の好物は油揚げじゃない

「それにしても、毎回毎回よく飲みますよねえ。」

洗い終えたばかりの皿を桃太郎から受け取った咲月は布巾でくるりと拭いてから、本当ですよねえ、と答えた。
背後のトイレからはうめき声と、呪文のような中国語と、あまり聞きたくない種類の音が交互に聞こえてくる。
もう驚くことはない。毎回お馴染みの朝の儀式だ。

「また色々ちゃんぽんしてたみたいだし。」

「またこんなにたくさん瓶空けてるし。」

テンポよくお皿を受け渡ししながら愚痴る咲月と桃太郎の息がぴったりなのはこういう事が珍しいことではないからだ。

「桃タローくん、黄連湯作って。」

トイレから這いつくばって出てきた師匠の青白い顔を見て咲月は眉尻を下げた。
全く、こんなになってまで飲むほどお酒とは美味しいものだっただろうか。

テーブルの上のビンを片付けている途中の桃太郎を見て、咲月は私が、と断ってから黄連湯を作り始めた。
これも随分と作り慣れてきたものだと思う。

薬草、植物のことなら何でも知っている、尊敬すべき師匠が割とダメ人間(神獣)の部類に属していることに気付いたのは最近のことだった。

この人が毎晩のように遊び回るのは、何も発情期だったからじゃない。
ただ単に、元々"そういう"性質なだけなのだ。
お酒と女。
まさに絵に描いたような堕落の仕方。
世の中には本当にこんな人がいるんだなあと関心せずにはいられない。
椅子を二つくっつけて仰向けになっている師匠の姿を見て咲月はなんとも言えない気持ちになった。

「はいどーぞ。」

ことり、とテーブルの上に黄連湯を置くと、白澤は頭に乗せていた保冷剤を持ち上げてなんとか微笑んだ。

「謝謝、咲月ちゃん」

だるそうに起き上がった白澤の隣の椅子に座って咲月は聞いてみたかったことを口にした。

「白澤様、お酒ってそんなに美味しい?」

何がこの人をこんなになるまで飲ませるのだろう、とずっと疑問だったのだ。
白澤は唐突な質問に少し意外そうな顔をしたあと、そういえばと切り出した。

「咲月ちゃんは飲まない人なの?」

「神酒は好きでしたけどこんなになるまで飲んだことはないです。」

咲月が、こんな、を強調して言うと白澤は苦笑した。

「きついなあ。お酒はね、女の子と飲むとより美味しいし、楽しいんだよ。特に衆合地獄の花街。あそこは楽しいよお。まさに楽園だね。」

白澤はうっとりしたように言う。
まるでもう二日酔いなど何処かへ行ってしまったかのようだ。黄連湯が効くにはまだ早くないだろうか。

「衆合地獄って、お香さんがいるところ?そんなに素敵なところなの?」

「そうそう。あそこの花街はね、夜になると提灯や障子が赤く光ってそれは綺麗で賑やかなんだよ。」

にこにこしながら説明する白澤の言葉に咲月は少し興味を惹かれた。
何しろ生まれてこの方山育ちで、花街など行ったことがないのだ。

「白澤様、今度飲みに行く時私も連れてって下さい。」

「え!?いいよ、もちろん一緒に行こう!何なら今晩でも!」

「ちょっと待て!ダメですよ。絶対ダメ。」

桃太郎が慌てて止めに入った。

「え、どうしてですか?」

「あのな、この人がいつも行ってるお店なんて8割方がいかがわしいお店なんだぞ。そんなとこに咲月連れてくなんて俺は許しませんよ。」

桃太郎は咲月をお子ちゃまだと思っている節がある。
恐らく見た目に引っ張られているのだろうが、一応300歳を超える年齢なのになあ、と咲月は思った。

「流石に咲月ちゃん連れていかがわしいお店なんて行かないよ〜。ね、だから今日飲みに行こうよ。」

「とにかくダメです。どうしても行くなら俺もついていくので別の日にして下さい。」

桃太郎は今日以前から言っていた一寸法師と飲みに行く予定があるらしい。
断固として譲らない桃太郎に白澤はしぶしぶ頷き、今晩飲みに行くという話はなくなった。
がっかりした咲月であったが、咲月が夜の衆合地獄へ行くチャンスは意外にもすぐに訪れた。








電話がかかってきたのはその日の夜23時を過ぎた頃だった。
半分寝ぼけたままの耳に入ってきたのは聞き覚えのある衆合地獄のお店の名前。
電話の内容はといえば簡単に言うと、おたくの師匠さまが酔いつぶれたので迎えを寄越してください、との事だった。
結局、今日も白澤は1人で衆合地獄へ飲みに出かけてしまったのだ。
全く、あのお師匠さまは本当に手がかかる。

こういうことは珍しいことでもない。
咲月がここへ来てからも何度か桃太郎が白澤を迎えに行くような事態になっていた。
ただその日がいつもと違ったのは、丁度桃太郎も飲みに出かけてしまっていて残っていたのが咲月1人だったことだ。

そもそも咲月はいつも電話が来るたびに酔っ払いを連れ帰る苦労を想像して、ついていくと言っているのに桃太郎が一人で行くと言ってきかないのだ。
花街に行ってみたいと思っている咲月にとってはまたとないチャンスと少し浮き足立って、電話で聞いたお店に向かった。



赤い行灯に照らされた怪しい雰囲気と綺麗な着物を着た女達。
その華やかな様子に咲月は目を輝かせた。

「ここが、花街かあ〜。」

其処彼処にいるお姉さん方の妖艶な姿を目の当たりにして、咲月は桃太郎が自分を子ども扱いするのも納得が行くような気がした。
世の中にはこんなに色っぽい女の人達がいるのか。
こんな人達の隣に並んでは、自分などさぞちんちくりんに見えることだろう。
咲月は自分の胸を見下ろして納得したように頷いた。

兎は、狐や狸と違って化けるのがうまいわけではない。
咲月も例にはもれず、齢が100を超えたあたりから霊力がついて何とか人型を取れるようにはなったが、自分の思い通りの姿になれる訳ではない。
もし思い通りにできるようになったら、もう少し色っぽい姿をとろう、と咲月は心密かに決意した。

花街の光景にすっかり目を奪われていた咲月は本来の目的を思い出して、件のお店を探した。


「姉ちゃん、寄っていかんか〜。キツネカフェもあるで。」

花割烹狐御前。
そう大きく書かれたお店の前で立ち止まった咲月は客引きの男に声をかけられた。
派手な色のストールにカンカン帽をかぶり、煙管の煙を燻らす小粋なお兄さんだ。

「ん?なんじゃ。姉ちゃんうまそうな匂いがするのう。」

「!?」

客引きの男はすんすんと鼻を鳴らして咲月の頭を嗅いだ。
その行為に本能的な恐怖を感じた咲月は思わず2歩ほど下がって身構える。

「あの、白澤様はいますか?」

「ああ、旦那のお迎えじゃったか。こりゃ失礼。わしは狐の檎じゃ。白澤の旦那にはいつもご贔屓にしてもらって。」

「ひっ、き、狐?」

狐、という単語に白目を向きそうな勢いで反応した咲月だったが、檎はさして気に止めず、さあさこちらへと言って咲月の背中を押した。



奥座敷に案内されると中には幸せそうに酔い潰れた神獣と膝枕をするとんでもない美女がいた。

「あら、随分美味しそうな子ねえ。柔らかくて甘そうだわ。」

ぞわぞわぞわ。
絶世の美女の怪しい笑みに得体の知れない恐怖を感じた咲月は咄嗟に3回ほど足を踏み鳴らしてしまった。

「あれえ?こんなところに咲月ちゃんがいる。僕のうさぎちゃん。こっちにおいで。」

その音に、眠っていた神獣が目を覚ます。相変わらずとっても幸せそうな様子だ。

「ああ、あんたうまそうな匂いがすると思ったら兎か。妲己様の好物は兎より蛇じゃったろ。」

「たまにはデザートが食べたくなる時だってあるのよ。」

目の前で繰り広げられる会話に、恐怖の底に突き落とされた咲月は白澤に縋り付いた。

「は、白澤様あ。早く帰りましょう。一刻も早く。ほら早く立って。」

「ええ〜?やだよ。せっかく咲月ちゃんも来たんだから。僕はまだ飲むんだ。」

「わがまま言わないで下さい。このままだと私食べられちゃう。」

恐怖に混乱した咲月は半べそをかいて尊敬する師匠の頬を往復ビンタした。
白澤がちょ、痛いってと止めるが咲月には聞こえていない。
その様子を見かねた檎は咲月の肩に手を置いて諌めた。

「まあまあ、姉ちゃん落ち着きな。何も本気でとって食ったりはせんよ。」

「ひいい!」

突然触れられたことに驚いた咲月は叫び声をあげてますます白澤に縋り付いた。
訳も分からずごめんなさい、ごめんなさい、食べないでください、と呪文のように連呼する。

すると白澤がのそりと起き上がった。
次の瞬間、咲月の視界は一面白に染まる。
白澤が縋り付く咲月にそのまま腕を伸ばして抱きしめたのだ。

「ちょっと、檎ちゃん。この子はダメだよ。この子は食べちゃダメなんだ。」

うちのうさぎちゃんなんだから、と宣った白澤の呂律は全く回っていないがそれなりに真剣そうな声色だ。
咲月はますます混乱した。
首筋にかかる息がひどく熱い。
生まれて初めて狐に囲まれて、生まれて初めて男の人に抱き締められている。
早鳴りする心臓はどちらに反応しているのかわからなかった。

一方で白澤の様子に妲己はくすくす笑って言った。

「あら、意外だわ。嫉妬はしない主義じゃなかったの?」

「そういうんじゃなくて、この子はダメなの。大事な弟子だし、ちょっと無垢すぎるから。心配なの。」

「食べる、の意味が変わっとるのう。」

檎はボソッと呟いた。
白澤はさっきまでが嘘のように立ち上がって咲月の手を引いた。

「じゃあね。妲己ちゃん。また来るよ〜。晩安。」

白澤は再びとろとろした幸せそうな顔に戻って妲己に手を振った。

「またいらしてねぇ。晩安。」

「姉ちゃんもまた来てなあ。」

白澤に手を引かれながら咲月はもう二度とここには近寄るまいと誓った。



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