3

 昼過ぎから急に強くなった風が、窓をガタガタと揺らしている。

 その晩、眞魔国は嵐の中にあった。地球でいう台風といったところか。
 ここまで酷くなることは珍しいらしく、夕食時になっても兵士達が対応に追われて走り回っていた。
 心苦しいことにおれが手伝えることは何もない。今のところは。
 せいぜい机の上のサイン待ち書類の山を低くして、フォンヴォルテール卿の眉間の皺をほんの少し減らそうと努力してみたくらいだ。結局、皺は減らなかったが。

 そんな無為な一日も終わりに近付き、グウェンダルとギュンターとおれという微妙すぎるメンバーでの夕食を終える頃、外出していたコンラッドが戻ってきた。
 取り急ぎグウェンへ報告に来たのだろうが、ギュンターと話し込んでいるのを見てとって、先におれの傍に寄ってくる。

 とりあえず「おかえり」と言ってみた。
 下げられていく皿を見た彼が眉を寄せる。

「最近、あまり食欲がないようですね」

 先程、ギュンターにも同じようなことを言われた。いつもより汁少なめの真面目な様子で。

「当たり前だろ」

 おれはギュンターを宥めた時と同じ答えを返す。

「ここんとこ雨ばっかで、城に篭りきりなんだからさ」

 ひたすら重要書類にサインして、張り切る教育係から勉強を教わり、空いた時間はコンラッドのことを考える。それだけだ。あれから毎日毎日。
 食べなくても生きていけるくらいだ。

「せっかくあなたが一人で食事をとることのないようにと、頼み込んでから出掛けたのに……あまり効き目はなかったようですね」

 つまりこの、かいがいしく世話を焼きたがるギュンターと、残っている仕事が気掛かりでにこりともしないグウェン、という何とも言えないメンバーで食事をする羽目になったのはあんたのせいか。

「顔色もよくないようですが」

 心配そうに頬に触れられて、おれは慌てて身を引いた。

「野球小僧にとって篭りっきりは身体に毒なんだよ! 朝のロードワークもずっと行けてないし」

 言い分を聞いた彼が苦笑する。どうやら上手くごまかせたようだ。こっそり胸を撫で下ろす。

「だからといって、今夜は絶対に外へ出ないでくださいね。危険ですから」
「判ってるって。わざわざこんな大荒れの夜に、出掛ける気なんて起きないよ」

 コンラッドが、軽い溜め息と共に言葉を返した。

「……陛下には色々と前科があるので」
「ひっでー」

 そういう点に関してだけは、全く信用されていないのだ。

「約束ですよ」

 子供相手のように言い聞かせられる。
 ムッとしながらも渋々頷いて、息苦しくなる場所から立ち去ろうとしたのだが。

「待って」

 呼び止められ、仕方なく足を止める。

「なに?」

 言葉を迷うような間を置いてから彼は口を開く。

「……俺のこと避けてます?」

 直球すぎる問い掛けにひやりとした。

「なに言ってんの。避けてないって」

 笑った。ちゃんと笑えた自信はない。

「今だって普通に話してんじゃん」
「それは、そうなんですが」
「じゃ、いいだろ」
「……ええ」

 腑に落ちない様子でコンラッドが答える。

「おれ、もう部屋に戻るから」

 逃げるように背中を向けた。

 確かに避けている。決して二人きりにはならないように。
 違う名前で呼ばれるのは嫌だ。弁解も言い訳も聞きたくない。
 どんな言葉も信じられなくて、真意を探ろうとしてしまう。

 元々判らなかったのだ。何でコンラッドはおれに執着して、一番に愛してくれるのか。
 おれなんか何処にでもいる野球小僧だし。頭悪いし。そもそも男だし。ジュリアさんみたいに綺麗じゃないし。故人だから顔は知らないけど。
 彼の、一番大切な人みたいに……

 癖になってきた溜め息をひとつ。
 駄目だ。きっと雨ばかり続いているせいだ。マイナス思考に拍車がかかる。

 らしくなくて自分が嫌になる。







「おっと」
「ぉわっ」

 すっかり上の空で廊下を歩いていたら、猛然と向かってきた小柄な誰かと、危うく正面衝突するところだった。
 しかも相手が身軽にかわしてくれたおかげで、一人ですっ転びそうになる。

「おや陛下」

 姿を認めた相手が意外そうな声を上げる。

「アニシナさん!?」

 こっちもびっくりだ。
 日夜実験に明け暮れる毒女ことフォンカーベルニコフ卿は、見なかったことにしたくなるほど不気味で怪しげな物体を連れていた。
 本当に、心の底から見なかったことにしたかったけれど、おれは沸き上がる好奇心にあっさりと負ける。

「それなに?」
「魔動吸水装置です」
「吸水装置?」

 象のように長い鼻と、うごめく大量の足を持つこれが?

「また実験?」

 そういうことなら絶対に『もにたあ』にだけはなりたくない。

「まさか! 悠長に実験などしている場合ではありません!」

 確かに随分急いでいるようだ。いつもの効果音付き魔動装置紹介が省略されていたし、おれの質問に答えながらも、せかせかと歩き去ってしまう。
 会話をしたければ追い掛けるしかない。

「ええと、何かあったんデスカ?」

 遠慮がちに問い掛けた。方向からしてグウェンダルの部屋へ向かっていることだけは判るのだが。
 視線の先で鮮やかな赤毛が忙しなく揺れている。

「骨飛族からの伝達ですよ。今朝から続く大雨で、カーベルニコフ地方を流れる川が氾濫したそうです。全く、忌ま忌ましい!」
「そうなの!? 大変じゃん!」
「わたくしが向かいさえすれば大丈夫です!」

 自信満々に言い切って、彼女はノックもなくフォンヴォルテール卿の私室へ入り込んだ。

「では陛下、急いでいますのでわたくしはこれで」

 どうもグウェンダルに会いにきた訳ではないらしい。しかも、何故かこの部屋から出掛けるかのような口ぶりだ。

「ちょっと待って、こんな天気じゃ馬なんか走らせらんないだろ」
「ええ。ですから、彼の机の引き出しから移動するのです」
「引き出し?」

 ってドラ〇もんか。

「わたくしの発明品、空間移動筒路で、血盟城とカーベルニコフ城は既に繋がっています」

 そんな便利な発明をしていたとは知らなかった。
 そうと判ればこの後の行動は決まっている。やっとおれにも出来そうなことを見つけたのだ。

「おれも行く! おれだってその筒路通れるよな?」
「陛下が?」

 彼女は形のいい眉を上げておれを見た。
 ついでに吸水装置、不気味な象百足くん(勝手に命名)も。

「まあ、あのグウェンダルでも辛うじて通れたことですし……問題ないとは思いますが」

 あなたが行って何ができる?
 彼女の目は静かにそう問い掛けていた。

「おれ、たぶん水とは相性がいいし、役に立てると思うんだ」

 あの日から、ずっと城の中で鬱々としていた。全く性に合わない。
 そりゃ、コンラッドのことは立ち直れないくらいショックだったけれど、悩んでいるだけじゃ何も変わらない。おれが前向きに頑張らないと、状況は好転しないと思うから。
 頑張ればいい。コンラッドが亡きスザナ・ジュリアではなく、渋谷有利を見てくれるように。

 ムキになっているだけかもしれないという自覚はあった。

 強い意志を持って青い目を見返す。アニシナは少し考えるように間を置いた。
 ややあって言う。

「……いいでしょう。足手まといにならない自信がおありなら、保護者の許可をとってからいらっしゃい」

 それでは、と暇を告げるなり引き出しへ飛び込んだ小柄な彼女は、吸い込まれるようにして消えていった。
 すごい。本当に異空間に繋がってる。

 一人残されたおれは考えた。さすがに黙って城を出てはいけないことくらい判っている。
 誰かに話さなくては。誰に?
 アニシナさんは保護者と言った。
 コンラッドには先ほど絶対に外へ出るなと言い付けられたばかりだ。説得は難しい。
 真っ先に彼を除外した理由は、本当はそれだけではないけれど。
 次。教育係で王佐のギュンター。駄目だ。絶対許してもらえない。
 グウェンダルは考えるまでもなく却下。
 ヴォルフラムは今ビーレフェルト地方にいるし、そもそも保護者の括りに入らないだろう。
 困って部屋の中をうろうろする。行くなら早く行かないと。グウェンダルが自室へ戻ってきてしまえば万事休すだ。
 近付いて来る足音が聞こえて余計に焦る。

「あーもう! いいよな黙って行っても! 向こうにはアニシナさんがいることだし!」

 誰にともなく言い訳して、開いたままの引き出しに触れた瞬間だった。半開きの扉が音を立てたのは。

「こーんな嵐の夜にどこ行く気なんです、坊ちゃん」
 
 グリ江もお供したいわん。

「あーグリ江ちゃん、久しぶり」

 びっくりしすぎてずいぶん間の抜けた台詞を口にしてしまった。

 お庭番は大股で距離を詰めて、おれの腕を軽く掴む。取り急ぎ捕獲、といったところか。
 何にせよ他の誰かに捕まるよりはマシ。

「閣下にご報告があってお部屋を訪ねたんですが……まだ戻ってないみたいですね」
「さっきまで夕飯食いながらギュンターと話し込んでたよ。なんか深刻そうだった」

 いつ戻るかは判んないけど、と付け加える。

 最近のヨザックはすっかり国外任務が少なくなったから、城内で会うことも決して珍しくはない。といっても、相変わらず王都に滞在している期間が短いせいで、最後に会ったのは確か二週間前だった。
 今日はグウェンダルの命令で、城下街の様子を見に行っていたらしい。コンラッドから、そう聞いた。

「街はどうだった?」

 どうもあっさり解放してもらえそうになくて、話題を逸らす作戦に出てみる。

「ていうか、あんな嵐なのに外出て大丈夫なの?」
「歩きなら問題ないですよー。被害もそう大きくはないですし」
「そっか。よかった」

 やはり問題は王都よりもカーベルニコフ領か。

「あー、坊ちゃん」

 おれの考えていることが判ったのかどうなのか、彼はしっかりと釘を刺してくる。

「だからといって外を出歩こうとするのは止めてくださいね。危ないですから」
「判ってる」

 にんまり笑った。

「絶対に外は通らないよ」
「通らない?」

 怪訝そうな声に答える代わりに、グウェンダルの引き出しへ手をかけた。
 覗き込んでみる。底が見えない。

「閣下の引き出しに一体なにが?」
「空間移動筒路だって。アニシナさんが作ったの」
「アニシナちゃんが?」

 試しに右手を突っ込んでみた。すっと肩の辺りまで入っていく。気味は悪いが行けそうだ。

「カーベルニコフ城に繋がってるらしいよ。骨パシーに寄ると今大変みたいだからさ、ちょっと行ってくる」
「行ってくるって……」
「コンラッドにバレたら説明しといてよ」

 掴まれたままの左腕に、更に力が加わった。

「説明する前に半殺しにされます」
「じゃあ、おれとは会わなかったことにしていい」

 何でもいいからとにかく行きたいのだ。

「そんなことできませんって。全く」

 ヨザックは深刻でない溜め息と共に、おれの腕を解放した。

「ま、こうなったら選択肢はひとつですね。一緒に行きましょ」
「……止めないの?」
「止めたところでどうせ羊突猛進な陛下は、何処へでも行っちゃうじゃないですか。ついてった方がマシってもんです。その代わり、」

 そして一度言葉を切り、いたずらっぽく付け加えてウインクする。

「隊長に怒られる時も一緒ですよ?」
「ありがと、グリ江ちゃん」



 そんな訳で簡単な変装をしたおれとヨザックは、簡単な置き手紙を残してグウェンダルの引き出しから旅立った。こんなに短い文で伝わるのか不安だが、ヨザック曰く「閣下ならご自分の引き出しの仕掛けくらいご存知でしょ」とのことなので、たぶん大丈夫だと思う。
 机に残した手紙にはこう書いた。

『アニシナさん家へ行ってきます』

 ……本当に大丈夫だろうか。


2013.5.29

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