尽きぬ欲
不意に視界が切り替わり、クレアは驚いて手を止めた。古い教会――陽光に照らされた柱廊、きれいに整列した長椅子。大きな聖壇と、その上に掲げられたキリスト昇天の絵画。パラティーナ礼拝堂と見紛う、金箔のモザイクに覆われた内装。
聖壇を背にしたザンザスの姿に、クレアは驚いた。彼の風貌は神聖なる教会には不似合いで、凶悪さばかりが際立って見える。彼の前には、床に打ち捨てられたボロ雑巾のようなものが転がっている。それが何なのか、クレアには分からなかった。

ぱちりと瞬くと、視界が元に戻る。千里眼がひとりでに開き、見せるべきものを見せて、またひとりでに閉じる。あれはきっと、リングを継承させるうえで必要なことなのだろう。クレアは目を眇め、手もとのティーカップに視線を落とした。

「どうした?紅茶、不味いか」

向かいにいたガナッシュが、気遣わしげに問いかけてくる。根っからのコーヒー党である彼には、紅茶を上手く淹れる自信がないらしい。クレアは首を横に振り、なんでもないふりをして紅茶に口を付けた。

「いいえ、美味しいわ。千里眼が勝手に動いたから、びっくりしただけよ」
「そんなことがあるのか?」
「ええ。継承に関わる必要なことを教えてくれるの」

そう、あれは継承に必要なこと。継承には、指輪に認められた八人が揃わねばならない――ボスが一人、守護者が七人。
だから、ザンザスは七人の部下を選ばねばならず、先程の光景はまさに選ぶ瞬間なのだろう。床に転がっていたボロ雑巾が、その一人になるというのは不思議だけれども。

「でも、あれはどこだったかしら……金色のモザイクがある教会なのだけれど」

百年前まではノルマン王宮に頻繁に出入りしていたから、王宮附属のパラティーナ礼拝堂でないことはすぐにわかった。しかし、金箔のモザイクを施した教会が他に思い当たらない。

「金ぴかの教会って言ったら、王宮のとこかマルトラーナだろ」
「では、あれはマルトラーナ教会なのね。今度、行ってみたいわ」
「そりゃ構わねぇが、行ってどうするんだ?面白いもんなんて何も……」

言いさして、ガナッシュは思わず口をつぐんだ。目の前の少女が、どうしてかとても哀しそうに笑ったからだ。胸が張り裂けんばかりに痛いのに、たまらなく哀しいのに、それさえも愛おしいとばかりに笑う。

「行って、お話を聞くわ。……教会って、そういうところでしょう」



凍りついたバイパーの鼻面に、大口径の拳銃が突き付けられる。男の全身から放たれる怒気は、肌が痛いくらいに強い。

「テメェの耳は節穴か?俺は全てを話せと言ったはずだ」
「い、言ったよ、全部……」

バイパーは狼狽し、みっともなく震えた声でそう訴えた。すると、鼓膜を劈く轟音と共に、頭の上と背後で凄まじい熱量が爆発した。振り返ると、観音開きの扉が跡形もなく蒸発していた。瞬時に焼き尽くされたのだと分かり、バイパーは派手な身形の青年に視線を移した。彼は何事も無かったかのように、涼しい顔で扉の脇に控えている。

つまりは、なにか。退路を断つ必要がないからではなく、こうなることを見越していたから、扉の前に立たなかったのか。男を仰ぎみると、不機嫌な顔で手に残った銃の破片を振り落としていた。

「チッ、また失敗か」

そう忌々しげに吐き捨て、男は未だ熱を持つその手で、バイパーの頭を掴み上げた。頭を直火で焼かれる苦痛に、バイパーは声にならない悲鳴を上げて暴れた。しかし、赤ん坊サイズに縮んだ手足を振り回したところで、男の手から逃れられるはずもない。

「わかった、わかった!全部話す、話すから……!」
「次はねぇぞ、カスが」

ぺいっと投げ捨てられ、バイパーは固い石畳の上に倒れ伏した。もう体を起こす元気はなく、横たわったままデイモンと関わったことを話す。今度こそ全てを話し終えると、後はもうわが身を嘆いてすすり泣くしかない。

「……そういうことか」

デイモン・スペード。初代の『霧』にして、二代目の『霧』――。裏切り者と謗る声もあらば、ボンゴレのマフィアとしての基盤を築いた男と称える声もある。いかに歴史に名を残そうと、とうの昔に死んだであろうことに間違いはない。
まさか死者の名が出るとは、ザンザスとて予想していなかった。しかし、アルコバレーノから聞けた話で、いくつかの疑問は解消された。たとえば、クレアの言った『百年来の宿敵』という言葉は、比喩でも何でもなく、ただの事実だったということだ。

また、彼女がザンザスに聞かせた、電話の言葉――『悪魔が来た』というフレーズも、そのままの意味だ。デイモンという言葉は、わずかな発音の違いで一般的な姓名にも悪魔にもなりうる。宗教的な言い回しが続いたので、ザンザスは人名だとは思いもしなかった。

百年来の宿敵にして、悪魔――デイモンが、彼女の持つ『秘密』と『十』を狙っている。彼女はそれを仲間に伝え、『キリストの弟』を守れと言った。その後、イタリアの裏社会は突如、血で血を洗う裏切りと抗争の坩堝へ落ちた。
つまり、この騒乱は『十』を奪うための戦いであり、『キリストの弟』を守るための戦いでもある。そして、もし『十』を奪われたら、クレアは『百』を奪いにかかる。

エストラーネオの目的を尋ねた時、彼女はデイモンの存在を隠そうとした。自分とデイモンとの間に続く闘争に、ザンザスを巻き込みたくなかったのだろう。実際、裏社会の誰も彼もが火の粉を被っているのに、ザンザスはいまだ蚊帳の外だ。

「俺の妹とデイモンは、何を巡って争っている?」
「知らない。そんなこと、本当に知らない。僕はただ……」

ぐずぐずとした言い訳を、ザンザスは手を挙げて制した。デイモン・スペードにまつわる伝記が本当ならば、彼はその終生をボンゴレの興隆に尽くした人物と言える。
一方、クレアは初代のために生き、その心のままにすべてを為さしめようとしたという。初代が去った後は、表舞台に立つことなく、リングの継承を管理している。

その二人が争うとすれば、やはりボンゴレのあり方に関してだろう。デイモンと初代は方向性の違いから対立したらしいし、クレアは初代の味方だ。
しかし、イタリアの民はデイモンを選んだ。正義など存在しない、暴力と恐怖でもって政府の弾圧に対抗するべきだと考えて。その末路がいかなるものかは、語るに及ばない。マフィオーゾであるザンザスが、どちらを肯定するべきなのかも――。

――俺にとって大事なものはボンゴレだけだ。テメェか女かを選べと言われたら、テメェを選ぶ

かつて自分が言った言葉が思い浮かび、ザンザスは顔を顰めた。確かにあの時、自分はクレアを選ぶと言った。しかし、それはボンゴレを体現するものとしての彼女と、そうでないものの二択だった場合だ。
同じボンゴレのなかで、その在り方を問う場合は別だ。別でなければいけない。それなのに、咽び泣くクレアの顔が、どうしても消し去れない。

彼女とて、本当に自分を選んでくれるなどとは思っていないだろう。時が経てば反故にされる言葉だとわかっている。それでも、泣かずには居られないくらい、彼女にとっては嬉しいことだった。正しい道を、選んでほしい。彼女はそう願い続け、常に血族に裏切られてきたのだから。

そしてザンザスは――訳を知らぬとはいえ、一時の夢を彼女に与えてしまった。事ここに至ってそれを理解し、ザンザスは戸惑った。

権力が欲しい。財も欲しい。全てを思うがままに動かしたい。町中の人から尊敬され、恐れられる存在でありたい。マフィアという存在は、ザンザスの欲を満たすにはちょうどいい。しかし、だからといってデイモンの側に付くのも、気に食わない。上手い話に唆されるのも、事情に圧されて選択するのも、誰かの思惑に乗っかるのも、強者のすることではない。

自分の頭で考えて、自分の信念にのみ従い、自分のするべきことを自分で決めるべきだ。そのためには、力が必要だ。何を成すにも力が要る。拳を握りしめると、手のひらに残った鉄クズの破片がちくりと痛んだ。
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