嘘に嘘を重ねた
日が落ちれば、夜が世界を包み込む。華やかな社交界を離れれば、たちまち罪深い現実がクレアを包む。院長はクレアに、ナックルの過去に関する調書を渡した。人を殺めた罪。それを悔い、彼は全ての栄光を捨ててこの地に来た。

「後悔。此処に来る者はみな、それを胸に抱いている」

調書の上に、クレアは短銃を置いた。それには、死ぬ気弾が装填されている。チェッカーフェイスに貰ったものではない。クレアが自らの『箱』に収め、その炎を込めて作った弾だ。それが確かな効果を持つことを、クレアは知っている。

「主よ、この罪深い私を憐れんで下さい。罪の道より他に歩むところを知らぬ、私の愚かさを」

部屋に掲げられた十字架に祈り、クレアは銃を手に部屋を出た。



「今宵は月が明るうございますね」

背後から掛けられた声に、ナックルは思わず飛び上がった。振り返らずとも声の主は判っていた。此処に女性は一人しかいないのだから。

「ペポリ伯爵令嬢。こんな時間に、お散歩ですか?」

礼拝堂の扉を背に、彼女は何食わぬ顔で立っていた。夜着の上にショールを羽織り、昼間はきっちり結いあげていた黒髪を下ろしている。窓から零れる月明りが、その肌をより白く見せる。女性的な魅力に満ちた佇まいは、まるで大理石で作られた彫刻のようだ。

「ええ。どうしても眠れないものですから」

にこりと微笑み、クレアは歩を進めた。静かな深夜の礼拝堂に、ヒールの音がうるさく響く。何かしらただならぬ雰囲気を感じたのだろう。ナックルは十字架の前で跪くのをやめ、クレアに向き直った。

「ナックルさま。私は貴方に一つ、嘘をつきました」
「懺悔ですか。ならば聞きましょう、貴方はどんな嘘をついたのですか」
「出自を偽ったことです。私は、ペポリ伯爵家の令嬢ではありません」

ショールの内側から銃を取り出し、クレアは銃口を彼に突き付けた。

「私はしがないボクサーの妹です。貴方がその手で殺した、ボクサーの……」
「な、……なぜ」
「貴方がこの修道院に来ると聞き、先回りしたのです。復讐を、するために」

安全バーを引き、弾を装填する。銃の仕組みは知らなくとも、それが最後通牒で有ることはわかるだろう。ナックルは見るからに狼狽していた。このような形で罪を突き付けられると思っていなかったのだろう。

「葬儀に、貴女の姿はなかったように、思う」
「嘘でこのような真似ができると、御思いで?」

苦し紛れの言い訳を一蹴し、クレアは更に一歩、距離を詰めた。恐れからか、ナックルが後ずさる。しかし、背後には祭壇があり、それ以上は下がれないと知るに留まった。

「なぜ兄を殺したのです。貴方ほどの実力があれば、殺さずとも勝てたでしょうに」
「……っ、私とて、殺す気などなかった!」

人生最悪の瞬間を思い出し、ナックルはその場にがくりと崩れ落ちた。本当に、殺すつもりなどなかった。ただ本気で、全力で試合に挑んだだけだ。ボクシングで死者が出ることは珍しくない。議会で問題視され、ルールが作られるほどに荒っぽいスポーツなのだから。
しかし、相手は実力のあるボクサーで、本気を出しても死なないと思っていた。対戦相手が床に倒れ、その死が明らかになったとき、ナックルは信じられなかった。何かの罠か、誰かの質の悪い冗談だと思った。しかし、翌日には葬儀が執り行われた。

「手加減するのはスポーツマンシップに反する。そう言われて、本気を出した。だから、私は」
「私は悪くないと、そう仰りたいの?」
「違う!だが、私に何ができた?」

神聖なる試合において、対戦相手を思いやることは侮辱に等しい愚行だ。たとえ頭から血を流そうが、目を抉られて失明しようが、勝敗が決まるまで互いに容赦はしない。それがスポーツマンシップというものだ。ナックルはそう教わり、そう信じてきた。しかし、その素晴らしい信念は、死の危険を内包していた。

「私は、知らなかったのだ。力というものの恐ろしさを。それが私の罪であり、私に人を殺させたのだ」
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