20

 そういう、こと、だったのか……。
 僕は覚悟はしていたものの、呆然、という気分になった。そんな僕の内心を知ってか知らずか、彼女はすっと立ち上がり、ピアノの方へ、何も言わずに、やや早足で歩いて行った。
「おいでよ、裕樹」
 ピアノに背を向けて、その椅子に座って、僕を手招きする彼女。その言葉に動かされるまま、僕はゆっくりと立ち上がって、吸い寄せられていく。
――僕は、何を、しているのだろう。
 頭で話の内容を整理することは、なんとかできても、それによる行動が僕の意思かどうかは、ぼかされて曖昧になる。まるで、催眠術にでもかかったような。彼女の前に立つと、深く座っていた彼女に、両腕で優しく包み込まれた。彼女の顔が僕の左肩の下に隠れて、表情は窺(うかが)えなくなる。
「ねえ、裕樹、君は間違いなく、僕の話を、最初から最後まで聞いた。そしてそれを、絶対に口外しないと誓った。念のため確認するけど、それで間違いないね?」
「……うん」
「よろしい。それを前提条件にして……僕は君に、僕の罪を告白した。僕の罪を知った以上、君がこの先も、僕と一緒にいたいと願うなら、僕の背負っている重い十字架を、僕達で分け合うことになるけど、それでもいいね?」
 そう、僕は、聞いてしまったのだ、知ってしまったのだ、彼女の罪を。それでも、聞き終わってから今まで、僕の中に、それを拒絶する感情は湧いてきていなかった。そして、彼女を拒絶する感情も。
「……いいよ」
 僕がそう答えると、腕の力を一層、しかしバランスが崩れない程度に強めてくる。
「すごいよ、君は。いや、知ってたけどさ、君なら全部、受け止めてくれるだろうなあって。ああ、君は僕をやっぱり裏切らなかった」
 彼女は僕を解放した。そして、ちょっと下がれと言われたので、一、二歩後ずさると、立ち上がって、椅子をもう少しだけ後ろに引いた。それから、今度はピアノに向かって、その椅子の中央に座り、その蓋を開けた。
――あれ、睦って、ピアノ、弾けるの?
 その問いは、口には出さなかった。否(いな)、出す必要がなかった。彼女が、「聞かなくても、そう思ってるのは分かるよ」と、背中で語っているような、そんな感じがしたから。
 そうだった、もう、僕は、彼女にすべて委ねていた。いや、ここに来たときから、そうだった。ここは彼女の城、僕はそこに入ることを許された者。ここでのすべての決定権は、彼女にある。だから、これでいいんだ。これまでも、これからも。
 僕は後ろに立ったまま、彼女の動きを見ていた。鍵盤にされていた覆いを畳むと、立ってそれを、ピアノの天井、おもちゃの拳銃のすぐ横に置いた。そこで少し、動作が止まったかと思うと、長方形の椅子の右半分に腰を下ろした。空いた左側を、二回、叩いた。
「ここ、座っていいよ」
 とは言われたものの、なんだか真横に並んで座る度胸は湧かなくて、彼女に背を向けるような形で、椅子の短辺の方に足を投げ出して座った。
「ああ、もう久しく弾いてないから、間違えても笑わないでね」
 高いシのフラットの音が聞こえた。そして、流れ出したのは、いつかどこかで、聞いたことがあるようなメロディー。さらにそれに乗せて、彼女はハスキーボイスで歌い出す。
『What a friend we have in Jesus...』
 そうだ、讃美歌だ。教会で聞いたことがある。
 彼女は、「どの宗教も信じてはいないけど、教会の雰囲気が好きで」キリスト教の教会に通っていたことがあった。それに一度、大学生のとき、連れて行ってもらったときに聞いた、この歌が耳に残って、帰ってきてから調べたのを思い出した。
『All because we do not carry everything to God in preyer...』
音が途切れた。ぱん、と聞こえた音は、恐らく、手を膝の上に置いた音。
「覚えてるかな。僕と一緒に、気まぐれで教会に行ったこと」
「よく覚えてるよ。こんな歌、あったよね」
 僕は声を出した。今度は、彼女が返答を求めていると感じたから。それに、彼女の纏う雰囲気は、いつの間にか変わっていた。物語を語っていた彼女は、僕に全部、一方的に聞かせていたけど、今の彼女は、僕と話したがっている。
「ああ、そうさ。君と聞いて、歌った歌だ。でもね、この曲、歌われるのは教会だけじゃないんだ」
「え?」


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