかもしれない。
「私……人間界にいすぎたのかな」
いつかは天使界に戻る。それはきっと女神の果実を回収し終えた時なのだろうが、その時自分は何を思い、考えているのだろう。天使界に戻りたくない、地上に残りたい、と思ってしまうのだろうか。
……それがすごく、怖い。
だって、いずれは天使界に戻らなければならない。人間界を守る天使はいても、人間界で生きる天使などいない。いるとすれば、果実集めをするリタ一人だけだろう。
「ま、別に悪くはないとは思うケド? 人間の心を理解する天使がいたって良いじゃない」
「そうかな……」
人間は欲深いとか、傲慢だとか言う天使がいるけれど、人間が一概にそうだというわけではないことを、リタは知っている――もちろん、天使がみんな、人間のことを低俗だと思っているわけではないことも知っているけれど。人間の一部分しか見えていないのに、人間全てがそうなのだと決めつけて評価するのはどうだろう。
天使だからとか人間だからとか、そういう考え方にとらわれていては駄目な気がする。
「でもさ、リタ。世の中にはいろんなヤツがいるんだから気を付けるに越したことはないわよ」
人間界にだって、天使界にだって、良い人もいれば悪い人もいる。サンディはそう言いたいのだろう。
「それは分かってるよ」
「どうだかねー、」と肩を竦めるサンディの姿に少しムッとした。それくらい、リタにだって分かる。それとも、サンディは別のことを言いたかったのだろうか。
話はそれきりにして、ユリシスを探すことに専念した。けれど、心の奥にはもやもやとしたものがずっと残っていて、取り除くことが出来ない。
――走っていればいつか鬱屈とした考えも振り切れるだろうか。しかし、いくら走っても、その苦しい気分は薄れそうになかった。
(天使と人間の狭間で)16(終)
―――――
どっちつかずなリタです。
[ back ]