凍える夜
その夜、クレアは夢を見た。母と兄二人を乗せた馬車が、賊に追われている夢だ。飛び起きて、クレアはすぐに千里眼を使って彼らの様子を探った。そして、崖の下で身を潜める彼らを見て、それがただの夢でないことを知る。同時に、枕元の燭台に一つだけ、火が灯される。驚いてその方を見れば、少し前に下がらせた筈のレナータが立っていた。

「彼らの今を、見られたのですね」
「レナータ!あれは一体どういうことなの?なぜ彼らが追われているの」
「定められた運命だからです。ご安心ください、彼らは死にません」

淡々とそう告げて、レナータはクレアが蹴飛ばした寝具を整え始めた。

「雨が、降っていたわ。冷たい雨よ。あの人はきっと、凍えているわ」

ジョットは雨の中、茂みに隠れて震えていた。許されるなら、飛んで行ってその肩を抱きしめてやりたい。彼を、彼を取り巻くすべての恐怖から守ってやりたい。そう思うのに、クレアの体はこのぬくぬくとした寝具の中に縛り付けられている。

「これからも、同じ事が起こります。早く慣れた方がよろしいですよ」

要らぬ忠告を残して、レナータは火を消して退室した。クレアは彼女を冷たくねめつけ、姿が消えると寝台から下りた。冷たい床に跪き、十字架を両手に握りしめて祈った。彼の無事を。彼の心が傷付かないことを、神に祈った。



「読み終えた本を書棚に戻しましょう」
「え?」
「酷い有様ですよ」

レナータに問われて、クレアは本に埋もれかかった勉強机から身体を起こした。改めて見てみると、確かに机の上は乱雑極まりない状態になっていた。堆く積まれた、向きも上下もバラバラの本。その合間から、内容を走り書きした羊皮紙の束が飛び出ている。羊皮紙とインク壺を置くスペース以外は、手を衝くところもない。
本の山から羊皮紙を一枚引っ張り出してみると、それは一週間も前に書いたものだった。
その頃から、この机の上はこの状態だったらしい。インク壺と羽ペンだけは避難させ、クレアは慎重に本の山を崩した。羊皮紙は羊皮紙で集め、本は未読のものと既読のものを分けて積み直す。

「息抜きにお人形遊びはいかがですか」
「この家の本は今年中に読み終えたいの。遊ぶ時間なんてないわ」

ペポリ伯爵は読書家らしく、書棚には何千冊もの本があった。その何割かは前世で読んだものだったが、知らない本の方が圧倒的に多い。時間が許すかはわからないが、クレアはそれら全てを読破するつもりだ。知識がいつ、どんな形で役立つか判らない以上、知り得ることは知っておかねばならない。
クレアは近くにあった未読の本に手を伸ばした。しかし、レナータにその手を抑えられ、くるりとひっくり返される。

「本日の午後、アルタヴィッラ公爵さまがおいでになります」
「サン・ジャーコモの領主さまね、ヴェネツィア貴族の」
「はい。娘のエレナ様も一緒においでになるそうですよ」

エレナ。ギリシャ神話のヘレネを起源とする名だ。美しく育つよう願って付けられたに違いない。娘を連れてくるということは、友達にしたいと望んでいるのだろう。クレアは既に、フィレンツェの社交界で次世代の華に目されている。美貌の華には財と権利が絡む。早めに接点を作り、デビュー後の地位を確立させたいと考えているのだろう。

「着替えて、お客様をお出迎えしましょう」
「ドレスはいかがなさいますか」
「お父様がくださった木イチゴ色のものを。靴とリボンはカフェラッテ色のものがいいわ」

クレアの指示に、すぐさまメイドがドレスを取りに行く。彼女達が動き出せば、クレアに出来ることは何もない。ただ棒のように立って、着せ替えが終わるのを待つだけだ。全ての支度を終えたころ、エントランスのベルが鳴った。

「いらっしゃったみたいね」
「そのようですね。参りましょうか、お嬢様」

レナータの手を取り、クレアは階下へと向かった。エントランスからは、父とアルタヴィッラ公爵の会話が聞こえていた。柵の隙間から見下ろすと、きらきらと輝く金色の髪が見えた。アルヴィラッタ侯爵令嬢だろう女の子が、空色の目を輝かせて室内を見渡していた。
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