可能性という希望
九代目たちの会話を、オッタビオは廊下で聞いていた。手に無難な報告書を持ち、さもいま来ましたと言わんばかりの顔を装い、聞き耳を立てる。九代目が急に立ち上がった時は焦ったが、どうやら気付かれていないらしい。
穏健派とはいえ、ボスともあろうものが老いただけで気配を読む力が衰えるとは。嘆かわしいと思う一方で、好都合だとも思う。老王と幼王ほど扱いやすく、取り入りやすいものはない。

剣帝テュールは幹部でありながら、権力に興味がない。ヴァリアーのボスになったのは、実力が認められただけだ。剣帝の称号以外は欲しておらず、ボスの座にも関心はない。しかし、徹底した実力主義ゆえに、自分より弱いものにボスの座を譲る気もない。
上に行きたいオッタビオにとって、彼は目の上の瘤だった。しかし、スクアーロとかいう若い剣士のおかげで、邪魔な瘤も取り除かれた。取り入るための材料さえ手に入れば、幹部の座すら夢ではない。

そして今、オッタビオはその材料を掴もうとしている。九代目の実子がブラッド・オブ・ボンゴレを持たないという、格好の情報を。それを誰に売り渡せば、上への道を作ってくれるだろうか。

「ああ、考えるだけでゾクゾクする」


「……恐らくは」

そう答えながらも、ニーには確たる自信がない。九代目に問われるまで、もし兄に継承の資格がない時、クレアが彼をどう遇するかは考えていなかった。九代目とクレアが争うことのないよう、ただそれだけを考えていた。
クレアに堅く口止めされていたことを思い出し、背中にどっと冷や汗が出る。頭に血が上って、後先考えず、九代目に突撃してしまった。もし九代目に悪意があったら、彼女の命が危ないというのに。

「日記を、お渡しいただけますか」

チェルベッロの催促に、九代目はゆるく首を横に振った。クレアの目論見が分かった以上、日記を渡すわけにはいかない。ザンザスを守るため、彼女が矢面に立とうとしているのなら。それは、原因を作った者であり、二人の父である九代目自身がするべきだ。

「あれから考え直してな、日記は私の私書室に隠すことにした。あの子には、その鍵を守ってもらいたい」
「では、鍵を預かりましょう」
「ああいや、これから私書室に持って行くところでな。午後に預ける予定じゃったからな」

話の辻褄を合せながら、九代目は考えた。こうすれば、ザンザスを追い落とさんとする者は、クレアのところではなく私書室に来る。その気になれば錠前など簡単に壊せるのだから、鍵を盗りに行くことはないだろう。

「すまんが、付いてきてくれんか。お前達も」

引き出しから日記を取り出し、九代目は『嵐』と『晴』を誘った。右腕に異論はないし、『晴』は少し逡巡したものの承諾する。三人そろって部屋を出ようとしたところで、チェルベッロが手を上げて制止する。彼女はその手を口元に持って行き、人差し指を立てた。

まだ出てはいけない。しかし、静かに待て。三人にそう指示して、彼女は忍び足で扉に近付き、勢いよく押し開いた。そして、扉の前で待っていた青年を見上げ、その手に握られた書類に視線を落とす。

「ボスにご用でしたら、先にどうぞ」
「あ、いえ、書類を届けに来ただけですので……」

青年――剣帝テュールの右腕、オッタビオ。若干二十八歳でヴァリアーの二番手にのし上がった将来有望な男だ。仕事の評価は高いが、性格はマフィアに不似合いなくらい臆病で、会議ではテュールの一挙手一投足にびくびくしていた。
今も、見慣れぬチェルベッロに対して怯えており、不安げにきょろきょろと周囲の様子を窺っている。気の毒になり、見かねた『晴』が進み出て書類を受けとった。

「あの、もしかして、私は邪魔をしてしまったのでは」
「分かっていただけて、何よりです」

室内に漂う気まずげな雰囲気を察したのだろう、オッタビオは詫びようとした。しかし、話し終わる前に、チェルベッロが無慈悲に言葉を遮る。邪魔だとはっきり言われては、流石にそこに留まるわけにはいかない。オッタビオは頭を下げ、足早に立ち去った。

彼が確かに去ったのを確認し、チェルベッロは扉を閉めた。クレアから、もし九代目が日記を自分で管理すると言った場合、そうせよと言い遣っていたからだ。オッタビオを追い払ってから、盆のものを渡すようにと。

「実は、かの方よりもう一つ、仰せつかっていたことがありまして」

そう言いながら、チェルベッロは持っていた盆の布を退けた。一辺が十五センチくらいの立方体の箱が一つと、日記帳が一冊、盆の上に置かれている。

「もし貴方が望むならば、奥義を授けたいとのことです。こちらは習得に必要なものです」
「奥義……?なんだ、それは」
「ゼロ地点突破です。正確に言うと技ではなく、技を編み出すための境地ですが」
「二代目が決して勝てなかったという、あの奥義か?!」

ゼロ地点突破――それは初代のみが使った伝説の業だ。どんな技なのかも分からないし、どうすれば習得できるのかも分からない。初代と二代目が喧嘩をした時、それを使われたせいで二代目は負けたということしか分からない。
それを習得する方法は、初代を鍛えたクレアしか知らない。そして彼女は、方法を公開せよという歴代の要求を、いつも一笑に付していた。九代目も、幼いころに聞いてみて、思いっきり馬鹿にされた記憶がある。

それを公開するというのだから、九代目は目を白黒させた。一体どういう風の吹き回しなのだろう、それほどに相手は厄介なのか。差し出された盆を受け取り、九代目は黒い箱を開けてみた。

「……銃弾?」
「死ぬ気弾です」
「全部かね?」
「ええ、全部です。足りないようなら、銃弾を箱に詰めて三日寝かせれば良いとのことです」

箱にぎっちり詰まった弾だけでも、若いころにした修行では十分だ。それで足りなければと言うくらい過酷なのだろうか。日記を見ると、読むべき期間を二枚の付箋で示してくれている。九代目はためしに、ちょうど真ん中あたりからパラパラと頁を捲ってみた。

――修業を始めて、一ヶ月が過ぎた。三十回も瀕死の状態になったのに、ジョットはまだ修業を続けると言う。無理はやめてほしい、他の方法を考えようと訴えても聞いてくれない。Gは心肺蘇生法を勉強したから大丈夫だと言うけれど、絶対などない。右腕だと言うなら、引っ叩いてでも止めてほしい……

「……うむ。検討しよう、後で」

自分の日記を私書室に隠してから、右腕と考えた方がよさそうだ。クレアの日記を閉じ、九代目は一旦考えることを放棄した。
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