彼によく似た子供
ジョットと過ごした日々は、一日一日が優しく温かい光に包まれていた。
苦労や痛苦もあったけれども、それも今となっては幸せの欠片だ。

しかし、全ては刹那に等しく、長い時の中では一瞬の輝きに過ぎない。
残されたのは、光が去った後の暗闇だけだ。

雷の降る時を待ちわびて、クレアはずっとその暗闇の中に居た。
同じ世界に閉ざされた、もう一人の存在を背に感じながら。

二人は相反する思想の為に対立し、イタリアの裏社会に屍を積み上げ続けている。
イタリアで起こった全ての抗争は、二人の代理戦争といっても過言ではない。

彼は過激なマフィアを、クレアはP2と反マフィア派の民間人を駒にして。
血を血で争う戦いを繰り返し、思惑など与り知らぬ者達をも巻き込んで。

どちらかが倒れる日まで、争い続けるだろう――昔も、今も。



クレアは冷たい床の感触を頬に感じながら、目を覚ました。
沼から抜け出たような、後味の悪い覚醒だ。

体を起こすと、酷い目眩と気だるさに頭が揺さ振られる。
どれほど時間が経ったかは分からないが、まだ薬は残っているらしい。

「大丈夫ですか」

声を掛けられ、クレアは頭を抑えながらゆっくりと顔を上げた。
見知らぬ少年が、心配そうな顔でこちらを見ている。

ずいぶんと風変わりな髪型だ。ジグザグとした分け目に、頭頂部の短いざんばらな髪。
藍がかった黒髪の成すその造形に、クレアはぞっとした。

「――デイモン」

――デイモン・スペード。
初代の霧。かつての友人。遠い昔に決別し、道を違えた裏切り者。
そして、今はマフィアボンゴレを影から支配する者。

クレアがP2の盟主として、この百年の間に数え切れぬほど剣戟を交えた宿敵。
面差しといい髪型といい、何もかもが彼にそっくりだ。

「一体どういう企みなの、デイモン」
「え?」
「いいえ。そんなこと、どうでもいいわ」

きょとんとする少年の胸倉を掴み、クレアは『箱』の炎を迸らせた。
この首を刎ねて、百年にも及んだ争いに終止符を打つ。

無防備な理由も、反撃しない理由も後で考えればいい。今、この好機を逃して、また百年を争うくらいならば。

「死んで、終わりにしましょう」

炎は細長い『箱』になり、クレアはそれを掴んで蓋を指先で弾いた。
手探りで箱から中身を取り出し、頭上に振りかぶる。

少年はわけもわからず、少女が振り上げた手の先を見つめた。
明かりがないため、何を握っているのかは分からない。ただ、それは自らの命を奪い得る凶器だと察しがついた。

どうして殺されなければいけないのだろう。ただ、名前を聞きたかっただけなのに。
少年が悔しさと悲しさに顔を歪めた、その瞬間。

背後の扉が開き、誰かの手がクレアの手首を捕えた。
よく磨かれた銀のナイフが戸外からの光に反射し、きらりと輝く。

「そこまでです、お嬢様」
「……っ」

頭上から放たれた無感動な声に、クレアは息を呑んだ。クレアの知る彼女の声は、もっと優しくて温かかった。

「ご覧になりましたか」
「ああ。間違いない、彼女は本物だ!研究班に知らせて来よう、さっそく実験だ!」

少し離れた所から、中年男性の嗄れた声が答える。その言葉で、クレアは自分が罠に掛かってしまったことを悟った。

クレアは手から力を抜き、ナイフを取り落とした。なにが百年の争いに決着を付ける、だ。その敵の思惑に、まんまと乗せられておいて。

「……手を放してちょうだい、あなた。痛いわ」

親しい人に使う『tu』で呼びかければ、おぞましいものを振り払うように手を離される。
クレアは振り返り、無表情な侍女を見上げた。

瞳にトランプのスペード模様が浮かんでいる。デイモンのマインドコントロールが掛かっている証だ。

「私を誘拐するなんて良い度胸ね、デイモン。今度はどういう企みなの」
「……あの方が、お待ちです。こちらへ」

説明する気はないらしく、クレアは溜息をついた。
子供の体では、抵抗しても力ずくで連れて行かれるだけだ。

「いいわ。案内なさい」

少年の胸倉を掴んだままだった手を離し、彼女の後を追って部屋を出ようとした。
しかし、少年にドレスの裾を掴まれ、クレアはつんのめった。

「待って、待ってください。どこへ行くのか、分かっているんですか」
「さあ、知らないわ。でも、行きつく先はいつだって一緒よ」

クレアはドレスの裾を翻し、少年の手を振り払った。
そして、足元に落ちていたナイフと箱を拾って、全てを元通りに片付けた。

「あ、あの……貴方の名前を、教えてくれませんか」
「……?知って、どうするの」
「ただ知りたいだけです。だめですか」

まるでその質問が命運を左右するかのように、気負い込んだ問い。
クレアは煩わしげに首を振り、踵を返した。

「クレアよ」


少年に背を向けた時、脳裏に過去の一瞬が浮かんだ。
ひとに孤独を就きつけた時の、いまも悔やんで止まぬ一瞬が。

エレナの亡骸を抱き締めて、喉を嗄らして哭いた彼の悲鳴。
慌てて寝間着で駆けつけたクレアを睨み、彼は激しい口調で弾劾した。

「なぜエレナを見殺しにした!貴女の目には見えていた筈だ!我らの危機を、貴女の目は見逃さないと、言ったじゃないですか……!」
「――……っ」

自警団に危険が及ぶとき、千里眼は勝手に作動し、クレアに敵の姿を教える。
しかし、エレナの危機は見えなかった――自警団のメンバーではなく、協力者だったからだ。

実際的で厳然としたその事実を、クレアは己の胸に隠した。
何を言ってももう遅いと、彼の心には届かないと、分かってしまったからだ。

未来に訪れるはずだった決別の時が、その瞬間になった。だから、クレアはその瞬間から未来を見据え、彼を欺くための嘘をついた。

そして、彼に背を向けて、瓦礫の山を後にした。彼を憎悪と孤独に沈めてでも、愛すべき全てのものを守るために。
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