開眼した少年
偉大な研究の、栄えある実験台に選ばれたと告げられた時。彼はそれが一種の死刑宣告であることを理解した。

そして、たとえ実験が成功したとしても、それを誇りに思うことはないだろうと思った。
どんな実験であれ、ここで行われる事は一つとしてまともではない。

人の形を失うか、心を失うか。いっそ無様に生きるくらいなら、死にたいと思った。
手術台に乗せられて、水槽の中に浮かぶ赤い眼球を見た。

それは彼を嘲笑っているように見えた。吠えることさえできない、骨の髄まで負け犬な在り方を。
まるで、悪の権化が雑魚っぽいチンピラを歯牙にもかけぬように。

仕方がないじゃないか。彼の両親は直属の上司にさえ頭が上がらず、言われるままに息子を差し出すような雑魚なのだから。

雑魚の子は雑魚なのだ。どう足掻いたって、悪の権化になど成れはしない。
しかし、彼は研究者たちの会話に耳を澄ませ、考えを変えた。

どうやら、悪の権化たる目玉を移植されるらしい。それを体に取り込んで、悪に染まってしまえたら。
ただ虐げられるだけの負け犬から脱却できるのではないか。

そして、麻酔で朦朧とする頭のなかに、何かが現れた。
形のない何か。黒いビロードのマントのような、炎か影かつかぬもの。

それは彼の意識を取り巻くように広がり、縦横無尽に体の中で暴れ始めた。
まるで、弱い体を拒絶し、何処かへ逃げだそうとするかのように。

――力がほしい

他者の支配を退け、何人にも侵されぬ自我を得るために。
他者の心身を支配し、何人も阻めぬ復讐の道を切り開くために。

声が届いたのか、形のないそれが一斉に彼に襲いかかって来た。
それは彼の心から魂へと流れ込み、全てを暴き始める。

彼が心の奥底に隠した感情。両親への絶望と憤怒、そして愛を希求する心と、それが裏切られた悲しみ。

研究者に対する憎悪と懇願、痛みへの恐怖、死への嫌悪。生きたいと願ったこと、それが叶わぬことを憂えたこと。

諦めという蓋で閉じた破れ鍋をひっくり返され、ドロドロに腐った感情が溢れ返る。
幼い心はまたたく間にキャパオーバーし、気が狂いそうなほどの混沌に呑まれる。

痛みに耐え、彼はその嵐が過ぎ去ることを切に願った。しかし、痛苦の記憶は今生で終わらなかった。

黒い炎は生まれる前の記憶を引きずり出したのだ。灼熱の地獄、極寒の地獄。針の上を歩き、血の海に溺れた。

罪を重ねたつまらぬ人生を挟みながら、地獄で受けた呵責の記憶が次から次へと湧いて出てくる。
獰猛な獣に襲われ、生きたまま齧られ続けた。再生する傍から体を刻まれ、激痛にのた打ち回り叫び続けた。

魂に残っていた記憶が全て掘り返された時、ようやく嵐は静まった。
黒い炎は彼に同化し、もの言わぬ道具に――ただの権利へと成り下がった。

「なんてことでしょう」

自らの前世を全て思い出し、彼は笑った。人生とはなんと取るに足りないものか。
前世だった何十という人生は全てがお粗末でつまらない。

罪を犯した理由も、人生の幕引きも。起承転結の全てがあまりにも馬鹿馬鹿しい。
こんなつまらぬ生を繰り返すためだけに、人は輪廻転生をするのか。

原始時代から四千年、世界は物質的には豊かになった。しかし、全く進歩のない人間どもは、いっかな学習せずに同じ過ちを繰り返している。

この世は一見すると綺麗だが、原始の輝きはとうの昔に失われている。
理性のない猿もどきが共食いし、食い散らかした跡を汚い嘘で塗り潰したからだ。

地獄絵図の上に描かれた油絵は、娼婦の厚化粧のようで見るに堪えない。
汚いことばかりして、美しく在ろうとする人間のなんと醜いことか。

こんな取るに足らない世界は、全て壊してしまった方がいい。
何もかもを破壊して、何もかもを原初の美しさに戻すのだ。

彼は手術台の上で起き上がり、自らが手にした悪の権利を掲げた。
それは三叉の槍として顕れ、彼の意のままにこの世を破壊した。

飛び散った肉片と血が、白く塗り込められた世界を美しく彩る。
恐怖に染まった悲鳴と狂乱が心地良い。世界の真の顔が暴き出されたみたいだ。

「なにをする!やめろ!」

叫び、男が銃を構える。しかし、次の瞬間、潰れたトマトになるというのに。
カートが押し倒され、手術道具が高い金属音を鳴らして床に落ちる。

なんと美しい音色だろうか。人の叫び声より余程きれいだ。気が付くと、部屋の中で動く者は彼一人になっていた。

誰もかれもが床に倒れ、事切れている。誰のものとも知れぬ血を浴びた姿で、彼は呆然と立ち尽くした。

あっけない。あれほど強く、恐ろしく、絶対的な恐怖に思えたのに。
大人たちは弱かった。子供一人にも勝てぬほど、弱かったのだ。

服従していた自分が馬鹿みたいだ。否、実際のところ、馬鹿だったのだろう。
三叉槍にこびり付いた血を振り落とした時、背後で音がした。

小さな足音と、怯えた息遣い。白髪の子供とメガネの子供が寄り添いながら、戸口まで来ていた。

感嘆のため息が聞こえた。まるで、買ってもらえないと思っていた玩具を渡されて、嬉しくて堪らなくて零したような。

凄惨な大量殺人の現場を見て、怯えるどころか解放と勝利の喜びに駆られている。
混じりけない敬意の眼差しを背に感じて、彼は思わず笑いを零した。

「クフフ……」

なんと可愛らしい子供達だろう。見所があるではないか。世界の真実を知り、それを暴いた者を敬う――阿るわけではない――とは。

この世界と同じで、どこまでも救われない者達だ。哀れで、いっそ飼ってやりたくなるくらい愚かだ。

「やはり、取るに足りない世の中だ。全部消してしまおう」

異変を感じたのに怖くて出てこない子供達とは雲泥の差だ。大いなる野望の為に、使える子供達は拾っていこう。
彼は右目を覆うガーゼを剥がし、彼らに向き直った。

「一緒に来ますか?」

そう問いかけた時の、彼らの表情といったら。まるで、地獄の中で蜘蛛の糸を見つけた青年みたいではないか。

群れからはぐれた幼子が、寄る辺を得て安心したのだとしても。
やっと得られた居場所がよりにもよって自分だとは、不幸にも程がある。

彼は皮肉めいた笑みを浮かべ、泣きながら頷く二人に付いてくるよう手で示した。
連絡が絶えたことで、じきにエストラ―ネオの本部から武装した構成員が来るだろう。

強力な能力を得たといえど、彼ら相手では些か分が悪い。
まだ能力自体を理解しきっていないし、使いこなせてもいない。

反撃するのならば、この能力を自在に使えるようになってからだ。それまでは、逃げながら準備するしかない。

彼らは人気のない廊下を走り、警備の居ない裏口から脱出した。
研究所の裏手から森の奥へ急ぐ。ハリエニシダの茂みで傷付きながら、生き延びるためにただ走った。
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