一人目の黒幕
「着きました。どうぞ」

素っ気なく告げて、アントニアが扉を開く。観察室といったところだろうか。
研究室の一画をマジックミラーで隔てた部屋で、記録紙が机から床まで溢れ返っている。

そんな部屋の片隅に、ソファを二つばかり据えた休憩スペースがあった。
職員が仮眠するせいだろう、安物の輸入品は型崩れして薄汚れている。

そこに、一人の青年が座っていた。栗色の髪に緑色の瞳、ジョルジオ・アルマーニのスーツ。場が違えば、代議士か弁護士と思っただろう。

「はじめまして、私はフィデンツィオ・アネッリと申します。どうぞ、お座りください」
「ありがとう。私のことはご存知でしょうね」
「ええ、存じておりますとも、ドンナ・ペーポリ。いえ、ボンゴレリングの『箱』とお呼びした方がよろしいかな」

『箱』という呼び方に、クレアはぴくりと眉を動かした。
ドアの脇に控えたアントニアを振り返り、その目に映ったスペードのマークを確認する。

「……あなた、誰なの」
「フィデンツィオ・アネッリですと申し上げましたが」
「いいえ、違うわ」

デイモンがこの一件に関わっていることは間違いない。
クレアを誘拐したアントニアは、彼にマインドコントロールされているのだから。

しかし、目の前の青年はデイモンではない。彼は口が裂けてもクレアを『箱』と呼ばないからだ。

潜入している時であっても、彼は必ず『姫』という呼称を使う。役立たずのお飾りだと、悪意を込めて蔑むために。

目の前の青年がデイモンか確かめるため、クレアは目を閉じ、千里眼を開いた。
いかな幻術でも、超感覚を使って視るこの能力を欺くことはできないからだ。

千里眼で部屋を俯瞰した結果、青年は部屋の中に居なかった。
その体は全て幻覚であり、其処には小さな赤ん坊がいただけだった。

「はじめまして。私に何の御用かしら、霧のアルコバレーノ」

正体を見抜かれるとは思わなかったらしい、幻覚の青年が身じろぐ。
その姿を見て、クレアの口元に歪な笑みが浮かんだ。


「ここはエストラ―ネオファミリーの拠点でしょう」

幻覚を解いた赤ん坊と向かい合わせに腰かけ、クレアは口火を切った。

「よくわかったね」
「子供たちを見れば、すぐにわかるわ」

あの部屋に居た子供達は、服装も年齢もまちまちだった。
共通しているのは、体のどこかしらに包帯を巻いて、元気がないことだけだ。

多人数を誘拐して、健康を損なう行為を強いているファミリー。
部屋に充満する薬品の匂いと合わせれば、答えはおのずと出る。

「化学系のマフィアで、誘拐と人体実験を行うファミリーは一つしかないわ」
「百歳以上のくせに、頭はボケてないようだね」
「お生憎さま、私は未だ五歳よ」

軽いジャブのような会話を重ねる二人に、アントニアがコーヒーを運んでくる。
クレアはカップを手に取り、背後の記録紙の上に放り投げた。

茶色い染みと、割れたカップの破片が白い紙の上に散らばる。
アントニアはクレアの暴挙を見ても、依然として無表情のままだ。

ボンゴレの邸で会った彼女ならば、きっと目を吊り上げて怒っただろう。
クレアの軽口を、鼻を抓んで優しく咎めたように。

「それで、今日はどういったご用件なのかしら。早く帰らないと、ピアノの先生に怒られてしまうわ」

遠まわしに誘拐という乱暴な手段を非難しながら、本題に踏み込む。
霧の赤ん坊の、フードの隙間から僅かに除く口元がぴくりと歪んだ。

「君しか知らないことを、教えてもらいたいんだ」
「鉄帽子の男の居場所のことなら……」
「いいや。リボーンから聞いたよ、君が知らないってことは」
「そう。だったらもう少し、彼のように礼儀を示すことね」

訊きたいことが何にしろ、答えを乞うなら手段を考えるべきだ。
少なかれ、リボーンは非情に礼儀正しく、真正面からクレアを訪れた。

「礼儀?必要ないね、頭を下げて教えてもらうつもりはないよ」
「ではどうやって?拷問なら時間の無駄よ、KGBも呆れるくらい経験したわ」
「拷問も必要ないよ。君をあの装置に据えれば終わる」

赤ん坊が指差した先、分厚いガラスの向こうには手術台が二つある。
一つは普通の手術台だが、もう一つには頭を覆うヘルメット状の機械が付いている。

「わからないわ。あの機械で、私から何を取ろうというの」
「わからないかい?僕が求めているのは、君の記憶だよ」

記憶。そう告げられた瞬間、クレアはさっと蒼褪めた。
なにせ、前世から今に至るまで、覚えている限りの全てが秘密といっていい。

なにより、何者にも絶対に知られてはならぬ秘密がある。
P2のメンバーのこと以上に、僅かな可能性さえもデイモンに知られてはならぬ秘密が。

「記憶?何の記憶を?」
「おっと、情報はここまでだよ。さあ、作業を始めてくれ」

赤ん坊がパチンと指を鳴らすと、ドアが勢いよく開いた。
まるで声がかかるのを待っていたとでも言わんばかりに、白衣の男達がぞろぞろと入ってくる。

先頭の男に肩を掴まれ、クレアは身を捩って振り払った。
同時に『箱』の炎を使って壁を作り、部屋の隅へと後退する。

「大人しく捕まってほしいね。抵抗は見苦しいよ」
「いやよ。沢山の人命が掛かっているのだもの。あなたの目的が何であれ、記憶は見せられないわ」
「人の命を言うのかい、君が?」

燃え立つ黒い炎の、忙しなく動く濃淡。その揺らめきを利用し、クレアは自らの魂に炎を灯した。
それは全身を包み込み、魂に刻まれた記憶の大部分を閉じ込める『箱』になった。

それに鍵を掛けて炎に戻し、残された少ない魂の中へ戻す。
研究者を阻む壁の動きに紛れて、これらの隠蔽工作をやり遂げた瞬間。

黒い炎の壁が凍りへと変貌し、些細な衝撃で砕け散った。
バイパーが幻術を使ったのだ。怒涛のように押し寄せる研究者の向こうから、赤ん坊の勝鬨が聞こえた。

「さあ、見せてもらうよ。前世とやらが実在する証拠をね!」
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