太陽の涙
「ニー、これを」

私書室へ向かう道すがら、九代目は『晴』に日記を渡した。チェルベッロが来たことで、ザンザスを引きとった理由を説明し損ねたためだ。
話すよりも、当時の気持ちを率直に綴ったそれを読んだ方が分かりやすいだろう。

「読むと良い。全てがそこに書いてある」
「……!失礼します」
「大したことは書いておらん。着くまでに読み終わるじゃろう」

歩きながら日記を読み、ニーは目を伏せた。実子と偽って引き取った理由は、いかにも九代目らしいものだった。
反省を多分に含んだ記述には、家族というものへの憧憬が滲む。ザンザスと出会った時、羨望に負けたのだろう。

諦めていたはずの夢を、――幸せのステレオタイプに、近付きたいと。たとえ血が繋がって無かろうと、我が子を胸に抱いてみたいと思ったのだろう。
彼らしからぬ浅慮だが、妻を失った後の孤独を思えば、おいそれと批判できない。

私書室は九代目の個人的な部屋であり、仕事関係のものは一切置いていない。心の中を素直に反映したように、九代目の好きなものばかりが集められているだけだ。
価値のなさそうな骨董品、子供が作ったガラクタがあるかと思えば、頭の痛くなるような哲学書や貴重な古書がある。

亡き妻の写真が幾つも、今も大切に飾られている。部屋を見回して、ニーは下唇を噛んだ。
ザンザスの母、アデリーナの写真は一枚もない。




日記を隠した私書室に、九代目は大仰な錠前を付けた。それを開け得る世界にただ一つの鍵を、チェルベッロに渡す。
もしこの部屋の扉が開かれることが在ったとしても、使われることのない鍵だ。
彼女はそれを手にするやボスの前を辞し、急ぎ足で去って行った。もしかしたら、本当に午後に予定が入っていたのかもしれない。

「ニー、お前も行くといい。クレアのことが気がかりだろう」
「それは、そうですが……」

『晴』は今にも飛んで行きたそうになのに、促しても動こうとしない。堅く拳を握りしめ、爪先を見つめたかと思えば、ちらりと九代目を窺い見る。
その表情から直感し、九代目は寂しさの滲む笑みをこぼした。

「わしとあの子は同じ道の上にいる。心配せずとも、殺し合うたりはせんよ」
「……!申し訳、ありません、ボス」

額を汗に濡らし、顎を震わせて謝る彼の、なんと気の毒なことか。ボスに忠実でありたいと願いながら、生来の優しさゆえにクレアを見捨てられない。
心情的には板挟みになっているようなものなのだろう。

九代目は無言で、力なく丸まった彼の背を撫でた。どんな言葉を掛けたところで、今の彼には慰めにもならないだろう。
クレアがうまく話してくれることを願い、九代目と『嵐』はとぼとぼと歩く彼を見送った。

「コヨーテ、この部屋に見張りを付けてくれ」
「俺がか?クロッカンに任せた方が良いのではないか」
「彼は今朝、南の方に行ってな……じきに戻るから、それまでの間じゃ」

『雲』ほどではないが、『霧』も自由人なきらいがある。外に出ている方が性に合うといって、幹部なのになかなか本部に居ない。
『雲』と違って仕事はきちんとするので、問題だらけの優等生といったところか。

コヨーテはふと、守護者の半分がいない現状に気付いた。『雲』はいつも通りどこに行ったか分からないし、『雨』は本州の連中に睨みを利かせるため島の東端に出向いている。
『霧』が南の方へ行った今、本部には自分と『晴』と『雷』しかいない。

『雷』はクレアの護衛に付いているため、九代目の護衛は自分と『晴』だけだ。もし今、何らかの有事が起きたら、自分ひとりになる。
このところの争乱を思えば、あまり良い状態とは言えない。

「ボス。ブラバンダーはいつ戻る予定だ?」
「東がどうも落ち着かんのでな……現状では何とも言えん。彼がどうかしたのかね?」
「いや。あいつかビスコンティが戻ってくれれば心強いだけだ」
「何を言うかと思えば。お前が居るのに、何を恐れる必要があるのかね」

『嵐』の腕をぽんと叩いて、九代目は笑った。彼の憂慮していることに思い当りはあるが、守護者を集めねばならないほどの問題はない。
些細な危機ならば、いつも右腕である彼と乗り越えてきた。

「頼りにしているぞ、右腕よ。わしはどうやら、奥義を習得せねばならんようだからな」
「まったく、あの娘は老父を何と思っているのやら」
「ははは。とりあえず、リボーンは呼ばねばな」

若いころの修業から考えても、奥義の習得には死ぬ気弾を使うことになる。
しかし、この頼もしい右腕はたぶん、ボスに銃を向けるくらいなら死んだ方がましだと泣く。
リボーンなら、必要性を理解したら躊躇わない。銃の腕前は当世随一だし、口が堅いのでボンゴレの奥義を教えても良いだろう。

「修業はどこでするんだ?あまり本部を離れるわけにはいかんぞ」
「うむ……そうさな、地下はどうじゃ」

ボンゴレ本部の地下には、バシリカ・シスタンに匹敵する規模の空間が在る。小さな地下牢だったのを、戦時中にパルチザンの拠点にするため拡張したものだ。
戦後は秘密裏に拷問や処刑を行うために使われたが、ヴァリアーを作って以降は何にも使われていない。

今はただ緊急時の避難経路とされているが、通る人も使う人も滅多にいない。ネズミや虫がいるので、余程のことがない限り誰も使いたがらないのだ。
そこならば、誰にも邪魔されずに修業できる。

「執務室で日記を読んだ後、地下に行ってみるか」
「そうだな。老朽化してないか確認しよう」



初めはトボトボと歩いていたのが、次第に早足になり。ニーは半ば駆けるようにして、クレアの部屋に向かった。
ノックもせずに扉を開けると、ワインボトルを拾い集めている彼女と目が合う。

「未成年は飲酒してはいけません!」
「私じゃないわ、ガナッシュよ。お昼寝している間に此処で呑んで行ったみたいなの」
「そうでしたか。申し訳ありません、早とちりしました」

ニーは胸を撫でおろし、室内を見渡した。ローテーブルや床にボトルが散乱しているのに、肝心のガナッシュが居ない。

「ガナッシュはどちらに?」
「知らない。散らかしたまま、どこかに行ったみたい」
「それは……いかにも彼らしい……」
「見つけたら説教しなくちゃ。一か月は禁酒させるんだから」

酒にだらしない彼らしい失態に、ニーは額を抑えた。『雷』は『嵐』に準じるくらい腕が立つのに、酒にはめっぽう弱い。
しかし、まさかボスの娘の部屋で呑んだくれて、そのままどこかに行ってしまうとは。

なんと詫びたものか考え、ニーはクレアの様子を窺い見た。そして、彼女の頬に涙の後を見とめて、目を瞠った。
ぎくしゃくとする体を動かし、どうにか彼女の前に膝をつく。

「パパのところに、走って行ったでしょう。だめだって言ったのに」
「は、……どうして、それを」
「見ていたの。超直感はないけれど、遠くを見通す目は持っているのよ、私」
「申し訳ありません。つい、かっとなって……」

慌てて言い訳しかけて、ニーは言葉を呑みこんだ。クレアがまったく怒っておらず、ただただ哀しさを湛えた眼で見つめてきたからだ。
遠くを見通す目。それが真なら、彼女は全てを――九代目の日記を、その目で見たということだ。

「ええ、見ていたわ。兄様は、やはり、血を持っていないのね」
「……!」
「あんまりだわ、こんなこと、なんて言えばいいの」

くしゃりと顔をゆがめ、クレアは嗚咽を漏らした。思うことは違えど、嘆く心に嘘や偽りはない。兄に施す仕打ちの数々を思わば、涙などいくらでも溢れてくる。

「貴方にも、悲しい思いをさせた。辛かったでしょう、ニー」
「いえ、私は。九代目が、明言してくださったから、……」

誰よりも心を痛めているであろう彼女を、慰めねば。そう思うのに、鼻の奥がつんと痛み、泣きたい衝動がこみ上げてくる。
ワインボトルを手放したクレアが、両手を広げた。泣いていい、縋っていい――そう許されて、ニーはたまらず目の前の小さな体を抱き締めた。

自分より遥かに小さい肩に顔を埋め、張り裂けた胸の訴える痛みのままに泣き咽ぶ。優しく髪を撫でる小さな手、時おり頬にかかる温かい涙、繰り返される小さな謝罪。
確かに脈打つ鼓動を聞くたび、なにかが許されたように気分が軽くなる。

ああ、この人には一生勝てないのだろうな。九代目にも勝てないのだ、その娘にだって勝てるわけがない。
ニーは泣きながら笑い、今改めて、九代目の『晴』に選ばれた喜びを享受した。
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