修道院の羊
アラウディは基本的に、どこに行ってもコートや帽子を使用人に預けない。涼しい日は室内でも着たままで、暑い日はクレアの部屋まで来てから脱ぐ。帰る時は、玄関ではなく部屋で着る。何か落し物をしても、クレアなら何も詮索せずに返すからだ。

「準備ができたら、連絡して。僕はしばらく此処には来ないから」
「まあ、どうして?いつもはふらりと来られるのに」

コートを着るアラウディを手伝いながら、クレアは首を傾げた。彼は束縛されることを、極端なまでに嫌う。たとえどんな仕事があろうと、自分がしたいとおりにする。その彼が自ら来ないと言うのだから、それは彼自身の意図ということだ。今一つ理解できないクレアを見て、アラウディは目を細めて笑った。

「四年もお預けされるんだ。君の顔を見たら、我慢できないでしょ」
「……!ふふ、おかしな人。六年も待ったのに、たった四年が待てないの」
「六年も待ったからだよ」

帽子を目深に被り、アラウディは穏やかな足取りで部屋を去る。クレアはレナータに目配せし、玄関まで見送りに行くよう頼んだ。本来なら、客人を玄関まで見送るのはその家の者の務めだ。しかし、未婚の娘がそれをすると、過度に親密だと見られかねない。
要らぬ噂が立っては面倒だから、クレアはいつも部屋で見送る。そのため、クレアは知らなかった。

ジャンフィリアッツィ家の長男が、運悪く訪ねて来ていたことを。そして、最後のやり取りだけを、耳を欹てて聞いていたことを。廊下で彼と出くわしたアラウディが、彼を鼻で笑って去った事も。彼が全く見当違いな誤解をし、腹を立てて帰った事も。その日の夕食にリディアに説教されるまで、クレアは知らなかった。



アラウディとの会話は、その日のうちに社交界に知れ渡った。縁談を断られた腹いせに、ジャンフィリアッツィ家の長男が吹聴したのだろう。確かに、聞き様によっては誤解を受ける言い回しだったかもしれない。しかし、あの程度の戯れなら社交界の誰だって口にする。別段、珍しくもない。
何も変化がないと判れば、じきに忘れ去られる。下手に否定して回るより、ほとぼりが冷めるのを待った方がいい。クレアは次の実験も兼ねて、モンテ・オリベート・マジョーレ修道院に身を寄せた。

噂を嗅ぎまわる輩はしつこいが、ここのような片田舎なまでは追いかけてこない。フィレンツェを離れるくらいなら、噂に妄想を上乗せして楽しむだろう。おかげで、クレアは一人でじっくりと仕事に取り掛かれる。領地の管理。銀行の運営。もろもろの勉強――すべきことは年々増えて行く一方だ。
特に領地は直轄しているため、現地の者との細々とした遣り取りがやたら多い。社交のことは一切忘れ、クレアは毎日ひたすら仕事に没頭した。日が傾くころ合いに、クレアはコンコンと扉を叩く音に我に帰った。顔を上げると、戸口に立つ老修道士と目があう。

「申し訳ありません、院長様。気付きませんでしたわ」
「よいよい、こちらの事情で参ったのでな」

そう言って、院長は戸口の方に向かって手招きした。それに応えるように、一人の青年が姿を現す。修道士だ。歳はまだ若く、ジョットと同じか少し上くらいだろう。短い黒髪や体格からして、元スポーツ選手か軍人か。暗く悩み深い表情から察するに、後者だろう。

「あ、え、女……?」
「彼は新しく入った修道士で、ナックルという。顔合わせしておいた方がよかろうと思ってな」

クレアと目が合うと、彼の表情が引きつった。すぐさま目線を逸らし、あらぬ宙を泳ぎ始める。まるで悪魔にでも会ったかのような反応だ。

「い、院長!こ、こここは確か、男性修道院はいないのでは」
「彼女は特別じゃ。わしの友人の娘でな、出入りが許されている」

本来ならば、男性修道院に女性が滞在することはあり得ない。異性は悪魔と同義であり、修行に差し障る存在だからだ。それを承知で実験場を男性修道院に定めたのには理由がある。万が一、秘密が露見した時に、もっともらしい反論をするためだ。男性修道院に女性が入れるはずがない。故に、この修道院で行われたいかなる蛮行にも、クレアは関わっていないと。

もっとも、修道士達は院長によって厳正に管理され、いかなる秘密も口外しない。許されざる罪が幾度繰り返されようと、それが外に漏れることはない。外部の者が、知りえたことを外に話さない限りは。そして今、堅牢たる砦の中に、何も知らぬ青年が来ている。
しかし彼は、牧場を監視する犬ではない。牧場に迷い込んだ、哀れな羊だ。

「私は貴方と同じ、命を賭して正しき道を探す者です。神の御前に、性別の垣根がありましょうか」
「いや、ないが、しかし……」
「ご心配なく。私には慕う方がおり、その愛は神への信仰と同じく一途なものです」

天地が引っ繰り返ってもありえぬと断言されれば、それ以上の拒否しようもない。ナックルは腹を括り、胸の前で十字を切った。
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