火事場の馬鹿力
改めて藍色の炎を見ると、それは神秘的な光景だった。話に聞く北国のオーロラは、きっとこのようなものなのだろう。揺らめく火先の向こうに、クレアはチェッカーフェイスではなくジョットを見た。いつか彼も、この男のように炎を纏う日が来る。その姿はこの世界の何よりも尊く美しいに違いない。
しかし、できるならばそんな姿は見たくない。火の中に見える彼が、悲しい顔をしているからだ。眉間にしわを寄せ、祈りを瞳に宿し、歯を食い縛って耐えている――。その姿が必ず未来になると、クレアは知っている。炎を纏うその時は、彼が力を行使する瞬間でもあるのだから。



男は炎を消し、リングを指から外して懐に戻した。わざわざ指から外したのは、恐らくその異常な力を警戒してのことだろう。

「どうすれば、そんな風にできるのかしら」
「まず、絶対条件として覚悟が必要だ。力を欲し、そのためならばどんな事も厭わぬという覚悟がね」
「力を欲する覚悟、……」

前世のジョットは武力の行使を嫌い、なによりも平和と民の安寧を望む心優しい人だ。無暗に力を厭うことはないが、自ら望んで力を手に入れようとも思わないだろう。

「あの人の性格を考えると、その条件を満たすのは難しいわね」
「そこを何とかするのは君だ。知恵を絞って成したまえ」

条件を回避したいと訴えれば、男は難題を丸ごとあっさりとブン投げてくる。思わず文句が口をついて出そうになるが、クレアはぐっと耐えた。

「まあ、それ以前に生命力を自在に使えるよう修行しなければいけないが」
「それも私の仕事なの?」
「もちろんだ。何度か死線を彷徨うことになるが、タイミングと手順さえ間違えなければ問題ない」

さらりとロクでもないことを抜かし、男はクレアの膝の上に布の塊をぽんと放った。いやに油臭いそれを手に取ると、重くて硬い感触がある。

「それは修行に使うものだ。光栄に思え、時世に合うようわざわざ手段を変えてやったのだからな」

中身を見るよう顎で促され、クレアは膝の上で布を広げた。月の光を受けて鈍く輝く、黒い金属の塊が転がり出てくる。

「これは、銃……?」

クレアが知る銃は、ライフルと呼ばれる長銃だけだ。それは銃身が長く、肩に置いて撃つために木製の銃床が付いている。しかし、この銃は女性の手にも収まるほど小型だ。握ったまま撃つのか、銃床はなくグリップが手に合う形になっている。銃身はライフルに比べて遥かに短く、撃鉄も見当たらない。正直なところ、玩具のライフルよりも攻撃力の低そうだ。
珍しい型だと眺め回して、クレアはふとそれの用途に思い至った。もし本来の用途で使うのならば――そう考えて、顔から血の気が引く。

「火事場の馬鹿力という言葉を知っているか」

表情の変化を見てとり、チェッカーフェイスは口元に笑みを浮かべた。説明する手間を省けるから、察しのいい人間はそう嫌いではない。

「死の危機に直面した時、人間は生き延びようとして生命力を過剰に使う。それが火事場の馬鹿力だ」

人間の体には常時、生命力を安定的に使うためのリミッターがかかっている。しかし、死というプレッシャーがかかると稀に、それが無意識に解除されることがある。そして、その状態で人間は、体への負担など度外視にして、過剰なまでに生命力を引き出す。それこそが火事場の馬鹿力と呼ばれる、非常事態に発揮される力の正体だ。

「体が死ぬ気で頑張る状態に慣れるまで、何度でも繰り返す。これが第一段階の修行だ」
「待って。貴方、これで彼を撃てというの」

前世でジョットは、胸を撃たれて死んだ。彼はほかならぬ銃で死んだのだ。

「銃は危険よ。彼を撃つなんてできないわ」

銃は簡単に人の命を奪う。よしんば生き永らえても、銃創によっては、その後の人生を左右する後遺症が残る。危険性を知りながら、どうして愛する人に銃を向けられるだろう。まして、前世での死因と同じ銃を。彼の死を見るのは前世だけで十分だ。

「貴方達は幾ら撃たれたって死なないかもしれないけど、彼は違うわ。彼は人間よ。そして人間は脆い生き物なの」

彼が死ぬ気になるまで痛めつけるには、何発の銃弾が必要だろう。その数だけ、彼は苦しむことになる。そして、苦しむだけ苦しんで、死んでしまったら――何もかも終わりではないか。彼は生きなければいけない。彼自身のために。そして、彼が愛した世界のために――彼が選んだ運命のために。
布ごと銃をチェッカーフェイスに投げ返し、クレアは立ち上がった。こんな試練を彼に課そうとするなど、人を馬鹿にしているにもほどがある。

「セピラに伝えてちょうだい。見損なったわ、貴女はもう少し人間を理解していると思っていたわと」
「ほう、それで?」
「方法を考え直しなさい。彼を害するなんて、私にはできないわ」
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -