酒は百の長

清々しい空気、柔らかな風、花盛りの桃の木の隣には食べ頃の実をつけた桃の木。
辺り一面に咲き乱れるのは紫陽花に椿、石楠花など季節の違う、同時に咲くはずのない花々。
そして芳醇な香りを放つ滝とその中腹にかかる淡い虹。

この世のどこを探したって見ることのできない、夢のような景色である。
そんな風景を楽しみながら、咲月は汲んだばかりの清酒を升に入れてぺろりと舐めた。

「あ、美味しい。」

柔らかい口当たりと鼻に抜ける豊かな香り。
これならばいくらでも飲めてしまいそうだと咲月は思った。

「飲みやすいでしょ。養老の滝は芳醇な甘口だから女の子にも人気なんだよ。」

持ってきたお弁当をとりわけながら白澤が言った。
今日は極楽満月のみんなでピクニックにきている。
常春の桃源郷で、お花見がしたい!と言い出したのはもちろん無類の宴好きである師匠の白澤だ。
養老の滝のほとりでお弁当を囲んでいるのは白澤と桃太郎と咲月、薬剤師のうさぎたちだ。
これから桃太郎の友達も来る予定らしい。


「まあ、私が好きなのは超辛口の鬼ころしですがね。」

突然後ろから聞こえたバリトンボイスに白澤が身を翻す。

「そう簡単にいつもやられるか!この常闇鬼神が!酒に殺されてろ!」

白澤がいた場所には黒い金棒が転がっている。

「あ、鬼灯さん、お久しぶりです。」

金棒を投げた人物を見て桃太郎は挨拶をした。

「いつも殺されてるのはあなたでしょう。お久しぶりです。桃太郎さん、咲月さん。」

「うるさいな!大体なんでお前がここにいるんだよ!帰れ!」

いつもの如く、白澤と突然現れた鬼灯が喧嘩を始めたが、今の咲月には喧嘩を止める余裕も鬼灯の挨拶に返す余裕もなかった。
何故なら、突如飛びかかってきた謎の白い犬にのしかかられて結構な勢いで顔を舐められているからだ。

「うさぎの匂いがする!わかった、咲月ちゃんでしょ?桃太郎から聞いてるよ!」

ハッハッという荒い息と口から除く鋭い牙が怖い。

「た、桃タローさん。何ですか、この方は。」

「お前達!久しぶりだなあ!咲月、こいつらが俺の元おともたちなんだ。」

おともたち…おともだち…お友達
なるほど、桃太郎の言うおともたちは、どうやらお友達ではなくお供達だったようだ。

「俺、シロ!こっちが柿助でこっちがルリオだよ!よろしくね!」

「よろしく!」

「シロ、いきなり失礼だぞ。すみませんね。」

白い犬の横にはいつの間にか猿と雉、だろうか大きな鳥がいた。
桃太郎のお供で犬、猿、とくれば間違いなく雉だろう。間違いなく鬼退治で有名なあのお三方だろう。
咲月は羨望の目で2匹と1羽を見た。
どうやら犬がシロ、猿が柿助、雉がルリオというらしい。
柿助がシロの首についている縄を引っ張って咲月から引き離し、ルリオがやたらいい声で謝ってくれる。
咲月は慌てて座り直して簡単に挨拶と自己紹介をした。


「それにしても、鬼に立ち向かうなんてすごいです。同じ小動物として尊敬します。」

「いやあ、それほどでもねえよ。」

「鬼、酔っ払ってたしね。」

「ビギナーズラックって奴だよ。」

お弁当を勧めながら鬼退治の話を聞かせてもらおうと話しかけるも2匹と1羽はどこか遠い目をして否定した。
あれ、あんまり聞いちゃいけない話だったんだろうか。
咲月は不安になった。
よく考えれば彼らは有名人な訳だし、この手の話にはもう辟易としているのかもしれない。

咲月が少し気まずい思いで視線をそらすと丁度喧嘩を終えて敷物に腰掛けようとしている鬼灯が見えた。

「鬼灯様!」

咲月は思わず駆け出して鬼灯の膝に飛び乗る。
もちろん兎に姿を変えてからだ。

鬼灯の撫でテクニックは凄まじく、一度モフられたうさぎはほぼ100%陥落してしまう。
ちなみにお店のうさぎ達の間では神の手と呼ばれている。
だからお店に来るたびにうさぎ達は我先にと膝上に飛び乗るのだが今日は咲月が早かった。

「お久しぶりてす。鬼灯様も来てくれたんですね。」

「はい、シロさんが誘って下さったので。」

言いながら鬼灯様の右手は今日も絶好調だ。
その様子を見て白澤はぎりぃ、と歯ぎしりをした。

「だから僕のうさぎちゃんに気安く触るなって!」

白澤は咲月の首根っこを掴んで持ち上げた。
ちなみに荒々しい持ち方に見えるが実はこれが兎の正しい持ち方である。
その隙にタイミングを伺っていた他のうさぎが鬼灯の膝上に飛び乗る。

「ああ、せっかくゲットしたポジションが…」

しょんぼりする咲月を膝の上に乗せて白澤はにこっと笑った。

「僕が代わりに撫でてあげるから!さ、いつもの姿に戻ってごらん。」

「セクハラですね。」

「セクハラですね。」

鬼灯と桃太郎の声が重なった。

「嫌!鬼灯様(の手)がよかったのに!白澤様の意地悪!」

暴れて白澤の手から逃げ出した咲月は桃太郎の隣に回り込んでぷいっと顔を背けた。

「ぐふっ!!」

白澤はそんなにショックを受けたのか口から血を出して倒れこんだ。

「咲月ちゃんに嫌われた…」

てっきり、いい振りっぷりです、と親指を立てる鬼灯にキレて絡むかと思ったのだけれどそれもせず、しくしくと泣き真似をしてこうなったらとお酒を煽り始めた。
そんな白澤の様子に少し言いすぎたかと胸が痛んだ咲月だったが、元はと言えば白澤の意地悪が原因だと思い直して遊んでいるシロ達の方へぴょんぴょん跳んでいった。








しばらくシロ達と(というより主にシロ)一緒に童心に返って遊んでいた咲月が戻ると、桃太郎と白澤はすっかり出来上がっていた。
鬼灯だけが敷物の真ん中で1人ひたすら大吟醸を煽っている。
その傍で桃太郎がぐったり横たわっており、白澤はといえばさっきの落ち込みが嘘のように上機嫌で寝そべり、歌っている。微妙な歌唱力で。

「鬼灯様、2人とも潰しちゃったんですか?」

「いいえ、私は飲ませてませんよ。勝手に潰れたんです。」

咲月はぽんっと人間の姿になってから飲みかけのままになっていた自分の升を手に取った。
静かに升を傾ける鬼灯は顔色が全く変わっていない。これがザルというやつだろうか。
鬼灯の隣に座って養老の滝から汲んできた一升瓶を持ち上げると横から伸びてきた手がそれを奪って咲月の升に注いだ。

「ありがとうございます。鬼灯様。」

こくりと飲んで、鬼灯の升にもお酒を注ぐ。
動いたあとの体にお酒が染み込むのがわかった。
おいしい。

「ちょっと、なんでそこに座るのさあ〜」

しばらく2人でゆったり飲んでいると、咲月が戻ってきたことに気付いた白澤がもそもそと芋虫のように移動してとてもナチュラルに膝の上に頭を置いた。
わあ、この距離でもお酒臭い。

「白澤様、飲みすぎです。また二日酔いなりますよ。」

「心配してくれるの?へへ、咲月ちゃんは優しいね。」

冷たくてきもちー、と言いながら勝手に咲月の手をとって頬に当てている。
ちなみにもう片方の手は、さりげなく太ももの外側に添えられている。

全く。
と咲月は思った。
師匠の酒好きと女好きには桃太郎も咲月も諦めに似た感情をもちつつも、困ったものだと思っている。
お酒を飲んでは誰彼構わず女の子にベタベタするのだから、もちろん近くにいる咲月だって時には被害に遭う。
気持ち悪い、とまでは思わないが咲月だって年頃(?)の女である。
あまり顔には出ないが恋人でもない男にベタベタと触られるのが平気なわけではないのだ。
普段は桃太郎が保護者さながらに守ってくれるが、今は酔い潰れていてそうもいかない。
こういう時、この人の性質は実に困ったものだなあと咲月は思い知るのである。

「ふふ、くすぐったいよ。」

せめてもの仕返しにと思い白澤のおでこの目を指でつんつんするが、思ったより嫌がることもなかったので咲月は諦めてため息をついた。

しかし、と桃太郎は前に話していたことがある。
桃太郎曰く、あの人にセクハラされる事はあっても本当に危ない目に合うことはないと思うよ、とのことだった。
なんでもあの困った師匠は女の子には見境なしだが、本当に手を出す時には一本筋を通すらしいのである。
曖昧なまま流れで手を出すようなことは決してせずに、僕と遊んでください、と許可を取った上でしか手は出さないのだそうだ。
それもどうなんだと思うが、それが彼なりの誠実の形らしい。

だから、咲月にもセクハラはするけれど咲月が嫌がっている限りなんだかんだで危ない真似はしてこないだろう、というのが桃太郎の考えだった。
咲月はそれを聞いてなるほどなあ、と思った。

確かに、白澤は今の状況のようなセクハラは何度かしてきたが、兄直伝の技が必要な程の状況になったことは一度もない。
それどころか、そもそも白澤は咲月に本気でその、許可をとろうとしたことがないのだ。
ふざけたセクハラや軽口はあってもなんだかんだで自分のことはそういう目で見ていない。
自分自身でもどこかでそれを分かっているからこうしてセクハラをされてもちょっとくらい、いいかなと思ってしまうのかもしれない。
と咲月は思うのである。

「ねえ、咲月ちゃん?何考えてるの?」

ぼうっとしている咲月に、白澤は機嫌のいい猫のような笑顔で語りかけた。
続いてますます咲月の手に頬を擦り寄せる。

膝の上で甘える師匠に咲月は困ったような笑顔で適当に答えた。
まあ、大きな猫か何かだと思えば可愛いかもしれない。

不意に、熱い、湿り気を含んだ息が咲月の手を掠める。

「!」

どくん、と心臓がひと跳ねした。

どくん?どうしたんだろう。動悸?
いつものセクハラだし、特に緊張することでもない。
現に数秒前まで咲月は安心しきっていた。
そこまで考えてから咲月ははたと思い至った。
脳裏に浮かんだのは数日前の場面である。
咲月は納得した。

そうか、これがトラウマか。

数日前、狭い部屋で狐に囲まれた時。
そういえばあの時もこんな動悸がした。
あまりの恐怖にあの状況を体が覚えていたのだろうか。
手にかかった息の熱さを引き金に思い出してしまったのかもしれない。
いわゆるフラッシュバックというものだろうか。
そうだ、あの時、首筋にかかったひどく熱い息。

咲月は手が震えるのを感じた。
だめだ、なんだか急に酔いが回ってきた気がする。
とりあえずこのトラウマから逃げたい、その一心で咲月は立ち上がった。

「あだっ!」

膝にあった白澤の頭が地面に激突するのにも構わず。

「お酒、汲んできますね。」

少し立ち尽くしてから、仰向けに転がった白澤の口に一升瓶で直接お酒を注ぐ鬼灯を尻目に捉えつつ、転がっていた空ビンを手にして滝壺へ向かった。









「ああ、びっくりした。トラウマって恐ろしいなあ。」

咲月は片手で胸を抑えながら空ビンを滝壺に沈めた。
ぶくぶくぶく、と空気が出てくるのを眺めて頭を左右にふる。
段々さっき飲んだお酒が回ってきたようで頭がふらふらする。
それに滝から立ち込めるお酒の匂いも酔いを加速させてしまう。

早く戻ろう、と急に立ち上がったとき咲月は足を縺れさせてしまった。
あ、と思った時にはもう遅い。
咲月の体はゆっくりと水面へと近づいていった。


ばしゃんっ!


大きな音を立てて咲月の体は滝壺に飲み込まれる。
滝壺はなんとか足がつく程度の深さだし、流れも穏やかではある。
立ち上がろう、そう思ったがしかし咲月は上手く体制を整えられなかった。
着水の衝撃でいくらか水を飲んでしまったのだ。養老の滝の水、つまり酒である。
咳き込もうとするとますます口の中にお酒が流れ込んできてしまう。
咲月はぼうっとする頭で、自分の体が沈んでいくのを感じた。

「咲月ちゃん!!」

くぐもった声が聞こえたのを最後に咲月は意識を手放した。



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