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「これが物語の外側。僕はどんな物語にも、客観的に外から見るか、主観的に内から見るかの二つの視点が必ず存在すると考えている。だから、今度は内側から話してみようと思う。じゃあ、誰の視点で話すか? 裕樹、今までの話で、一つだけ明らかになっていないことがあるよね」
 いきなり立ち止まったと思ったら、不意に僕の名前が出てきて、落ち着いていた鼓動が急に速くなるのを感じた。彼女は左手の人差し指を、握ったその手から出して振りながら、首をかしげて、相変わらずにこやかにしている。でもまだ、そこにある「違和感」を拭(ぬぐ)い去れない。
「女を殺した犯人、だよね」
 質問の答えは、話を真剣に聞いていれば簡単なものだった。女が殺された、というだけで、それから、犯人が捕まったとか、裁判にかけられたとか、そういう話は出ていない。
「そう、ご名答。きちんと耳を傾けてくれたこと、感謝するよ。だからまあ、この先は、犯人視点での話になる。何で犯人の視点で話せるの、と思うかもしれないけど、僕は犯人からの告白を受けたから、という理由はまだ通用する。でもそこはどうでもいい」
 対角線の真ん中で、彼女は僕の方を向いてしゃがみ込んだ。視線の高さが同じになって、今までに彼女からは経験したことがない、射貫かれるようなそれを、目を少し大きく開いて受け止めた。
「単刀直入に言おうか。犯人は、女の娘だ」
「えっ」
 彼女が語り始めてから初めて、指示されたのではなく、声が出てしまった。てっきり、今までに出てきた人物以外が、この躰に致命的な傷をつけたのだと思っていたから。
――娘が? 何で? 母親を?
 でも、そのことが不自然だという考えは、すぐに消えていった。僕自身の中にも、親や親戚に対して、いい感情を持っていないという自覚がある。他人事ではなかった。他人事でないからこそ、動揺の波は、すぐに引いていく。似たような視点から、僕もこの先の物語を辿ることになる。
 彼女は再び立ち上がった。また、ピアノの方に歩いて行く。
「でも、犯人が娘であっても、そうでなくても、外側の物語は、同じように転んだように思う。『生きるべきでない人間は、この世にはいない』『罪を憎んで、人を憎まず』そう主張する人の声は、そうでない人の声より共感を呼びやすいから、必然的に大きくなるし、大衆に支持される。だけど、根本からどうしようもないホモ・サピエンスも、残念ながらいる。見た目や愛想はよくても、ある一面では、接する人に残忍さというイメージを植え付け、『この人は私にとって生きるべきではない』と思わせてしまうような人が。それが、その女だった」
 彼女は、ピアノの右側に手をついた。そこに体重を半(なか)ば預けるような格好に。
「男は、その女の外見と愛想の良さに惚れた。惚れて惚れて惚れ込んで、結婚した。そして、女は結婚してすぐに子を身籠もった。その時から、夫は女のある癖が気になるようになった。女は重度の潔癖症だったのだ。夫もどちらかと言えば綺麗好きで、まめに掃除をする方だったけど、女のそれは徹底していた。結婚前にそれに気付かなかったのか。気付かなかったのだ、これが。結婚前に半年ほど、同棲していたけど、自分と同程度の綺麗好きだと思っていた。ところが、子を腹に宿してから、女はその本性を表した。そう、夫が医者で、安定した収入があるが故に、結婚と同時に仕事をやめて、ずっと家にいるようになったからだった。テーブルの上の物の位置すら、数ミリ単位で夫に配置を指示した。無駄な物は絶対に買わず、夫の部屋や鞄の中のものも勝手に捨てるようになった。それを一度指摘したが、女は『私がゴミと判断したらゴミなの。一度捨てた物に執着しないで。それと、もうそのようなことは言わないで。この家は私が完璧にしているの、生まれ来るこの子供のためにね。あなたがうんざりする顔を見るのも嫌なの、私のストレスは、お腹の子のストレスにもなるのよ』ってな感じで封じ込めた。大きくなってきつつあるお腹をさすりながらね、まるで子供が夫よりも大事だというように。夫はプラモデルの趣味があったけど、見つかる前に、それらを自分の兄の家に避難させた」
 僕はそこにいるかのような錯覚を覚えた。とてつもない現実感(リアリティ)。外から、「外側の物語」を見ていた時と違って、同じ空間にその夫婦がいるかのような感覚。
 それだけでない、部屋を綺麗にしておけ、というのは、僕の実家でも言われていたことだった。それが余計に、その感覚を増幅させているような気がした。


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