付き纏う男
叔父を頼ってフィレンツェに来た日、サヴェリオは一目で街の美しさに見惚れた。丘と丘の織りなす優美な曲線、その膝元を彩る芸術的な建造物の数々。麗しい女性達の集まる華やかなサロン、高度で国際的な政治を執り行う宮殿。彼のいたトリノとは比べ物にならないほど先進的で、どこもかしこも魅力的だった。
なかでもとりわけ魅力的なのが、叔母のサロンで出会った二人の少女たちだ。アルタヴィッラ家のエレナと、ペポリ伯爵家のクレアである。

二人は色々な点で対照的だったが、共に非の打ちどころもないほど美しかった。エレナは清楚で愛らしく、内気で慎ましい。クレアは聡明で美しく、フランス女のように世渡り上手だ。そして彼は、ケットリーでウィットに富んだ会話のできるクレアに惹かれた。
母親の影で慎ましくしているエレナよりも、駆け引き上手な彼女の方が遊び相手に相応しいと思ったからだ。

そう、最初は遊びの恋だった。それが、追えどもつれない彼女を見つめるうちに本気になってしまった。気付けば、彼女の行動に人知れぬ秘密の香りを嗅ぎつけるほどに夢中になっていた。結婚の約束をしたなどと嘘をつき、外堀が埋まればと虚しくも願ったり。彼女の過去に噂を立てたロシアの田舎者や、いきなり現れたジェノヴァの思想家に苛立ったりするほどに。

叔父に従妹との結婚を仄めかされるが、サヴェリオの眼中に彼女はいない。いるのは孤高にして謎めいた少女ただ一人なのである。彼女を手に入れるためならば、サヴェリオは何だってするだろう。そして、そのためには、ジェノヴァ貴族に釘をさすことが何よりも重要なのである。



「スペード氏。貴方は、彼女と親しいのですか?」
「さて、どうだったでしょうか」
「彼女――ペポリ公爵家の一人娘は、世にも稀なるお方です。美しく、心やさしく、そして聡明であられる」
「何を仰りたいので?」
「まあお聞きください。なにより、彼女は自分の強みを熟知し、最大限に発揮しておいでです」

蝶を誘う花の綻びに似た、艶やかな微笑み。ちらと見せる、庇護欲をそそる憂い顔。慈愛に満ちた顔をすると思えば、冷やかで近寄りがたい雰囲気を漂わせもする。心の赴くままに変わる表情に誘われ、人々は自然と彼女の心の中を知ろうとした。そして、ひとたび言葉を交わせば、才知溢れる会話と美しいフィレンツェ方言に魅了されるのだ。

「私もまた、彼女に魅了された男の一人です。ですが、彼女は自他を厳しく律しており、誰の手もとろうとはしません」

クレアのように渡り歩いていれば、普通ならば真偽はともかく浮名が流れる。しかし、彼女には浮いた話は一つもない。幼い恋が芽生えた瞬間に、無情の槌で打ち砕くからだ。愚かな男が勘違いして言い寄ると、彼女は冷たくあしらって見向きもしない。それでも男が引き下がらなければ、コケットリーに満ちた言葉で打ちのめす。友好関係は大歓迎だが、恋愛関係は決して許さない。それが彼女の信条であり、それ故に清純さと敬虔さは誰もが知るところとなった。

「もし、貴方が私と同じなら、ご忠告申し上げよう。彼女を想っても、貴方には叶わぬことだと」

忠告の皮を被った、ただの牽制だ。貴方には、と言った辺りが何とも笑える。デイモンにとって魚のウロコ並みに役に立たないなので、より一層可笑しい。

「忠告ですか。ふふ、旅の行き先も知らぬ身でよく言えますね」
「行き先?どうせ、また領地を視察しているのでしょう」
「今回はそうではないようですよ。もっとも、私達は彼ではないので、教えてもくれますまい」

彼。その言葉は、数年前にナポリへ去った男を想起させる。彼女がただ一人親密に接し、秘密の約束を交わした男だ。誰も口にはしないが、その噂のことは皆が覚えている。四年後のいつかに、その秘密が明るみになる日を待っているのだ――彼女を狙う男達以外は。

「何を仰りたいのです、ドン・スペード」
「いいえ。ただ、私の知る彼女とはかけ離れていて、まるで教会の説教のように聞こえただけですよ」
「なに?」
「ご心配なく、私には他に好きな人がおりますから。彼女を匿ってはおりません」

噛みつこうとした犬の鼻先に掌を突き付け、デイモンはにこりと笑った。その笑みはこれ以上くだらぬ話は聞かぬという意志表示であり、おちょくって遊んでいたことを如実に示していた。
彼は顔を真っ赤にして拳を握りしめたが、貴族としての誇りは忘れていなかった。素早く立ちあがり、エレナに一礼すると足早に去って行った。
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