- 優しいひとに
アラウディは血に飢えている。持てる力の全てを使った死闘を求め、その相手となり得る強者を探している。彼女の秘密を求めるのは、そこに強者の臭いを嗅ぎ取ったからだ。彼女を救うつもりなどさらさらなく、彼女のためとお為ごかしを言うつもりもない。ただ戦うため。血腥く、凶暴で理性の欠片もない戦いをしたいがためだ。
「君の秘密は、そんなに強いのかい」
ガラス戸を開けようとした彼女が、ぴたりと動きを止める。振り返ろうとはしないが、その背中からはあからさまな苛立ちが見て取れる。
「僕は血腥い殺し合いが好きでね。強い相手を探してたんだ」
「戦争屋はお呼びじゃないわ」
「話してくれるなら、君の秘密を噛み殺してあげるよ」
アラウディは甘やかな誘惑を声に乗せ、彼女を呼び戻そうとした。その胸に隠された、秘密という名の凶暴な獣を殺すために。しかし、肩ごしに振り返った彼女の顔は冷たい仮面のようで。一言だけ残して逃げた背中は、泣いているように見えた。
「ロシアの田舎者も、お呼びじゃないの」
「お嬢様、お手紙が届きました。ご確認を」
「お客様の前よ。後にしてちょうだい」
談笑を遮るように、レナータが御盆に乗せた手紙を差し出してくる。クレアは一瞥をくれて、冷たく断った。しかし、彼女は引き下がらない。
「叔父君からの御手紙です。返事を急ぐとのことですが」
「……わかったわ。ごめんなさいね、すぐに戻りますから」
賓客にお辞儀して、クレアは手紙を手に隣室へ移った。封筒には宛先も差出人名も書かれていない。チェッカーフェイスからの連絡だからだ。内容は大体がロクでもないもので、今回も例にもれずそうだった。
森深きモンテ・オリベート・マジョーレ男性修道院に参られよ。迷いし子羊が訪れたので、牙を研ぎたくば――。
文面を読み終えた瞬間、クレアは衝動的に手紙を真っ二つに引き裂いた。更に細かく破いてやろうと手に力を込めた瞬間、背後で扉が開く。
「クレア、どうしたの?大きな音がしたけれど」
「……なんでもないわ」
後を追ってきたのは、エレナだった。破られた手紙を見て、彼女は目を丸くした。いつも冷静で、どんな悪ふざけにも動じないクレアが、手紙を破くなんて。
「悪い知らせなの?それとも、下賤な手紙だったの?」
「大したことじゃないわ」
「でも、顔色が悪いわ。私に話せない事なの、クレア?」
クレアは破いた手紙を封筒もろとも小皿の上に置き、急いでマッチを擦った。火を落とせば、小皿の中で手紙がたちまち灰へと変わる。明らかに、中身を見られまいとする振る舞いだ。心配して身に来た友の前ですることではない。エレナは頬を膨らませ、不満を露わにした。
「親友に話せないことなんて、ロクな物じゃないと思うわ」
「そうね。本当に、そうだわ」
心の底から同意し、クレアは長椅子に腰かけた。招待状の意味を考えただけで目眩がする。ぐったりと座りこむ様子に、エレナもこれがただ事でないことに気付いた。傍らに跪き、すっかり血の気の引いた指先に己の指を絡める。
「クレア、本当に顔色が悪いわ。貴女は何に苦しめられているの?」
「言えないわ。言えないの、本当に」
「私、貴女が心配よ。どうしたら貴女の力になれるの?教えて、私の大切な親友、貴女には何が必要なの」
エレナがくれる、直向きで優しい友情に応えて上げられないことが辛い。クレアは一方的に、彼女との間に秘密という溝を作っているのに。
もう少しだけ、傍にいて。冷えた指を温めて。クレアは掠れた声でそう囁き、目を閉じた。視界を揺らす涙がはらりと頬を伝い、一筋の道標を描いて消える。
「エレナ、私はきっと救われないわ。幸せにもなれやしない」
「何を言うの。神は信じる者を救ってくださるわ」
「いいえ。でも、あの方が私を赦してくだされば、それでいいの」
「あの方って?」
クレアは親友を見つめ、首を横に振った。それさえも言えないのだと。エレナは悲しげに笑った。秘密という大きな壁が、彼女を悲しませるのだ。
「エレナ。私は少しフィレンツェを空けるわ」
「どこへ行くのか、聞いてもいい?」
「ナポリの女性修道院よ。御世話になった院長が、もう長くないそうなの」
クレアはエレナの手を握りしめ、嘘を連ねた。これほど簡単に、さもしい理由を並べたてられるなんて、昔の自分なら想像もつくまい。
「私、必ず帰ってくるわ。だから、エレナ。待っていてくれない」
「もちろんよ。どうしたの、まるで戦場に往く兵士みたいじゃない」
「いつか、真実が明るみになるわ。それまで、待っていて」
クレアの言わんとすることを察し、エレナはぱっと破顔した。秘密という壁が崩れさる時を、確約されたのだ。その時、二人は真実の親友となれると。
「もちろんよ。ずっと待つわ、私の素敵な親友、優しいひと」
「ありがとう、エレナ。貴女に出会えて、良かったわ」