罠に落ちた赤ん坊
ザンザスの号令は、ただちに彼の配下である十三のファミリーに伝えられた。それらは家制度の延長に生まれた新興の、ボンゴレに従うことを選ぶ程度には賢いファミリーだ。
賢いといっても、それは決して教養を備えているという意味ではない。彼らは幼年期から暴力に親しみ、勤勉さとは無縁に育ち、野生動物の本能ばかりを磨いてきた。いかに綿密に計画を作っても、彼らにはそれが理解できない。

欲望に忠実な彼らが余計なことをしないよう、また遊ばずに命令通りの仕事をするように、誰かが監督しなければならない。今回、その役目はレヴィ・ア・タンおよび彼の率いる雷撃隊に任された。
彼はまず、作戦本部を街の様子――特に罠の中心に在る餌場――を観察しやすいよう、街を俯瞰する丘に陣取った。その上で、敵を目標ポイントへ誘導するために、各所に狙撃主と遊撃隊を配備した。あとは、愚かな術師が罠に掛かるのを待てばいい。

レヴィは望遠鏡で、街の中心部に立つ建物を睨んだ。それは一見すると善良なる市民病院のようだが、実態は医療の崇高なる精神とは大きくかけ離れている。なにせ、入院患者にエストラーネオの開発した薬を飲ませ、違法な実験をしていたのだ。
もちろん、患者は自分が違法な実験に使われていたことなど知らない。病気が治るのだと信じ、中身のすり替えられた薬を服用し、多くは苦しみながら死んだらしい。入院したが最後、生きては出られぬ呪いの病院――巷では、そんな風に噂されていた。

ボンゴレが閉鎖して以降、そこは多くの死とエストラーネオの実験記録の倉庫となった。獲物が研究データを狙っているのならば、必ずこの施設に来るだろう。それも、周囲の確認などろくにせず、罠かどうか警戒する余裕もなく来る。
他の施設は今この瞬間も、ザンザスによって粛々と、徹底的に破壊されている。研究データを破壊される前に、施設を発見される前に――。術師はいつ来るとも知れぬ破壊の手を恐れ、大急ぎで飛び込むに違いない。

そして、飛び込んだが最後、猟犬どもに追われ続ける。逃げ惑ったその先に、この世で最も恐ろしい男が待ち構えているのだ。ボスの勇姿を想像し、レヴィはその活躍に貢献できることを誇らしく思った。ああ、願わくば一言、お褒めの言葉を頂ければ――。

「む、いかん。今は気を引き締めねば!」

うっかり陶酔に浸りそうになり、レヴィは両頬を叩いて正気に返った。何事も始め良ければすべてよし、つまるところ初動が肝要なのだ。罠に嵌めるまで、決して気を抜いてはいけない。トランシーバーを握り締め、レヴィは報告を待った。


そして、待つこと五日――。足まで凍りそうな冬山の夜に耐え、待ち続けたある日。同じように待っていた術者の一人が、異変を告げた。奇妙な赤ん坊が一人、街に紛れ込んだ――と。

「アルコバレーノだと?なぜそんなものが……そいつは病院に向かっているのか?」
「はい。よほど急いでいるらしく、今は幻術で身を隠すこともしておりません」

レヴィは揉み上げを掻き、どうしたものかと考えた。どうせ相手は三流術者だと思っていたので、強い術者が手持ちに居ない。狙撃主に敵の位置を伝えればよいので、術を見抜くことに長けた者ばかりを選び、狙撃ポイントに配備している。

相手が最強の赤ん坊と知っていたら、相応の編成をしていた。しかし、敵が罠にかかったのだから、作戦を諦めるわけにはいかない。ここで撤退しようものなら、後に百年は笑いの種にされることだろう。

「いかにアルコバレーノといっても、所詮は術師。一千ヤードの彼方から飛んでくる銃弾には勝てまい?」
「確かに、幻術では物理的な攻撃は防げません」
「ならば決まりだ。作戦を実行する!目障りな術師を、我らがボスの御前に引きずり出せ!」

レヴィは無線を全体に繋がるよう切り替え、気合いを入れんが如く吠えた。雷撃隊を主軸に編成された遊撃隊と狙撃隊が、地鳴りのような声で吠え返す。同時に、生体反応を感知したセンサーが、全ての無線機に警笛のような音を伝える。
病院の一階正面にある総合受付、そのカウンター一面に塗り広げられたプラスチック爆弾が爆発する。周囲の被害を一切顧みない爆風は衝撃波と化し、ふらふらと入り込んだ愚か者――バイパーに突き刺さった。

「ふぎゃ!な、なんだ、これは……!」

道の向こうまで吹き飛ばされ、バイバーは目を白黒させた。体の前面は火炎に炙られ、背中には粉々に砕かれたガラスが刺さっている。表面の炭化した手などは痛みのあまり、動かすことさえままならない。

「誰だ、こんな、こんな酷い仕打ちをするのは!術者は、物理的な痛みには弱いのに……!」

服の中に隠れていたファンタズマが、のそのそと姿を表す。思えば、危険の兆候はあったのだ。このトカゲが隠れるということは、敵意を持つ誰かが居るということなのだから。
しかし、バイパーは気ばかり急いて、警戒を怠った。
それもこれも、あの実験体が悪いのだ。移植手術が終わった途端、まるで人格が変わったみたいに暴れ出して、全てを壊してしまった。あの場には、輪廻転生を解明するためのあらゆるものが揃っていたのに。

不幸中の幸いは、万一の場合に備えて、パソコンのデータを全ての施設で共有していたことだろう。あの場にあったパソコンは壊されたが、情報はまだ、エストラーネオのクラウドに残っている。
権限のあるパソコン――エストラーネオの施設のものさえ使えれば、情報を引き出すことができる。クレアから写し取った、輪廻転生のメカニズムを解析するために必要な情報。それさえあれば、研究を続けられる。

しかし、ボンゴレの動きは予想よりも迅速で苛烈だった。ボスの娘に手出しされたことが、よほど我慢ならなかったのだろう。データ収集はろくにしないのに、破壊するとなると執拗なまでに丁寧にする。後にはゴミ拾いの子さえ見向きもしないガラクタと、鉄筋の突き出たコンクリが残されるだけだ。

まだ破壊されていない施設の中で、めぼしいものというと此処くらいしかない。それもいつ壊されるかと思うと、居ても立ってもいられなかった。しかし、焦った結果がこれでは、意味がない。――何も得られぬまま、死ぬのか。

「そんなのは、嫌だ……僕は、生きたいんだ!」

バイパーは傷付いた自らの体に幻術を掛け、傷を一時的に無いようにしてみせた。治したわけではなく、ただ幻術で自分の脳を騙しただけだ。傷を押して無理に動くわけだから、当然のようにツケが回ってくる。しかし、今はなんとしても、この場を凌がねばならない。
地面に横たわっていると、嫌でも色々な音が聞こえてくる。爆発の余波で建物が崩れ落ちる音、逃げ惑う人々の足音。――そして、整備不良の明らかな軍用ジープの、喧しい走行音。

敵は未だ諦めていないらしい。バイパーもデータを諦めるつもりはないが、命に代えても得たいというわけではない。最悪、データはヴェルデに頼めば何とかなるが、命は何にも代えられないのだから。
バイパーはふわりと宙に浮き上がり、ジープとは正反対の方へ逃げようとした。しかし、目の前を銃弾が掠め、行き先を遮る。そちらに行けば撃ち抜くという警告だ。ならばと別の方へ行くと、今度は狙撃されない。

「まずい、これはまずい!」

どうやら、敵はバイパーをどこかへ誘導したいらしい。早くどこかで撒かないと、袋小路に追い詰められかねない。バイパーは試しに、幻術を使って自分の体を隠し、ジープをやり過ごそうとした。
しかし、助手席の男が自分の居場所を的確に指さすのを見て、バイパーはあわてて逃げた。一瞬遅れて、後部座席の男の手にした自動小銃が火を吹き、壁に一列の弾痕を作る。
目利きの術師がいる上に、幻術を練る間を与えないやり方だ。幻術で騙せるなどと勘違いしたことに対し、次にやったら殺すという脅しだろう。

「冗談じゃない!何をしたっていうんだ、ちくしょう!」

逃げ道を探し、バイパーは町中を縦横無尽に逃げ回った。しかし、それは全て相手に誘導されたものであり、別の方へ行こうとすればたちまち銃弾が雨あられと降ってくる。相手の良いようにされているとわかっても、もうどうしようもなかった。姿が見えないので狙撃手に幻術は使えないし、車で遊撃してくる者の傍には術死が居る。

この時、バイパーはまだ思ってもみなかった。これが一日で終わる地獄ではなく、昼夜を問わず三日連続で続き、町から町へ逃げてもなお終わらず、ついぞ一回も反撃できないまま終わる事になるとは。
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