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「……そう、その昔、今からちょうど二十年前、千葉県のとある田舎街で、一人の女が殺された。死因は、心臓をナイフで刺された事による失血死。女には夫と娘が一人いた。だけど、先祖代々、医者の家系で、かつ街の有力者だった夫は、警察を呼ぶことはせず、妻にあたる女の死を上手くもみ消すことにした。夫は開業医で、誰かが死んだ時、死亡診断書を書くことができた。地域でも評判の医者だったから、地域住民も、警察も彼の診断を疑わない。死に至った原因の傷を縫合(ほうごう)―縫い合わせて、死因は『持病の心臓病の発作』ということにした。事実、女は生まれた時から、先天性の心疾患を患(わずら)っていて、手術歴があった。夫はそれを利用した」
 千葉の田舎町。場所は違えど、田舎なら、その地域で絶対的な人がいても、何ら不思議ではない。そう、僕の家のように。だったら、それを利用して、周りを欺(あざむ)くことはたやすい。
 娘、というのは彼女なのだろうか? いやでも、その口ぶりは他人事。違う人かもしれない。
「妻も地元の人で、葬儀には妻の親戚や友人、同窓生が大勢招かれた。夫は葬儀場も持っていて、僧侶の資格も持っていた。『妻はとても優しく、子供思いの人でした。……最後に助けられなかったのは、私の力不足もあるでしょう。そこは心苦しく、申し訳ないところですが、これが天命だったのかもしれません』告別式で恭(うやうや)しく、かつ涙ながらに語る夫を、責める人は誰もいなかった。棺の中の女の死に顔は、とても穏やかだった。彼女は庭で薔薇を育てるのが趣味で、色とりどりの薔薇がたくさん棺に収められ、火葬場に送られた。そして、花々と共に、煙と灰になっていった……かに思われた」
 あれ、違うのか。違うってことは、煙と灰になっていない……え、もしかして、この、女の人……?
 僕が水槽の中の躰(からだ)に目を遣ると、「君は勘がいいね。そう、燃やすふりをした」と言った。僕が再び、彼女と目を合わすと、彼女は息を一つ、吐いた。
「この国の法律では、ホモ・サピエンスの遺体は原則、火葬。土葬もできなくはないけど、今の役所は許可を渋る。だから、火葬して煙と灰ににして、骨壺に入れるのが普通。だけど女の夫は、火葬のスイッチを押さないよう、多額のお金を渡してまで、担当者に言っていた。担当者は困惑したけど、土地の有力者かつ、葬儀場の主には逆らえない。火葬場に遺体を入れた後、参列者が別の部屋で食事をしながら待機している間に、遺体を運び出して、代わりに既に焼かれた別の遺体の灰を置いた。たまたま、行旅死亡人―身元不明で、引き取り手も分からない遺体の火葬依頼が役所からあって、それを『彼女の灰です』ということにして欺いた」
 淡々と語っているのもあったけど、やはり、怖くはなかった。逆に、辻褄が合うのを楽しみにしている僕がいた。
 彼女は立ち上がった。また、今度は僕から遠ざかる方向に。こと、こと、こと、と立てる靴音は、敢えてな気もしてきた。まるでそれも、舞台に必要な要素なのだ、と。
「じゃあ、本当の女の遺体はどうしたのか。夫は女の遺体に、エンバーミングを施した。エンバーミング、日本語に訳すと『遺体衛生保全』というのは、ホモ・サピエンスの遺体に特殊な液体を入れて、遺体を衛生的に保つこと。普通、ホモ・サピエンスは生命維持が終了すると、死後硬直―カラダの筋肉が硬くなる現象と、ガスによる腐敗が起きる。つまり、放っておくと、見た目や衛生的によろしくない状態になるけど、エンバーミングをすると、綺麗に遺体を整えておくことができる。日本では、死んでから葬儀までの、遺体の状態の維持に用いられるけど、海外では著名人の遺体を長期保存するために使われる例もある。有名なのは、中国の毛沢東とか、ロシアのレーニンとかね。ネットに画像も載っている」
 彼女は頭の後ろで手を組んで、僕から見える位置の、暗い水色の壁にもたれかかった。
「話を戻そう。女はとても美人な人で、夫はその顔もカラダも愛した。胸もそれなりに大きくて、形が整っていたからね。それに、お金もあった。だから、全身をエンバーミングして、残そうとした。それなら最初から、そうすると宣言してもよかったんじゃないか。そう思うかもしれないけど、それはその地域の道徳に反することだった。遺体は火葬でなければならない、という道徳にね。そうなると、一気に信用が失われる。だから、夫はこの方法を取るしかなかった。夫の兄も葬儀関係者で、彼がエンバーミングの資格を持っていたから、彼がエンバーミングを行って、遺体を保存するために、当時設計段階だった軽井沢の別荘に、急遽地下室を増やして、増やしたそこを安置場所にした。だから、別荘が完成してすぐ、女の遺体はそこに運び込まれた。そう、君のすぐ隣にあるのが、その遺体」
 ああ、そうなのか。僕は一つ、腑に落ちた。改めてその顔を見てみると、確かに整った顔をしている。肌の色も、透き通るように白い。胸の膨らみも、着せられている服の上からはっきり分かるものだった。さぞ、魅力的な女性だったのだろう。僕はその顔や身体に性的欲求は抱かないけど、そういう僕が見ても美しいと思うし、燃やさずにとっておきたい、という気持ちは分かるような気がした。
 しかし、その夫は、親戚は、やはり、睦と関係があるのだろうか。


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