第五章 15-2
「旅人よ、申し訳ないことをした。怒りで私はどうかしていたようだ……」
「……! その声は……もしかして」
オリガが急いで振り返った先にあった父の姿。信じられないというように目を見開き、呆然と呟いた。
「おとう……さん……? お父さん!!」
「オリガ……つらい思いをさせてすまなかった。あの嵐の晩……海に投げ出された私の元へ黄金の果実が降ってきたのだ。薄れゆく意識の中、それを手に私は浜に残したお前を思った。まだ小さいお前がどう生きていくのかと……。そしてあの時、私は確かに死んだ。だが、次に目が覚めたとき……私はこうしてこの姿でよみがえっていたのだよ」
(やっぱり、女神の果実のせいだったんだ……)
オリガの父の願いは、女神の果実の力によって“ぬしさま”という形で具現化したものであった。“ぬしさま”は、父が娘を強く思う気持ちから生まれたものだったのだ。
「私はお前が生きていくために浜に魚を届けていたのだ。だが、いつしかお前の元に人々が群がるようになっていった」
「……!」
図星を指された村長が、思わずのけ反った。自分がその最たる者だという自覚があったのだろう。今更に罪悪感が生まれたのか、何も言わずにがっくりと肩を落とし、俯いた。これを気に思い直してくれれば良いのだけれど、とリタは思う。
「……黙って見ていたが、もうここまでだ。行こうオリガ。こんな村は捨てて遠くへ行こう。これからもずっと、私がお前の面倒をみてやる。何も心配はいらない」
「お父さん……」
父の手を、しかしオリガは取らなかった。首を横に振り、一緒には行けないという意志を示す。
「だめだよ、そんな。そんなのはよくない。あたし……浜で漁を手伝うよ。自分でちゃんと働くの。お父さんの仕事、ずっと見てきたもの。全部覚えているもの。あたしはお父さんの娘。村一番の漁師の娘。あたしは……一人でやってけるようにならなくちゃ」
それが、今のオリガの気持ち。
オリガの思う幸せとは、守られながら毎日を心配せず暮らすことでもなければ、財宝や食べ物がたくさんある裕福な暮らしでもない。……このツォの浜で、精一杯自分の力で生きること。楽ではない、むしろ辛いことの方が多いかもしれないが、それでもオリガは故郷ツォの浜に生きることを選んだ。
「オ、オリガ……」
「オリガーーーッ!!」
娘の強い意志にたじろいだ父の声に被さるような大声と共に、まだ幼い男の子が駆けて来た。村長の息子のトトであった。
「……トト! どうしてここに?」
「大丈夫? ごめんねパパが……。どうしても心配になって旅人さんに付いてきたんだ。オリガのパパ……だよね? ぼく約束する! 大きくなってオリガのことはぼくが守る!」
「……トト」
オリガは一人ではない。トトがいる。他の村人にもきっと……。
「お父さん、ぬしさまになってこれまで助けてくれていたんだね。ありがとう。でも、もう大丈夫だよ」
「オリガ……。いつまでも子供と思っていたが、お前は私の思うよりずっと大人になっていたのだな……」
オリガの父の身体から、淡い光が立ち上り、空へと昇って行く。その穏やかな表情は、もう心残りがなくなった証拠。
「私のしていたことは全て余計なことだったようだ。オリガ……私はお前の言葉を信じよう。自分の力で生きるお前を見守り続けよう」
娘の選択を、父は認めた。一連の出来事により、思い知ったのは、人間の欲。だけれど、そればかりではない、大切なことも。
「ありがとう、オリガ、トト、それに旅人よ……。おかげで私は、過たずに済んだ……」
そして、ふっと消えてしまった。
(そして村には平穏が訪れようとしていた)15(終)
―――――
[ back ]