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 試しに適当に押してみると、『Password...』の下に、打った英字が入力されていく。大文字にすることはできないようだ。該当するボタンがないことから、日本語への変換もできないらしい。『Enter』のボタンを押すと、ジー、という音とともに、『Password...』の部分が『Wrong』に変わり、数秒置いて元に戻った。
――じゃあ、このパスワードを探し当てないといけない、ってことか。
 携帯の画面をつけて、メモ帳を開いた。彼女の使いそうなキーワード……まずは、「紙工作」、かな。
 メモ帳にそう書いてから、恐らく英語ではそうなるであろう綴りを入力してみる。
『papercraft』
 それでエンターキーを押してみたけど、違う、と言われた。メモ帳の「紙工作」の横に、バツ印を入れた。
 続いて、彼女の好物を思い浮かべた。彼女はチョコレートをよく食べている。
『chocolate』
 弾かれた。違うのか……なら、関係する地名とかはどうだろう。例えば、今、ここの土地とか。
『karuizawa』
 ブザーが鳴る。違った。じゃあ、背後にある、紙の街のモデルとか。
『ikebukuro』
 ジー、という音が空しく鳴る。また失敗。いやでも、他に彼女に関係のある地名はある。そうだ、僕達が今住んでいるところ。池袋のはずれではあるけれど。
『shiinamachi』
 これも違う。え、他に地名で攻められそうなところは……あ、一つだけある。僕達が出会ったところといえば。
『kisaradu』
 ……地名じゃない、のか。他にぱっと出てくるような、彼女に縁のあるところは知らない。彼女の正確な出身地も知らないし。
 他のキーワード……好きな動物? いや、分からない。彼女は動物全般が好きらしいし。あ、僕達の行きつけのバーの名前とか?
『hokkyokusei』
 違う。でも、北極星の英語表記なら。
『polaris』
 うーん、違う。……そうだ、彼女がそのバーでいつも飲んでいるもの。綴りが分からないから、スマホで調べてみる。
『bloodymary』
 bloodyとmaryの間に、スペースを入れてもダメだった。えー、困ったな、他には何か、何か――
 メモ帳に記した、これまでに入れてみたキーワードをもう一度眺める。『ペーパークラフト』、『チョコレート』、『軽井沢』、『池袋』、『椎名町』、『木更津』、『北極星』、『ポラリス』、『ブラッディ・マリー』……
――あ。
 北極星、ポラリス……僕は先日、彼女と天体観測をしたことを思い出した。たくさんの星の名前や、星座の名前が出てきた。もしかしたら、そこにあるかも。
 でも、たくさん出てきたから、全部は覚えていない。どんな話の流れだったっけ。そこから攻めるか。
 北極星を探して、北斗七星を見つけて、北斗七星の星々の名前を彼女が暗唱して、星の蘊蓄を聞いて、星の呼び方のこだわりを聞いて……こだわり、そうだ、彼女がこだわっていた、北斗七星の先っぽの星の名前!
 僕はその星の呼び方についての話を、今、鮮明に思い出した。その話が、どんな名前に繋がるのかも。
 またブラウザを立ち上げて、その星の綴りを調べた。そして、その星の名前と綴りをメモ帳に書いて、その壁のキーボードに、慎重に打ち込んだ。
『benetnasch』
――これだ、きっとこれだ!
 一つ、深呼吸をして、エンターキーを、ゆっくりと、押した。
『OK』
 そう、『Password...』の部分がその二文字に変わった直後、ドアノブの近くから、カチッ、と錠が落ちるような音がした。
 僕の心臓は、激しい動悸を訴えていた。それは、その先に進むな、という警告なのか、それとも、進まなければならないという命令なのか。
 いや、心臓に命令されてたまるか。きっと、この先に、僕が知りたがっていた何かがあるはずなんだ。僕はそう確信しているんだ。
 手に滲んできた汗を、着ていたシャツで拭いて、携帯電話を腰のポケットに入れて、左手でドアノブを持って、向こう側に押した。扉が、開いた。
 また、その空間は真っ暗だった。ジー……という、さっきのキーボードで弾かれる時とはまた違う感じの音が数秒したあと、天井から、暗く青い光が部屋に広がった。
 僕はその空間に足を踏み入れた。ドアを目一杯開けると、そこで固定されるらしい。閉めておこうかどうか考えたけど、出られなくなったら困るのでやめた。彼女に見つかったら、その時は、もう、その時。
 暗い青の世界には、二つのものしかなかった。入って目の前に、短辺を入り口に向けた、細長い物体と、ドアの横にある、黒いピアノ。グランドピアノではなくて、全体的に四角い感じのピアノ。部屋の右半分には、何も置かれていないし、壁に何かかかっているものもない。
 そのうち、僕は、細長い物体に近づいた。そして、それを上から見下ろした――
 それは、全面ガラス張りのケースだった。そこには、頭を部屋の入り口側にして、一人の人間が横たわっていた。赤いドレスを着せられている、女性。長い髪に整った顔、白い肌に、大きな胸。美しい体躯(たいく)。目は閉じられている。
 だけど、微動だにしない。動く気配も、ない。これはきっと、遺体だ。ガラスケースの中だから、呼吸をしているかどうかは確認できないけれど、本能的に、そう感じ取った。軽い、吐き気を感じた。
 でも僕は何故か、それから目を離せなかった。もっとよく見たい、そんな欲望が頭をもたげてきて、僕はその頭部の近くにしゃがみこんだ。
――綺麗な、顔……
 僕はしばらく、見惚れていた。見惚れざるをえない、美しい顔だった。
 でも、何故、こんなものがここにあるのだろうか。これが、彼女と、何の関係があるのだろうか。
 そんな疑問が思い浮かんだ、次の瞬間。僕は背中に、悪寒が走るのを感じた。
――カチリ。
 突然、背後から、そんな小さな音が聞こえたような、気がした。


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