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「夫は相変わらず、千葉の家で娘と共に暮らしていた。二ヶ月に一回は別荘を訪れて女の顔を拝み、時にはそこに娘も連れて行った。娘は母親を亡くした時、まだ八歳だったけど、とても頭のいい子で、母親の死をはっきりと理解し、エンバーミングされた母親の遺体を見ても怖がらなかった。そこに行くことも嫌がらなかったし、上の階に用意された、彼女のための部屋で、宿題や工作を平常心でこなすことができた。そう、八歳の子供が」
 僕は、彼女の発言に含まれていた数字に注目した。母が亡くなったとき、娘は八歳。事が起きたのは、ちょうど二十年前。八歳に二十年を足すと、娘は今、二十八歳ということになる。そして物語を語る睦(?)は今、二十八歳だ。
――ということは、『娘』=『南道睦』、なのか?
 いや、まだ確定できない。まだ関わった人の名前は、一人も明かされていない。それに、エンバーミングされた遺体が、僕のすぐ隣にあるそれであるという証言、そして、間接的に『軽井沢の別荘』がここであるという証言がを彼女がしているとしても、それが直接、彼女が事の関係者だという証明にはならない。事の関係者なら、もっと感情的になるんじゃないか、というのもある。ああ、そうだ、「クソババアは事故死した」とも……でも、伯母がいると言っている。伯母のことかもしれない。
 彼女は歩みを再開した。今度は、部屋の隅、僕の対角線上に向かって。
「ところが、娘が中学校を卒業した次の日、娘の父親は脳梗塞で倒れた。運営している病院で倒れたなら、命も助かっただろうに、あいにく倒れたのは、病院から遠く離れた海辺を散歩しているときで、周りに人も少なく、発見が遅れた。治療の甲斐なく、父親は三日後、息を引き取った。喪主は母の葬儀の経験があることから、娘が務め、挨拶もすべて彼女が行った。伯父夫妻が彼女の後見人になった。だけど、そこには一つ、不自然な点があった。娘は父親が亡くなってから葬儀、そしてその後も、涙を一滴も流さなかったという。実はそれは、母親の葬儀においても同様だった。けれど周りは、『きっと強い子なのだろう』『将来立派な人になるだろう』という風に捉えた。そして、今度は娘の大学の入学式の日に、伯父が吐血して緊急入院した。末期の胃癌で、手の施しようがなかった。 それで、娘が夏休みに入ってすぐに伯父は亡くなった。さらに、伯母も、娘が大学四年の時、就職先を報告しようと外出先から帰宅した時に、玄関先で倒れていた。大動脈瘤破裂だった。父は母が殺された後、母と離婚して、母の家との縁を切っていた。かくして、娘に身寄りはいなくなったが、二十二歳にして、莫大な資産や不動産を持つことになった」
 その、対角線上で立ち止まって、腕を組んで目を閉じて話を続ける。よく見ると、その部分の壁は直角ではなく、短い辺と面がそこにあった。
「しかし、それでも将来が不安だと思ったので、彼女は働くという選択をした。また、彼女は、相次いで親族を亡くしたのは、母親の遺体を、地域の慣習に従って焼くのではなく、このような形で保存したことによる罰とも考えた。しかし、彼女はどうすることもできなかった。今更出して火葬するとして、引き受けてくれる業者はいるだろうか。火葬をするには、役所への届けもいる、けれどそこで、この遺体に関わるあれこれが暴かれてしまうのではないか。だがそれ以前に、その遺体を芸術的に、あるいは神であるかのように考えていた彼女は、どうするつもりもなかったようだけど」
 こと、こと、こと。今度は、ピアノの方に向かって歩き出す。


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