望むこと、望ましいこと
石造りの教会は、夜の暗闇を多分に含んで空寒い。人の掲げる篝火がなければ、死の世界のように思えるくらいだ。ざく、ざく。穴の中に下ろされた棺に、男達が土を被せて行く。死した彼女は、何を思っているのだろう。もし口がきけたなら、何を言うだろう。
自分はずっと昔に死んでいて、放置されていたと怒るだろうか。偽りの娘を家に入れてはならぬと、訴えるかもしれない。
しかし、彼女に口はない。冷たい土の下に、言葉と共に埋められていく。遠方で埋められているだろう父を思い、クレアは目を伏せた。父に口があったら、何を言っただろう。平らになった土の上に、大理石が置かれる。

「もう、何も言えないのね」

クッファ家のクレアも、もういない。嘘という穴に落ちた。罪という土を被せられ、使命という石で蓋をされた。今ここに居るのは、ペポリ伯爵家のクレアだ。再び彼と出会うその日まで、クッファ家の末娘は生き返らない。



「お嬢様。もうそろそろ限界です」
「……でしょうね」

差し出されたレモン水を受け取りながら、クレアはため息をついた。膝に乗せていた経済に関する分厚い本を閉じ、グラスに口を付ける。クレアが知っている知識は、現在より数百年ほど古いものだ。時代に見合うよう、変化している点などを刷新しなければならない。もともと、クレアはイタリア地方については殆ど何も知らない。ルネッサンスの影響で文化面は知っているが、それ以外はさっぱりだ。
自国の事を何も知らないのでは、さすがに話にならない。かくて、葬儀の日から一カ月、クレアは自室に籠ってひたすら勉強していた。

「心配せずとも、この国の貴族は勉強などしていません。字さえろくに書けませんよ」
「それは流石にあり得ないでしょう。領地の管理ができないわ」
「ガベッロットにまかせっきりですから、必要ありません」
「ううん……そこが問題よね」

貴族に求められる教養として、自由七学科というものがある。文法、倫理学、修辞学、天文学、幾何学、算術、ダンスを含む音楽の七つだ。しかし、この国の貴族は誰も、どれ一つとして学ぼうとしない。女性に至っては、自分の名前さえ正しい綴りで書けない有様だ。
政治家は社交会での会話や、饗宴の支度などのセンスはあるが、実務能力はほぼ皆無。労働に従事することは貴族の矜持に反するというのが、彼らの言い分だ。昨今のフランス貴族にそっくりの、まったくもってばかばかしい思想だ。国民の意向を知らないで、どうしていい国が作れるものか。

「統治者の怠慢は、国を滅ぼす愚行よ。皆がそうでも、私はそれを看過できないの」
「では、どうされるおつもりで」
「銀行を使って、馬鹿な貴族の所領を差し押さえるわ」

借金の肩に奪った所領を、本来の正しいやり方で管理する。ガベッロットを置かず、貴族が手ずから統治するのだ。そうすれば、農民の暮らしが今より豊かになる。なにせ、この地方の農民は、物質的にも精神的にも貧しすぎるのだ。彼らが豊かになれば、いまだ統一ならぬこの地域はいつか、一つの国になるだろう。外国に富を搾取されない、立派な主権国家に。

「国家を作り、かの人を王に据えるつもりですか?」
「いいえ。国家となるかは農民の決めることだし、あの人に玉座は似合わないわ」
「ならば、そんなことをせずとも良いのでは」
「確かに、そう言われればそうね」

クレアが貴族社会に紛れ込んだのは、ジョットを守るためだ。彼の為に人脈と財を手に入れ、彼の成すことを犯罪にしないために。チェッカーフェイスがくれた環境は、実に申し分ないものだ。ここまでお膳立てしたのだから全て成せという、無言のプレッシャーすら感じるほどに。
実際、ここまでお膳立てしてもらって、何も得られなかったでは済まない。クレアはなんとしても、必要なものを全て掴み取らねばならない。十年というと長いように思えるが、子供の頃の十年なんてあっという間だ。不必要なことに感けていたら、何もできないで終わってしまう。

「領地が増やして財を築くだけで十分かもしれないわ」

レナータに微笑み、クレアは空のグラスを返した。そして、手元の経済本を開き、読み終えた頁を探す。

「でも、あの人はそれ以上を望む人なの。その期待に応えることこそ、私の本分なのよ」
「わかりました。来週のパーティのことですが」
「支度のことなら、全部任せるわ。派手なのは嫌だけれど、それなりに目立つものにしてね」

パーティにかかる準備をそっくり丸投げし、クレアは再び読書に没頭した。
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