「すいません、遅くなってしまって」
「いえ、実は両親と副たちが先程までいたのですが……」

本日、新任教師で今年担任を持ったクラスの家庭訪問で忙しく動いていた。
しかし、このおうちの前の家で、随分と長い話に捕まってしまい、到着が予定よりかなり遅れてしまっていた。

「後日というわけにも行かないでしょうし、僕で良ければ話を聞かせてください」

いかにも、といった風情の好青年は、何度かテレビでみたことがある。
この市に住んでいれば誰もが知っているだろう、あのボーダーの広報担当の嵐山さんだ。
確か私より2,3歳ほど年下だったはず。
けれど、落ち着いたその笑みは、自信に溢れているようで到底年下とは思えないほど。

副くん本人は、妹さんと塾にいってしまっており、両親も仕事の用で出かけなくてはならなかったとか。私の方が到着が遅れたせいなので、申し訳ないとしか言いようがない。

「副くんは、学校ではとても友人も多く、明るいので、クラスのムードメイカー的な存在です」
「そうですか、自慢の弟なので嬉しいですね」
「成績なのですが、得意科目と不得意な科目で少しだけ差が大きいと申しますか……苦手な科目を少し避けてしまうところがあるようですね」

なんて会話をしていると、ポケットの中で、携帯が震える。1回2回のコールで止まらないところをみると電話だろうか。

「電話、ですか?出ていただいて構いませんよ」
「すいません、それでは、相手だけでも確認させてください」
「ええ、お茶を入れ直してきます」

席を立った嵐山さんの背中を申し訳なく見ながら、携帯を開けば、相手は恋人だった。
……今日は遅くなると伝えてあったのにな……憂鬱な気持ちになるのは避けられなかった。

学校教師というのは、中々拘束される時間が長い。
特に私のような新任教師は、まだ慣れていないことも多く、残業時間も非常に長い。
恋人とは大学時代からの付き合いで、もうすぐ結婚もなんて少し話が出ていたけれど。
私が就職してたったの数ヶ月ですれ違いが増え、最近では……別れが頭をよぎることもあるくらいだ。

「大丈夫ですか?やまだ先生」
「あ。はい。申し訳ありません」
「学校からですか?」
「いえ……私用の電話でしたので、あとでかけなおします」

ふう、とため息を漏らして、ああいけない。今はそんなことを考えている場合ではなかったと、心を引き締めた。
そして、目の前の顔の整いすぎた生徒の兄へ、向き直る。

「私用……恋人ですか?」
「え?」
「やまだ先生、すごく可愛らしいですしね。恋人さんが羨ましい」
「えっと……」
「やまだ先生は、おいくつですか?随分お若く見えるんですが」
「はぁ……3月に大学を卒業したばかりですので」
「ああ、どうりで。じゃぁぼくと、いや俺とあまり歳変わらないんですね」
「そうですね」

なんだか、雲行きがおかしい。
国語教師として、言い回しは知っていてもこんな風に使う経験なんてそれほどない。
先程と少し雰囲気が変わったような、そんな気がして目の前の人物への警戒心が少し湧いた。

「あの、私そろそろ。次のお宅へ行かなくてはならないので」
「あれ?副から聞いていたんですが、我が家が最後じゃなかったか?」
「えっと、その……」
「折角、知り合えたんです。もう少し、話がしたいな」
「副くんのことでしたら」

苦し紛れに、副くんの名前を出した。けれど、その私の言葉は目の前の男性が突然立ち上がったことで遮られる。

「あの、嵐山さん」
「俺が、年下なんだし、准くんで構わないよ。副を呼ぶみたいに呼んでくれればいいんだ」
「それは、……えっと、困ります。座ってください……」
「でも、嵐山さんだと誰のことを呼んでるかわかりにくいだろ?」

だって、あなたと今後個人的な、話をする予定なんて、そんなのない。
そう思うのに、徐々に距離を縮めてくる彼が怖くて、声が出ない。

「呼んで?やまだ先生?准くんって、言ってみてくれないか?」

ソファーに深く座り込んでいる私の目の前、手を伸ばせば私を捕まえられるほど近くで、嵐山さんは膝をついた。
まるで、物語の、王子様がするかのように。見た目的には、いや普段のテレビでよく見る通りの嵐山さんならその姿は本当に絵になるんだろう。
けど、今の目の前にいるその人は、余りにいびつな笑顔を浮かべていて。
怖い、ただただ怖い。逃げたいのに、背中の上等なソファーが私の逃げ場を奪い、腰を浮かせようとしても、更に沈むだけに感じられた。
そして、嵐山さんの目が、さぁ早く。名前を呼べと、さもなくば。とでも言っているようにギラギラと光を帯びていた。従うしか、私には出来なかった。

「じゅ、准くん」
「やまだ先生。可愛いな。副が、本当に羨ましい」

彼から伸びた手が、私の頬に触れる。その手付きは、酷く、酷く優しかった。

「恋人とは、うまくいっているのか?」
「え、ええ。とても」
「……嘘が下手だな、やまだ先生は」
「どうして」
「さっき嘘をついただろ?この次に行くところがあると。その時も今も、嘘を吐く時視線を斜めに彷徨わせたから。癖か?」
「……嵐山さん……」
「准だといってるだろ?」

素早い動くだった。私が、逃げようとするそんなすきは、一瞬もなかった。
体に影が、覆いかぶさったと思ったら、嵐山さんの両腕が、背もたれにかかっていて。
すぐ目の前に、彼の整いすぎた顔があった。息がぶつかりあうほどの近さ。
膝の間にも、彼の片足が挟み込まれており、どうあがいても、逃げられる状況ではなく。

「いや」
「准くんって、さっきみたいに呼んでくれないか?」
「離れて、ください」
「やまだ先生?聞き分けがないな、大人だろう?」
「離して!」
「なぁ。さあら、あんまり我儘いわないでくれ」
「っ……」

近付いてきた彼に、何をされるか、さすがに理解して。逃げようと、顔を反らそうとすれば、素早く顎を掴まれる。

「やだ……ん、ん……っ!」

拒否しようと、言葉を漏らしたのがいけなかったのだ。
その瞬間に、唇に触れた熱。ぬるりと、唇を、歯列を柔らかいものが、口の中を蹂躙していくのを、感じてぞわりと背中が冷たくなる。
これが、恋人とのキスなら、こんな気持ちにはならないのに。
例え、理解のなさに、別れたいと思うことが増えた相手だとしても、こんなに寒気がしたりはしないのに。

「泣いているのか」
「はな、してください」
「それは、出来ないな」
「どうして……」

くすくすと笑いを漏らす目の前の男は、とても機嫌が良さそうで。その通り、とても明るい声で、私の知らないことを、語り始めた。

「3ヶ月くらい前。警戒区域のすぐ近くで、やまだ先生は歩いてたよな」
「その時、やまだ先生のすぐ近くで、ゲートが開いて、近界民が現れた」
「たまたま俺はその日、防衛任務でね。襲われてるやまだ先生を俺が一番に見つけた」
「泣いて怯えるやまだ先生は、すごくキレイだった。初めて、ああ、欲しい。そう思った」
「本当なら、そのままやまだ先生に俺の名前を名乗って、それをきっかけに先生と知り合いたかったんだけどな、襲われた人には記憶処理をしないといけないから、ダメだった」
「だから、やまだ先生は俺のこと覚えてないよな?でも俺は忘れたりしなかった。そして4月。副の担任を見て、俺は驚いたよ。集合写真を撮っただろ?副が見せてくれたからな」
「ああ、居た。見つけたと思ったよ。やまだ先生」

運命ってこういうのかな?そう笑うけど、そんな運命はごめんだと。そう思うのに、そう言いたいのに、舌が、氷のように固まってしまって動かなくて。

「やまだ……いや、さあら先生。恋人のことなんて忘れて、俺のものにならないか?」

太ももを這う、手が、スカートの中へとじわりじわりと侵食してくる。
にげなきゃ、逃げたい。やめて、お願いやめて。

どれほど、泣いて、喚いて、助けを求めても。
彼は、とまらなかったし、許してはくれなかった。

携帯の振動を感じたけれど、すぐにポケットから取り上げられて、遠くに投げ捨てられてしまって。

もう、逃げられなかった。

先生、あのね


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