10
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それから、表には出さなかったけど、もやもやした気持ちで家に帰った。
次の日は一日、二人で紙工作の続きをしていた。午後には、地下室にあった、紙でできた池袋の街を修正する様子を見学した。
その夜は、ワインを飲みながら、寝室のパソコンで、彼女が借りてきた、アメリカのファンタジー映画を見た。僕は、そのエンディングで号泣してしまったけど、彼女は涙一つ流さず、淡々と後片付けをしていた。
そして、今日。二度寝して、朝起きると、また隣に彼女はいなかった。下に降りると、テーブルの上に、置き手紙があった。
『ぐっすり寝ていたので、一人で買い物に行ってきます。帰るのは多分、正午頃。パンをついでに買って帰るから、もしお腹が空いたら、そこの果物でもどうぞ。睦』
おじいさんの時計を見ると、まだ十時だった。少しお腹が空いていたので、身支度をして、携帯電話の溜まったメールを見ながら、大きな粒の種なしぶどうを食べた。
メールチェックが一通り終わると、十一時少し前。彼女はまだ帰ってこない。
何をしようか。東京から持ってきた本でも読もうか、それとも、新しい紙工作にでもとりかかろうか。
立って部屋を歩きながら考えていると、ふと、キッチンの入り口、三つのフックにかけられている、いくつかの鍵が目に入った。足元には、地下室への入り口。
――そうだ、今なら。
僕はずっと、気になっていたモノがあった。そう、地下室へ続く階段下の、山積みになった段ボール。触らない方がいいかな、と思ってはいたけど、僕はそこに、初めてそれを見てからずっと、拭い去れない強烈な違和感を感じていた。
――睦、ごめんなさい。
彼女は、僕が何かミスをしても、いつも許してくれていた。でも、今、僕がやろうとしていることは、きっと許してくれないだろう。そんな気がしたから、先に心の中で唱えて、キリスト教徒でもないのに、いつか覚えたように身体の前で十字を切った。
――それでも、僕は、君のすべてを知りたいんだ。知って、それが辛いものであったとしても、背負おうと思うんだ。
僕は、その衝動を止められなかった。止めてはいけないと思った。
フックにかけられていた鍵を全部取って、合いそうな小さな鍵を、一つ、二つ、鍵穴に差し込んでみた。でも、二つとも合わなかった。
三つ目の鍵を、穴に差し込む。すると、奥まで入った。そのまま、右に回して――
『カチリ』
開いた。開いてしまった。でも、ここで躊躇したら、した覚悟も無駄になる。彼女がしていたように、鍵をさしたまま、蓋を向こう側にやるように開けた。
穴の向こうは、真っ暗だった。そうか、彼女はリモコンを使って、地下室の電気をつけていたっけ。でも、そのリモコンは見当たらない。
探すのは時間の無駄だと思ったので、スマートフォンについている、フラッシュ用の光を点けっぱなしにして、懐中電灯の代用にすることを思いついた。操作してその光を点けてから、それをポケットに入れて、後ろ向きに、一歩ずつ、足元の感覚を鋭くして、転(こ)けないように慎重に降りた。
トン、という音で、地下室に到着したことを知る。ライトを点けたスマホで、足元を照らしながら、階段の裏に回った。
天井近くまで、段ボール箱は積み上げられていた。僕の背丈は、男性の平均身長ぐらいだけど、それでも一番上の段ボール箱には手が届かない。
――どうしよう。
ここに椅子でも持ってこようか。いや、一階には椅子がなかった。あるのは二階の寝室だけだ。それに、この階段は急角度。持って下ろすのは危ない。手が滑って、椅子を落として、作品を壊してもいけない。それこそ、彼女が許してくれないだろう。
でも、もしかしたら、軽い段ボールかもしれない。その可能性に賭けて、一番壁際の、一番下の段ボールを、上に乗っているそれが崩れないように、慎重に動かしてみることにした。
すると、どうだろう、いとも簡単に、その箱の群れは動いた。まるで、中身は何もないかのように。
――もしかして、これ、全部空箱だったりして。
その列を、ある程度のところまでバックさせて、開いた空間をライトで照らした。
「あ」
思わず、声が出た。壁に、扉があった。
やっぱり、という気持ちと、この先に進んでいいのか、という気持ちが入り交じる。まだ彼女が帰ってくる気配はない。
そして僕は、その迷いを、一瞬で捨て去った。
――そうだ、これもきっと、彼女を幸せにさせるために必要なんだ。
僕は自分に言い聞かせた。ドアは見つかったけど、ドアノブは別の段ボールの群れに隠されているようで見えなかったので、その列も退(ど)かした。
すると、ドアノブが見えた。だけど、鍵穴はない。鍵はかかっていないのかな、そう思って、ドアノブを持って、捻って動かしてみたけど、向こう側にも手前側にも開かなかった。
――他に仕掛けがあるのかな。
ライトで周りの壁を調べてみると、ドアの左横に、長方形のものを見つけた。その上半分、細長い液晶画面に、黒で何かの文字が書いてある。
『Password...』
下半分の部分に、指を引っかけるところがあったので、そこに右手の親指を引っかけて、手前に倒した。すると、パソコンと同じような、キーボードが現れた。これでパスワードを入力しないといけないらしい。
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