名前
ガベッロットは言った。農民は平気で嘘をつき、盗みを働く、浅ましい存在だと。生活が苦しいのはわかる。搾取する貴族が悪いことも、わかっている。しかし、いくら貧しかろうと、それを理由に悪事を肯定することはできない。グリエルモもその意見に同意した。決まりごとを情で捻じ曲げては、道理が通らなくなると。だから、相手が農民と知った上でも、引き金を引き続けた。

しかし、ガベッロットの言う決まりごとが、その者の欲によって道理を捻じ曲げた末のものだったならば。正しさを貫くためでないのなら、一体何のために銃を撃ち続けたのか。グリエルモの手から、銃が滑り落ちる。それは地面にぶつかって、罪を知らしめるべく天啓に似た音を立てた。



「貧しい折半小作にとって、共有地で採れるキノコや果物は貴重な収入源だ」

しかし、ガベッロットは私腹を肥やすために、共有地を独占した。盗人はガベッロットの方だった。泥棒だと思っていたのは、本当は正当な使用権を持つ農民だったのだ。

「だから、なんだってんだよ。見逃せってのか?」
「そうだな。それに君も、そんな仕事はやめた方がいい」
「何も知らない癖に、勝手なこと言いやがって!俺が、どんなに辛い思いをしてきたか、知らないで……っ」

視界が滲み、瞬くと涙がこぼれた。グリエルモはそれを乱暴に拭い、銃を拾い直した。たとえ真実を知ったとて、生きていくにはこれしかない。どこを探しても、余所者のグリエルモを雇ってくれる所などなかった。素性の知れないものを軒下に入れる事さえ、シチリア人は毛嫌いした。
身分を明かして帰ることも考えた。しかし、家族はもうフィレンツェに居ない。オーストリアまで追いかけたところで、歓迎などされない。恥をかかせた息子を、母が許す筈がない。貧しさが骨身に染み着いた子を、大公が受け入れる筈がない。最初から、グリエルモには帰る家などなかったのだ。それはあの女――クレアだって、分かっていただろう。それでも、身分の証明を握らせた。在りもしない希望に縋らせて、絶望の中で自死するように。

「生きてくためなら、仕方ないだろ!俺は、俺は……」
「悪党の仲間入りはやめるんだ。今ならまだ、間に合う」
「うるせぇ!何発撃ったと思ってんだ!手遅れなんだよ、今更」

雇われてから、数えきれないくらい銃を撃ち、人を傷つけた。殺したことはないが、殺意のある攻撃をしたことに変わりはない。

「辞めるんだ。それで、俺の家に来い」
「……は?」
「住む家はある。贅沢はできないが、ご飯も三食出せる。一緒に、真っ当に働こう」

目の前に、ジョットの手が差し出される。日に焼けて、傷だらけで。思わず彼の顔を見上げて、グリエルモは愕然とした。ジョットは微笑んでいた。哀れみも侮蔑もない、ただ慈愛だけを宿して微笑んでいた。赤の他人を銃撃から守って。貧しいのに金なんか渡して。それで、ドブネズミみたいに零落れた奴を、救おうとしている。何もかもが常識外れで、底抜けにお人好しで、馬鹿みたいに善人で。優しくて、温かくて。

「……ッ、う、うああああ」

足の折れた案山子のように、グリエルモは膝から崩れ落ちた。苦しくて、辛くて、悲しくて。我慢していた感情が、一気に溢れ出した。

「おれ、だって。真っ当に、真っ当に生きたいさ」
「うん」
「でも、無理だったんだ。何にも、知らないし、できないし、余所者だし」
「ああ。俺もさ」

泣きながら、グリエルモはジョットの手を掴んだ。温かい。人の温かさだ。ピアノを教えてくれた時の、母と同じだ。傷付いた鳥を拾い上げ、手当てする人の、優しさに満ちた手だ。

「俺はジョット。名前、聞いてもいいか?」
「あ……」

名前は個人を表すものだ。しかし、ジョット以外に名を聞いてきた人はいなかった。小僧だの、おいそこのだのと呼ばれ、それに慣れてしまっていた。

「……G。アルファベットの一文字で、Gだ」

Gはgiotto、Guglielmoの両方に共通する頭文字だ。新しい名前は、その一文字だけで良い。素晴らしい名を思いつき、グリエルモ――Gは破顔した。変わった名前に動揺したジョットも、その笑顔を見て、自然と笑んだ。

「俺の名前はGだ。よろしくな、ジョット」
「あ、ああ。よろしく、G」


遠くから千里眼で見ていたクレアは、ため息をついた。銀行の経理を学んでいた手を止めて、常備しているビスコッティに手を伸ばす。

「どうされました、お嬢様」
「彼がジョットの所に行ったの」

レナータの差しだす紅茶を一息に飲み干し、また溜息をつく。一時は望みなしかと思ったが、計画はスタート地点に戻ってきた。

「彼のおかげで、一つ学べたわ」

彼がジョットの元を去った時点で、クレアは彼の可能性を見限った。しかし、運命は再び彼らを引き合わせ、予定調和へと導いた。もしも、即時抹殺を命じていたら、今の結果は得られなかった。リスクが最大でない時は、少し待ってみる余裕も大切なのだ。
それが偉大なる神のお導き、つまり偶然なのか。或いは、チェッカーフェイスやセピラのお導き、つまり必然なのか。それはクレアの知るところではない。ずさんな計画を補ってくれたのならば、どちらでも良い。レナータに紅茶のおかわりをねだりながら、クレアは皮肉めいて笑った。

「まったく、偉大なる神の御手は、いつだって在り難いものね」
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