決意の朝
寒気に漉された日差しが、カーテンの隙間から室内に差し込む。部屋中に転がる酒瓶の、冷やかな硝子の輪郭が暗闇の中に浮かび上がった。
これほど鯨飲したのも、現実から酒に逃げ込んだのも生まれて初めての体験だ。

しかし、アルコールには忌まわしい日記の文言を消し去る力はなかった。体の中に熱は籠っても、頭の中は冴え冴えとして眠気を寄せ付けない。
いっそのこと、眠ってしまえたら。問題を先送りにして、心が回復するまで休めたら。

手に持ったグラスにひびが入る。自分らしくない弱気が、汚泥から浮かび上がるメタンガスのようにポコポコと浮かび上がる。ザンザスはグラスを壁に叩きつけて、瓶から直に酒を呷った。虫唾の走る弱々しい思いを、腹の底へ流し込むように。

権力の象徴、十代目の椅子。決して手に入れられないと分かったのに、ザンザスは今も諦められずにそれを眺めている。貧乏な子供が、店先に飾られた飴を物欲しげに見つめるように。

やけ酒なんて、子供が地団太踏んでゴネているのと何も変わらない。
結局、何も変わってなどいなかった。貧困街に生まれた子供は、身形は整えど中身はそのまま、同じ浅ましさを抱えている。

煙草を探して机の上を引っかき回すと、クレアの誕生日パーティの招待状が目に留まった。ボンゴリアン・バースデーパーティを無断で欠席することはできない。不参加扱いになれば、自然と最下位にされ、殺されるからだ。

「くそが……」

真実を知る前は、パーティで一位になることを考えていた。一位になった者はどんな願いでも叶えてもらえるからだ。
これは初代から続く掟の一つで、荒唐無稽な願いで在ろうと叶えてもらえる。その代わり、その後の保証は一切ない。

後継者に選べという願いさえ、過去には叶えられたことがある。勿論、後継者に選ばれた後、一週間と経たずに暗殺された。
よほど頭の足りない人間でなければ、ほどほどのことを願う。一つ上の地位か、一桁上の給与か、実入りのいいシマを一つか。

ザンザスは実力に見合った地位を願うつもりだった。そうすれば、九代目達も過小評価を止めざるを得ないと踏んでいた。
然るべき地位を与えなかったのは、ボスになれない者を助長させないためだったのに。

地位を願えば、彼らは相応のものをくれるだろう。そして、かつて驕った者達にしたのと同じように、殺そうとするだろう。
その前に、九代目とその守護者に然るべき罰を与えなければならない。

ザンザスは招待状と携帯を手に取り、ソファに腰掛けた。復讐を始める前に、クレアに確認しなければならない。
ザンザスが九代目の実子でないことを、彼女は知っているのかを。

まだ夜明けだというのに、電話は三コールで繋がった。電話に出たのは抑揚のない調子で話す女性で、名乗るとすぐにクレアと替わってくれた。

「どうしたの、兄様」
「いや、……訊きたいことがあっただけだ」

電話口から聞こえたのは、いつになく気だるげな声だった。ザンザスは僅かに違和感を覚え、口ごもった。
何かがおかしい――何かが、彼女らしくない。

「眠っていたのか」
「ええ。でも、そろそろ起きる頃合いだったから」
「昨晩のことだが、何か知っているか」
「……?いいえ、まだ何も聞いていないわ。何かあったの」

ザンザスが九代目の執務室に侵入した事を、彼女は知らない。地下牢に居てさえ、後継候補者のことを具に知っていた人なのに――。
それとも、候補にさえなれない者のことなど、知る価値もないということだろうか。

「兄様、何かあったのね」
「どうしてそう思う」
「いつもと様子が違うから。落ち込んでいるみたい」

ハッと笑いが零れ、ザンザスは手で顔を覆った。確かに、落ち込むなんてマフィアの男らしくはない。全てを打ち明けたい誘惑に駆られ、辛うじて思い留まる。
リングの継承を自らの存在理由とまで言い切る人だ、使い道がないと分かれば態度を変えるだろう。

クレアはボンゴレの外に独自の組織を持っている。彼女の協力があれば、九代目への報復が格段に楽になるだろう。
感情に任せて、彼女との良好な関係を打ち壊してはいけない。

「迷っているだけだ。これから、どうするべきか」
「将来を悩んでいるのね。生きている限り避けられない命題だわ」

衣擦れの音と、スリッパで歩く音。瞼を擦りながら歩く彼女の姿が、ザンザスの脳裏に浮かんだ。どれほど眠くとも、背筋はしゃんと伸びているに違いない。彼女の生きざまが、初代への忠誠心のもとにまっすぐであるように。

「迷った時、大抵の人はどうするべきかを考える。でも、道を決める時に大切なのは、どうしたいかだわ」

心の伴わない決断は、滅多に良い結果をもたらさない。甘い目算や怠惰な感情などを頭から削ぎ落し、周囲が教えてくれる正道やリスクに耳を傾ける。
そして、何を欲し何を諦めるか、そのために何をしたいかを自分に問う。そうして自分の生きたい道を決めれば、後々に悔いることは少ない。

勿論、決断するからには責任が付きまとう。責任をとれないなら決断すべきではないが、とれるのなら何をしてもよい。
世の中はとかくすべきことを説くが、意欲無くして成功した人など存在しない。

「お前は、そうしてきたのか」
「ええ、そうよ。お兄様のために生きたいと、望んだから」
「そのためなら、何をしてもいいと?」
「自分で責任をとれるのなら。兄様は、何がしたい?」

問われて、ザンザスは室内を見渡した。八つ当たりしたせいで荒れた部屋、転がる酒瓶に割れたグラス。目を閉じて、九代目の私書室を思い浮かべた。
何をしたいか――その答えは決まっている。

九代目達に報復したい。罪のない子供を弄んだ性悪どもに、自分達の所業がいかに悪辣であったかを思い知らせたい。
濁流のように憤怒が沸き起こり、両手から炎が零れる。携帯が音を立てて砕け、手の中で炭へと変わっていく。

道は見えた。そのために必要なものも、不要なものも。



一方的に切られた電話を、クレアは首を傾げて見下ろした。絶える前に聞こえた炎の爆ぜる音は多分、ザンザスの憤怒の炎だろう。
誰かが彼を怒らせることをしたのだろう。それも、彼が対処に悩むような人が。

「友人かしら、パパかしら」

昨晩のことを聞いてきたから、噂になるくらい大事だったに違いない。本部にいたら、きっとリアルタイムでそれを知っただろう。
パーティのためにと、一日早く城に来てしまったことが悔やまれる。

「兄様なら大丈夫よね」

ザンザスは立派な大人だ。何をするにせよ、ちゃんと自分で責任をとれる範囲に留めるだろう。
九代目は方々から苦情を聞かされるだろうが、それも親の務めだ。歳をとってから生まれた実子だ、多少のやんちゃも許せるだろう。

そう考えて、クレアは小さな違和感を覚えた。何かはわからないが、事実と違うことがあるような気がする。
しかし、どれほど考えても、何が違うのか分からない。こめかみがきりきりと痛むばかりで、しまいには考えるのが嫌になってしまった。

「私も、私のしたいことをしなければね」

ザンザスの前には、すべき事としたい事の二つがあったかもしれない。しかし、クレアの道は幸いにも一つだけだ。
初代の為に生き、初代の理想を実現するために生きる。

クレアは髪をゆるく結び、ソファに腰掛けた。良く眠れたお陰か、久々に頭の中がすっきりとしている。今ならば、デイモンの思惑に付いてよく考えられるだろう。

心を曇らせる憂いは一つ、シモンファミリーの安否だけだ。本部の私室から持ってきた勢力図と記録を広げ、クレアは思索を巡らせ始めた。
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