未来に芽吹く種
エレナ・ルチャーナ・クロリンダ・アルタヴィッラ。古くはシチリア王家の建国に携わったとされる、名門アルタヴィッラ家の一人娘だ。彼女は三日前、ペポリ伯爵家の娘が修道院から戻ったといううわさを聞いた。伯爵夫人の葬儀に出た叔母が言うには、その娘は大層な美貌だったらしい。
その上、物腰が穏やかで、まだ五歳ほどの子供だと言うのに気品が感じられたという。その話を聞いて、エレナは俄然その子に会いたくなった。いったいどんな子なのだろう。物語の御姫様のような子なのだろうか。どうすればそんな風になれるのだろう。エレナはまだ、足音を立てずに歩くことさえできないのに。

会って、話をしたい。友達になりたい。父にねだってペポリ家を訪れると、彼女は家庭教師に連れられてきた。長い黒髪にアンバーの瞳、白い肌。高い頬骨に、少し細い面差し。
歩く時も背筋はしゃんと伸びていて、威厳と気品を醸し出している。髪を結ぶ、カフェモカの色のリボンがとても素敵だ。色自体は決して派手ではないのに、使い方がとても上手だ。
エレナは一目で彼女のことが好きになった。友達になりたいと思った。この出会いが、後々の人生を変えてしまうとは思いもせずに。



懐かれてしまった。微笑みの裏で、クレアはどうしたものかと頭を抱えた。

「明後日ね、ピッティ宮殿でパーティでしょ?クレアは何色のドレスを着て行くの?」
「私のドレスの色が気になるの?」
「うん、とっても。私、赤色が似合うと思うの」

喜色満面ではしゃぐエレナに、クレアは苦笑した。何を気に行ったのか、彼女はとても親しげに接してくれる。子供の社交はこんなものだったろうか。前世を思い起こしても、ここまで親しくしてくれる人が居た記憶はない。国の違いなのか、或いは彼女自身がそうした性格なのか。クレアは隣に座るレナータを、同意を求めて見上げる。

「赤色なんてアグリッピナみたいね。私、もっと落ち着いた色が良いわ」
「アグリッピナ?」
「ヘルマンのオペラよ。そうね、私はきっとベージュのドレスを着て行くわ」

ベージュのドレスと聞いて、エレナは少しがっかりした。もっと鮮やかな色の方が、彼女には合うと思ったのだ。

「貴女は何色のドレスを着て行くの?」
「えっ、えと、私はピンクのつもり」

あんまりにエレナがしょげるので、見かねてクレアは問いを返した。すると、さっき泣いた烏が笑うように、ぱっと笑顔が戻る。まるで妹ができたみたいだ。

「素敵ね、きっとよく似合うわ。当日、貴女に会うのが楽しみよ」



それから二日後、クレアは宣言通りベージュのドレスを着て馬車に乗り込んだ。ピッティ宮殿は、トスカーナ公国の政治の中枢たる王宮だ。そこで開かれる王族主催の晩餐会と舞踏会は、三日に渡って続く。フィレンツェの貴族という貴族が集い、政治上の駆け引きを行うためだ。次世代を担う子供達も、そこで子供だけの社交界を作る。今は児戯に等しく見えるレベルのものだが、将来に影くものである以上疎かにはできない。

馬車の列に並ぶこと一時間余り、二人はさんざ待たされた末にピッティ宮殿に入った。父とは玄関ホールで別れ、クレアは別棟の第二ホールに案内される。豪華な調度品の数々、絹を使った壁紙の鮮やかな色彩。宮殿の全てが、前世で過ごした館や王宮の光景を想起させる。
その何もかもが、クレアには懐かしく思えた。ここにジョットが居たら。腕を組んで歩き、ダンスをできたら――。そう思った途端に、無性に寂しくなった。寄る辺のない寂しさが、彼を求めてやまない心を苦しめる。思わず俯きそうになった顔を、クレアは矜持だけで上げ続けた。部屋から部屋へと渡り歩いていると、二つほど向こうの部屋から呼ぶ声がした。

「クレア!本当にベージュなのね」
「そう言うエレナもピンクね。とっても素敵よ」

エレナのドレスは濃淡をつけたピンクで、布地もフリルもふんだんに使っている。襟ぐりを飾るリボンや、袖を飾るレースが可愛らしい。対するクレアのドレスは、ベージュに茶色のリボンをあしらったシンプルなものだ。さほどフリルやレースは付けず、差し色だけでアクセントをつけている。子供が着るには少し無邪気さに欠けるが、色彩のみで輝く子供たちのなかでは異彩を放っている。

「驚いたわ。ベージュって言うから、てっきり地味になると思ってたのに」
「派手ならいいって物でもないでしょう。……あちらが騒がしいようだけど、どうしたのかしら」
「チェスゲームをしているの。とても強い子がいるのよ」

エレナに手を引かれ、クレアは机に群がる子供達の輪に近づいた。少し癖のある銀髪の美少年と、赤毛の少年がチェスをしている。赤毛の少年はちょうどジョットと同じくらいの年齢だろう。顔立ちはとてもいい方なのに、厳しい顔でチェスボードを睨みつけているせいか少し怖い。

「……やめだ。興が失せた」
「おい、試合放棄すんのかよ!」
「子供が群れてきて鬱陶しい」

銀髪の青年が一方的にゲームを終わらせ、席を立つ。そして、周りに集まっていた子供達を避けて、ベランダへと足を向けた。

「アラウディさまってホント素敵ね」
「あの凛々しい顔立ち、涼しげな目元がたまらないわ」

残された子供たちは、ひそひそと囁きながら方々へ散っていく。クレアはチェスボードへと歩み寄り、赤毛の少年の向かいに座った。

「よかったら、ひとゲーム付き合ってくださいな」
「お前、強いの?弱いんならヤだぜ、他の奴とやってろよ」

彼の憮然とした表情には、女にチェスなど出来る筈ないと書いてある。そんな顔をするのなら、この世間知らずな坊ちゃんに教えてやろう。イギリス人のチェスは、こんな片田舎のレベルではないと。クレアは微笑み、盤上に駒を並べなおした。

「私の育ったところは、チェスがとても盛んだったの。さあ、始めましょう、貴方が先手よ」
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