拒絶しないで
信玄や幸村の代わりに瑜葵を見舞おうとした佐助は、才蔵と一人のくの一に止められた。

「瑜葵様は、戦をご存知でした。おそらくは、このたびの留守のことも」

くの一の言葉に、佐助は冷や水を被せられたような心地になった。

佐助や幸村や信玄が戦に出たことを知った。人を殺めたことを、この手を血に染めたことを。

「なんで、誰が教えたの?」

震える声で尋ねると、くの一は誰も、と答えた。ただ、戦をご存じだったのですと。

考えてみれば、瑜葵は戦場で拾われたのだ。戦のなんたるかを知っていても、おかしくはない。

けれど。けれど、この手が血塗れたものであるとは。

「知られたく、ない……」

知られたくなかった。





今川が織田に討たれ、北条が武田に制圧されてから、二十日が過ぎた。

体調もすっかり良くなった瑜葵は、朝からじっと門の前で待っていた。

「瑜葵様、やはりお体に触りますし、中で待っていたほうが」
「いいえ。此処がいいです」

気遣う志乃に、瑜葵は首を横に振った。
今日中に信玄たちが帰るとの知らせを、才蔵が今朝方持ってきた。

それを聞いてからずっと、瑜葵は門の前にいる。
放っておけず志乃や数名の侍女も一緒にいるが、正直四月の外に長時間はきつい。

「今日とは言っても、夕方かもしれませんし」
「いいえ。お昼に帰ってきます」

いやにきっぱりと断言した瑜葵に、志乃は説得を諦めた。

瑜葵は基本大人しく、性情も穏やかなのだが、一度こうと決めたらてこでも動かないところがある。

ネギを食べさせようと苦労したことでその頑なさを知った志乃は、ある程度で折れることを学んだ。

「あ」
「どうかなさいましたか?」

不意に瑜葵が声を上げ、心なしか嬉しそうに微笑んだ――瞬間。

瑜葵と志乃の前に、一人の影が降り立った。


「おかえりなさい、佐助さん」
「ただいま、瑜葵ちゃん。っていうか、なんでこんなとこに?」

反射的に応えてから、佐助は小首を傾げた。
ふつう、姫はよっぽどのことがない限り屋敷の奥にいる。

間違っても、門の前で門番よろしく立っていたりしない。

「今日帰ると聞いたので、待っていました」
「……っこの子はもう……病み上がりだってのに、そんな無茶しちゃダメでしょ」

メッとして、佐助は手甲をつけたままの手で目元を覆った。

戦のことを尋ねられたらと緊張していたのに、瑜葵はまるで変わりなく接してくる。
拒絶の色の全くない、暖かな雰囲気を纏って、嬉しそうに目を輝かせて。

あれはくの一の誤解だったのでは、と思うほどに変わらない。

「お館様と幸村さんはまだですか?」
「ん、俺様は先駆けで、二人はあそこ」

佐助が示した先、道の向こうには爆走する土煙が二つ見える。
誰が見ても、あれが二人だ。

「それより、病って聞いたけど大丈夫なの?」
「はい。もう元気です。佐助さんは、大丈夫でしたか」
「え?」
「戦で、怪我していませんか」

瑜葵の問いに、佐助はさっと青ざめた。
手の先から血が引いていくような感覚。未だ付けたままの手甲がいやに重く感じる。

返事をしない佐助に、瑜葵はそっと手を伸ばした。
怪我をしているなら、この手で治したいと思ったのだ。

あわてて佐助が身を引くが、それよりも先に瑜葵の手が佐助の腕に触れた。
傷を探すように、腕から肩、腹、背とぺたぺた触れて回る。

その暖かな感触に、佐助の強張っていた体がゆっくり解れる。
拒絶しないというかのうように触れてくる小さな手が、とても心地よい。

視線を向ければ、瑜葵の目には心配の色があった。

「怪我、してないよ。瑜葵ちゃん」
「本当に、怪我してませんか」
「うん。俺様強いから、北条や今川相手に怪我なんてしないよ」

手甲を外して髪を撫でてやると、瑜葵の目がぱっと輝く。
そのことに安堵し、佐助はそっと肩を下した。

「よかった。瑜葵ちゃんが変わらなくて」
「……?」
「なんでもないよ、独り言。お館様と真田の旦那も無傷だから、大丈夫」

髪を撫でながらそう言うと、瑜葵が笑った。
それまでのより一層自然で、笑顔に近い、笑顔で。



(この血塗れた手でも)(触れたいと願ってしまう)(冷たい指先を温める、燈火よ)
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