鼻が利くひと
グリエルモがフィレンツェを去って、二年後。彼の父であるレオポルト二世が世を去り、その妻も三ヶ月後に亡くなった。愛妾リディア・ライモンディは、愛する人と親友、そして行き場もなくした。彼の嫡子は留まるよう言ってくれたが、それは社交辞令に過ぎない。本心では、汚らわしい娼婦など消えてほしいのだろう。しかし、フィレンツェに戻ったところで、友人は居ても家はない。

「リディア様。御手紙が届きました」
「どなたから?」
「ペポリ伯爵家のご息女、クレア様からです」
「……?どうして手紙なんて……」

ペポリ伯爵家に一人娘がいることは知っている。しかし、相手はまだほんの子供で、こちらは大公の愛妾だ。年齢的にも、身分的にも、手紙を交わすほど親しい仲になることはない。不躾に送られてきた手紙だと、破り捨ててしまうこともできる。しかし、リディアは中身が気になり、封を開いた。
手紙の内容は、我が家に来てほしいという招待状だった。家庭教師としてではなく、お目付け役として招きたいと言う。ウィーンで見聞きした、最新のファッションや作法、音楽に政治的な事情。大公の政治を支えた手腕を、ぜひとも教えてほしいとのことだ。

これほど請われたならば、リディアの体裁を損なうことはない。伯爵令嬢の御目付役になれば、子を持つ多くの貴族から敬意を払われる。それも将来有望な、美貌と頭脳をもつ女の子ならばなおさらだ。リディアは即座にこの要請を受け入れると決め、召使いを呼んだ。

「フィレンツェへ帰る支度をしてちょうだい。それと、コートと馬車を用意して」
「お出かけですか」
「ええ。ペポリ伯爵家へ行くことになったから、御別れの挨拶をしてくるわ」


リディアが快諾した瞬間を、クレアは千里眼で見ていた。行き場のない彼女を家に招いたのには、ちゃんと理由がある。彼女から得られるものが魅力的だったことだけではない。グリエルモ――Gの母の居場所を、直接管理しておきたかったのだ。
このまま見過ごせば、彼女はいずれ社交界から姿を消しただろう。庶民の群れに紛れ込まれたら、見つけ出すのは不可能だ。Gが立派に成長して、再びフィレンツェに戻る時。ただの母子として会いたいと願い、それが叶わないのではあんまりだ。

それに、彼女には務めてもらいたい役割がある。クレアがフィレンツェを離れている間、その行方をはぐらかす役割だ。彼女は社交的センスがあり、大公が全幅の信頼を置いた政治家だ。その口は貝より固く、誰が何を意図しても割れないだろう。
クレアは千里眼を閉じ、目を開いた。そして、ため息をついた。興味を隠しもしない目つきをした、プラチナブロンドの青年が見えたからだ。いつの間に、真向かいの椅子に座ったのだろう。音は愚か、気配さえクレアは感じなかった。巧みに気配を隠し、忍び寄ってきていたのだと思うと、そら恐ろしい。

「アラウディ。群れるのは嫌いではなかったの」
「君こそ、どうして一人でいるの」

いつもはせっせと社交に勤しんでいるじゃないか。まるで、何かに備えているかのようにね。そう言って、彼はアイロニーもたっぷりに笑って見せた。
アラウディ。ロシア大使の子息で、家柄・財産・美貌の全てが揃った人気者だ。女性からの人気がとにかく高いが、当人は大の人間嫌いで誰も寄せ付けない。ただ、彼には人に知られることのない裏の顔がある。それも、社交界の華やかさとはかけ離れた、血腥い顔だ。
夜に千里眼で彼を見ると、大体の場合ろくでもない光景を見ることになる。倒れ伏す数多の屍と、血の赤と、そして凶器――そして、地に飢えた獣。誰に仕えているか知らないが、十中八九危険な仕事だろう。関わらないに越したことはない。

「どうして私が一人の時に来られるの」
「君は何かを隠してる。僕はそれに興味がある。前にそう言ったよね」
「そうね。私は何もないって答えたわ」

眉間を指先で揉みほぐしながら、クレアは溜息をついた。彼はフィレンツェに来ると、決まってこうして会いに来る。おかげで、彼が来るたびに嫉妬した女性達からの嫌がらせを受けることになる。厄介な人間に嗅ぎ付けられたものだ。たとえ真実を教えたところで、理解しないだろうに。

「女性の秘め事を暴こうなんて、無粋な人ね。貴方も同じなのに」
「僕に秘密なんてないよ。群れたくないだけだ」
「あら、昨晩は群れていらしたでしょ」

扇を閉じた音が、パチンと冷たく響く。さっきまで長閑だった空気が、一瞬で殺伐としたものに変わる。

「……見ていたの」
「さぁ、どうだったかしら」
「見たのなら、君の秘密を教えてよ。不公平じゃない」
「アラウディ。好奇心は猫をも殺すと言うでしょう」

クレアは自らの首もとで、畳んだままの扇を軽く横に一閃させた。斬首を想起させるその仕草に、アラウディの目が鋭く細められる。

「私の秘密はとても凶暴なの。あまり首を突っ込むと、噛み殺されてしまうわ」
「僕はそんなに弱くない」
「そうね、でも私は弱いの。貴方が私を助けてくれるなら、話は別だけど」

秘密主義で誰とも群れない彼が、誰かを助けるとは思えない。冗談よと付け加えて、クレアは席を立った。

アラウディ→ある国の秘密諜報員
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