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「あのー」

 躊躇いがちにヨザックが口を開く。言いたいことは判っている。

「さっきの陛下のお話では、空間移動筒路はアニシナちゃんの部屋に繋がっているはずじゃ……?」
「うん、そのはずだったんだけど」

 おれたちが振り落とされたのは、どう見てもフォンカーベルニコフ卿の私室ではなかった。意外に内装が乙女チックだったとか、実験器具が見当たらないだとか以前の問題だ。そもそも屋内ですらなかった。
 お庭番の立派な上腕二頭筋が災いしたのかもしれない。それとも、与り知らぬところでおれ自身の魔力が通路を歪めでもしたせいか。
 どちらにせよおれ達が使ったのはフォンカーベルニコフ卿作の魔動装置なのだから、どんなトラブルに見舞われたとしても不思議はないだろう。

「なあ、ここ何処だと思う?」
「……何とも言えないですね。視界が悪いんで」
「だよな」

 ヨザックの手は痛いくらいにおれの腕を掴んでいる。情けなくも飛ばされないように。

「ただ、眞魔国内だとは思いますよ。オレの勘が当てになるなら、ですけど」
「腕利き諜報員の勘なら信じるよ」

 彼の言う通り国内ならばとりあえず一安心だ。スタツアの時のように人間の土地まで飛ばされなくてよかった。
 強風に飛ばされそうではあるが。

「うわー……」

 追い撃ちをかけるように雨まで降ってくる。ぽつぽつと頬に当たったそれは、あっという間に叩き付けるような強さへと変わった。

 いつも陽気なお庭番は、彼らしくなく深刻そうな表情を浮かべてぼやく。

「フォンカーベルニコフ卿がいらっしゃるなら、陛下をお連れしても大丈夫だと思ったのに……」

 無力感に襲われる程の豪雨の中、ずぶ濡れになりながら今さら後悔する。さすがに軽率だったかもしれない。
 濡れた服も身体も頭も重い。まだ何もしていないというのに、何故だか妙に疲れていた。

「とにかく外は危険です」

 ヨザックに強く腕を引かれて、つんのめるように走り出す。

「屋内へ急ぎましょう」

 どうやら利かない視界の中でも、雨宿りできそうな場所を発見したらしい。さすがヨザック。
 視線を上げれば、遠くにうっすらと建物らしき明かりが見えた。







「近くに川はなさそうだよね」

 全く人気がない地域だと思っていたが、目を凝らせば幾つかの住居は見つけることができた。明かりが消えている。

「氾濫したっていう地域とは離れてるのかなっ、ていうかカーベルニコフ地方かどうかも判らないんだっけ」

 近くに丘陵地もあるようだし、住民は土砂崩れを警戒して避難した後なのかもしれない。

「ほら、よそ見しない! いろいろ飛んでくるから気をつけて!」
「判ってるよ!」

 といっても相変わらず視界ははっきりしないから、聴覚に頼るしかないのだが。
 それにしても物凄い雨音だと思いながら耳をすませていると、パラパラと何かが転がり落ちるような、別の音が混じっていることに気が付いた。

「……なぁ、グリ江ちゃん」
「余計なことに首を突っ込まれるおつもりなら、今は全力で止めますよ」
「いや、そうじゃなくてさ」

 先んじて牽制してきたヨザックに、あの音なにかな、と聞きかけた瞬間だった。
 テレビの砂嵐を酷くしたような、耳に触る不吉な音が聞こえたのは。

「い、今のなに!?」

 後ろだ。割と近かった。
 足を止められないまま振り返り、おれは必死で目を凝らす。
 見えた。

「ホントに土砂崩れじゃん! 建物が埋まってる!」
「陛下っ!」

 予め避難しているのならばいいが、もしも人が残っていたら大変だ。彼の手を振り切って走り出す。

「危ないですって!」

 怒鳴りながら慌ててヨザックも追ってくる。
 暴風雨の中を走ったせいで、じれったいほどに時間がかかった。







「あ……」

 足が竦んでしまう。言葉が出なかった。

 宿泊施設らしき大きな建物が、目の前で土砂に埋もれている。テレビ以外で土砂災害現場を見たのは初めてだった。
 人が、たくさんいる。難を逃れた人たちが、見つからない家族や恋人を捜す声が聞こえる。
 動けないでいるおれの様子を気にしながらも、ヨザックが捜索を手伝い始めた。
 あまりの惨状に茫然とした。
 同時に、一帯を眺めて思う。こんな嵐では捜索はままならない。早くこの場を離れないと、土砂はもっと崩れるかもしれない。

 悲鳴。泣き声。

 何とかしないと。泣いている子供も、土の下で助けを求めている人たちも、おれが治める国の国民じゃないか。
 幸い、おれには何とかできる力がある。

 ──どうすればいい?

 考える。

 ──おれに何ができる?

 土砂を大きな人型にまとめて、とりあえず山へ帰らせるっていうのはどうだろうか。以前にグロテスクな泥人形を操ったことがあるらしいし。覚えてないけど。

 騒乱から少し離れた場所に立って目を閉じた。集中しろ。


 雨風が弱まり始めていた。







 その場凌ぎの作戦は、比較的うまくいったと思う。
 土砂十割の巨大人形は、我ながらかなり不気味だった。
 一番有り難がられたのは、土砂が気味の悪い人形になったことよりも、奇跡的に空が晴れたことだったが。まだ少し風は強いけれど、酷い嵐は去ったようだ。
 救助が終わる頃には近くにいた兵士も数人駆け付け、現在地を知ることもできた。ここはカーベルニコフ地方の外れらしい。
 幸い亡くなった人はいなかったが、あれだけ大規模な土砂崩れだ。怪我人は大量に出ている。一度土砂に埋もれた建物の中では治療もろくにできないし、避難所の定番、近場の学校へと移動することになった。
 かなり趣味の悪い魔術を披露した上に、いつの間にか頬に浅い切り傷まで作っていたおれを見て、呆れ顔のヨザックは思いっ切り溜め息をついてくれた。

「全く……」

 どこから出したのか柔らかい布で頬を拭われる。

「えっと……ごめん」

 悪いことをした訳でもないのに、思わず下手に出てしまう。

「でも、これくらいの傷なら自分で治せるからさ」

 彼の手から逃げるように後ずさって、ふらつく。

「とりあえず今は魔力を使わない方がよさそうですね」

 結局、力強い腕に支えられてしまい、

「じゃ、失礼します」

 そのうえ子供みたいに背負われた。歩けるのに。



 数分で緊急時避難所に到着した途端、まるで待ち構えていたかのように、再び強い雨が降り出した。








 医薬品はそこそこ揃っていたが、あいにく治癒魔術を使える魔族がいなかった。比較的魔力の強い兵士たちが、河川の氾濫現場に集中してしまっているらしい。
 骨パシーで呼んだ医者の到着も、止む気配のない豪雨のせいで遅れそうだ。
 取り急ぎ、元気な者と数人の兵士が治療にあたるしかない。

「つまりおれの出番だよな!」

 少し休んだお陰で体力も回復したような気がする。
 意味もなく袖を捲ってみた。
 濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い。屋内は温かかったから、風邪をひくことはないだろうけれど。

 張り切るおれをヨザックが小声で諌める。

「陛下はじっとしていてください!」

 グウェンダルの手編み帽子と諜報員の必需品色つきコンタクトのお陰で、未だに正体がバレていないので。強風にも飛ばされない優れ物だ。
 避難所にいる人たちにとっては、通りすがりのちょっと魔力が強い人、くらいの認識に留まっていると思う。

「先ほど披露した魔術のせいで、随分お疲れのようですし……」

 心配そうな口調はまるで此処にはいない名付け親みたいだった。

「でも、明らかに手が足りてないじゃん。援軍も呼んだけどまだ来そうにない」
「そりゃそうですけどね」
「大丈夫だよ。気失うほどは疲れなかったんだし」

 いい顔をしないヨザックに笑ってみせる。

「ちょっと久しぶりだけど、ホイミはマスターしてるから」

 じっとなんて、してられない。

「そういう問題じゃ…あ! 陛、いや坊ちゃん!」

 話の途中で彼に包帯と消毒液らしきものを押し付け、

「ヨザックは軽傷者の治療してあげて!」

 おれは治癒魔術が必要な怪我人を探しに飛び出した。



 話し掛けて手を握って、相手の痛みを引き受ける。あらぬ方向に曲がった腕や足も、骨の見えそうな裂傷も、この世界へ飛ばされるようになってから何度も見た。
 治療のプロ、ギーゼラを思い出しながら、傷付いた人たちに声をかける。

「大丈夫。すぐに痛くなくなるから」

 ありがとうございます、と恐縮して頭を下げる家族から離れて、おれは壁に手をついた。頭が重くて痛かった。
 どうも治癒魔術が上手くいかない。いや、傷は癒えているのだから、失敗という訳ではないのだが。
 いつもより相手の痛みを感じてしまう。疲労感も激しい。まだ数人しか治せていないのに。

 ──なんでだよ。

 魔王の魂を持つおれは、強大な魔力を持っているんじゃないのか。

『燃料補充をしないまま何度も爆発すると、そのうち燃やす物が足りなくなる』

 村田の説教じみた声が甦って、思わず舌打ちしたくなった。ここ数日の寝不足、食欲不振ぶりを省みる。つまり燃料不足なのだ。
 くよくよ悩んでなんているから、肝心な時に役に立たない。

 ──もうちょっと強かったはずなんだけどな。

 少なくとも心だけは、と思う。自嘲の笑みが浮かぶのを止められない。
 彼から愛されていなかったことが判ったくらいで、こんなに駄目になるなんて。
 それに燃料不足と言っても、たった一度の魔術で燃料切れになるとは思えない。そんなの魔王として情けなさすぎるじゃないか。

 しゃがみ込みそうになったのをすんでのところで耐えた。
 こめかみを押さえながら怪我人を探す。うずくまっている子供を見つける。
 足を踏み出した。まだ大丈夫。

 視線の先の赤毛の少女は、愛娘グレタと同い年くらいに見えた。いや、純血魔族ならもっと上かもしれない。未だに魔族の歳を当てるのは苦手だ。というか全く判らない。
 親らしき人影を捜して辺りを見回すと、兵士の数が増えていることに気が付いた。早くも援軍が到着したらしい。ホッと胸を撫で下ろす。
 幾分軽くなった足取りで少女との距離を詰め、前へ回り込んで腰を下ろした。

「一人? お父さんとかお母さんは?」

 少女が顔を上げる。

「……はぐれちゃったの」
「そっか」

 その顔は血と泥で汚れていた。とりあえず濡れた布で拭ってやる。

「お兄ちゃんは、お医者さん?」

 きょとんとこちらを見上げる少女の問い掛けに苦笑した。

「別に医者じゃないんだけど」

 そんな立派なものには一生なれないだろうし、まさか王様ですなんて言えないし。

「君の怪我はちゃんと治せるよ。おれに任せて」

 さっそく傷に触れようとしたその時、俄かに出入口付近が騒がしくなった。何かトラブルだろうか。
 途切れ途切れにだが、言い争うような声も聞こえる。

「……、からっ…どこに……!」
「…い、落ち着けって!」

 しかも聞き覚えのある声だった。思わず振り返ってしまう。
 揉めているのはヨザックと、短めの茶髪から雫を滴らせている……

「コンラッド…?」

 ずいぶん離れていたのに目が合った。
 瞠目した彼の唇が動く。
 ユーリと呼んだのかそれとも陛下だったのか、遠すぎてそこまでは判らなかった。

 ──ちがう。

 辛くなるから見ないだけ。

 駆け寄ってくる彼の足音は、聞こえていない振りをして。
 治すべき傷に集中する。少女の痛みと苦しみを引き受けて、それから親を捜さなくては。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 よそ事に気を取られていたら、逆に心配されてしまった。優しい子だ。

「おれは大丈夫」

 足音はもう止まっていた。コンラッドはすぐ傍に立っている。見なくても判る。
 たぶん、少し遅れてヨザックも。
 彼らはおれの行動を無理やり止めたりはしなかった。少女を不安がらせてはいけないと思ったせいだろう。もちろん何を言われたとしても、今さら止めるつもりはないけれど。

 熱を持った額へそっと触れて目を閉じる。

 最初に感電でもしたような衝撃があって、直後、鈍い痛みがじわじわと這い上ってきた。指先から心臓まで伝わる。頬に痛みが走って眩暈が酷くなる。

「ほら、もう痛くないだろ?」

 意識して何とか笑顔を作った。傷は綺麗に消えていた。

「君のお父さんとお母さんも、すぐに見つけてあげるから」
「うん」

 少女は素直に頷きながらも、まだ納得できていないような顔でおれを見上げる。

「でも、頬っぺたから血が出てるよ?」
「え?」

 頬に手をやる。少しだけ濡れていた。
 どうやら放っていた傷口が開いてしまったらしい。
 たいした痛みもない、原因すら覚えていない些細な傷だ。けれどこの状況ではまずかった。
 とりあえず成り行きを見守っていたらしいコンラッドに、腕をやや強く掴まれる。

「こちらへ」
「ちょ、コンラッド!」

 吊り上げるように立たされる。
 そのまま連れて行かれそうになってしまって慌てた。

「おれ、この子の親見つけないと」
「グリエがちゃんと捜しますから」

 いつの間にか隣に立っていたヨザックが、殊勝な態度でこくこくと頷いた。
 おれを此処まで連れてきたことで、コンラッドに相当怒られたはずだ。離れていたせいで全く弁護できなかった。後で謝っておかないと。
 手を引かれるまま早足で、彼を追って歩く。くらくらする。

 あっという間にホールを突っ切って、人気のない通路まで出たところで、ようやくコンラッドはおれの腕を解放した。
 距離を取ろうとしたら背中が壁にぶつかった。

「外へは出るなと言ったはずだ」

 忘れましたか、と問う視線と声の厳しさに、思わずびくりと肩が震える。

「どうしてあなたは、たった一晩大人しくしていることもできないんですか」
「……だって、」

 上手く、声が出ない。

「けっこうな魔術も披露したそうですね」

 口調とは裏腹に優しい指先が、頬の浅い傷に触れていた。まるで傷を消そうとしているみたいに。

「なんで、俺に黙ってこんなことを」

 なんで。

 ──そんなの、あんたが悪いに決まってる。

 睨んでやる気力もないけれど。

 口の中だけで、こっそり呟く。

「……おれが大人しく城の中にいて、何かの役に立つと思う?」

 彼には聞こえなかったはずだ。彼の指を力無く払い落として俯いた。そのまま頭が上がらなくなる。沈んでいく。

 追試くらって留年しかけるような偏差値低い高校生に、政治なんて理解できない。万年ベンチウォーマーだった控え捕手の戦闘能力が高い訳ないし、民を惹きつけるようなカリスマ性も持ち合わせてない。

 もっと、ちゃんと役に立ちたい。ここにいてもいいって思いたいから。
 ここに、コンラッドに誰よりも愛される場所に。
 彼が過去に愛した誰よりも。
 おれは、誰もが愛した女性の命をもらって、奪って生きているのだから。

「陛下……?」

 それから先の小言は記憶にない。

 力の入らなくなった身体を抱き留めたのは、確かに大好きな人の腕だった。



2013.7.11

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