再びの訪れ

あの夢を見てから五日が過ぎた。
小田原城陥落の知らせが来たが、信玄たちはいまだ甲斐に戻ってきてはいない。


瑜葵の病は薬湯でかなり楽にはなって、ほんの少しなら起きていられるようになった。

薬湯をのんだ後、瑜葵は久方ぶりに縁側に出た。

単衣の上に一枚羽織って、志乃が淹れた茶をもらう。
だが、茶は苦く、おやつのみたらし団子は少し辛い。

普段佐助の手製のお八つや茶を食べて、その味に慣れている瑜葵の舌には合わない。

舌がぴりぴりしたため、瑜葵は食べる努力をやめて皿をやや遠ざけた。

そして、背に志乃の気遣わしげな視線を感じながら、瑜葵は庭を眺めていた。
すると、庭にひょこりと鮮やかな色彩が現れた。

「団子、食べないのかい?」

その鮮やかな色彩、もとい風来坊はまるで昨日も会ったかのように気さくに話しかけてきた。
その人懐っこい笑顔に、瑜葵はほんの少し安堵して頷いた。

「少し辛いのです」
「へぇ。じゃあ俺がもらうよっと」

そういって、慶次は団子の皿を取り上げると瑜葵の隣に腰掛けた。

「三人とも、今は小田原にいるんだって?」
「はい。……みんなが居ないと、此処はとても静かです」

そう言った瑜葵の声は意外にも寂しさが滲んでいて、慶次は目を瞬かせた。

だが、振り向いて見た瑜葵の顔はいつもの感情の欠けた表情だ。
些か拍子抜けして、慶次は苦笑した。

「そう、だな。早く帰ってくるといいな」
「……はい。慶次さんは、どこに行っていたのですか?」

「俺?俺は謙信に会いに行ってたんだ、隣の国の」
「前田殿。瑜葵様は今少しお加減がよろしくありませんので、それくらいに」

慶次の話を志乃が遮った。その声に隔意を感じて、慶次はきょとんとした。

いや、それ以前にただの女中が客分である慶次の話を遮ることなどありえない。

甲斐は常識に囚われない方だが、上下の区切りは確りしている方だ。
当然、女中は客に対する礼儀も弁えている――筈なのだが。

「体調が悪いって、風邪かい?熱は?」
「熱はございません。少し疲れていらっしゃるだけです」

瑜葵が答える前に、志乃が口早に答える。
慶次はいよいよもって困惑し、志乃と瑜葵を交互に見交わした。

瑜葵は不思議そうに首を傾げ、慶次の視線を追って志乃を見た。
志乃は瑜葵の視線に気づき、はっと息をのんで慌てて頭を下げた。

「申し訳ありません、差し出がましいことをしました」
「……?」
「いや、いいんだ。俺は見ての通りの風来坊だし、気にしちゃいないよ」
「いえ、その……瑜葵様、そろそろ床にお戻りください。これ以上はご負担になります」

志乃に勧められ、瑜葵は頷いて立ち上がった。
本当はもう少し庭を見ていたかったが、志乃が心配するので大人しく床についた。

すると、志乃は安堵したように微笑んで障子を閉めて部屋と縁側を遮断した。

「前田様、先ほどの無礼をどうかお許しください」
「いや、気にしてないって。それより、何かあったのか?」

前に会ったとき、志乃はきちんと礼儀をわきまえていた。
それが今のような態度をとるには、何かあったとしか思えない。

「……瑜葵様に、他国の国主のお話を聞かせたくなかったのです」
「それはまた、どうして」

「瑜葵様はまっすぐな心根の方です。前田様のお話を聞けば、瑜葵様はその者を良い人だと思うでしょう」

慶次は謙信のような人格者のことをよく話し、悪い噂を口にしない。
だから、慶次の話を聞いていると、良い国主は本当によく聞こえるのだ。

「瑜葵様は戦をご存知です。ですが、どうして戦が起こるのかを理解できません」

瑜葵には、この日ノ本の根幹をなす国や政治、それに絡む利権や野望などに対する理解が欠如している。

だから、民に慕われ、国を正しく収める者がどうして戦をするのかが瑜葵には根本的に理解できない。

例えどんな人格者でも、権力欲ゆえに他国を侵略することもあるのだということがわからないのだ。

信玄や幸村、佐助ならばそれがわかる。そうした中で生きてきたし、自身が先ずそうだからだ。

「御館様はこれまでのように、また越後と川中島で合戦をするでしょう。越後の話を聞いて、謙信公の為人を知って、瑜葵様はどう思われますか」

「……信玄公に、戦をやめてほしいというかもしれないってことか」

「はい。そうなれば、……御館様も幸村様も猿飛様もお困りになって、瑜葵様と気まずくなると思います」

そうして、瑜葵はまた寂しい思いをする。
先の川中島、そして此度の小田原の戦で会えなかった上にそれではあまりに可哀想すぎる。

「……」
「すべて私の勝手です。ですが、瑜葵様のためを思いますなら、どうか」
「言いたいことはわかったよ。でも、それはだめだと思うね」

慶次は首を横に振り、志乃の願いを棄却した。

「瑜葵ちゃんは信玄公の養女だ。信玄公を、ゆくゆくは夫になる人を後ろからしっかり支えられるようにならなきゃいけない」
「ですが、瑜葵さまは」

「かつては巫女だったかもしれない。でも、今はそうじゃない。ならば、知らなきゃだめだ」
「……」

「知れば、瑜葵ちゃんは傷つくし困るし悩む。けど、自分で考える。そうして自分で答えを見つけて、人は強くなる。変わるんだ」

慶次は厳しく見えるかもしれない。だが、ある意味では優しい。

志乃の守り方は、真綿で包み、布で覆い、籠で囲うようだ。
だが、武将の娘が守られて生きてけるほど、この戦国の世は優しくない。

瑜葵は変わらねばならない。生きるために、守るために。
そのためには、真綿で包むよりも、涙を受け止めてやるほうがいいのだ。

「ま、瑜葵ちゃんがどうするかは瑜葵ちゃんが決めるってことさ」
「……はい」

こくりと頷いた志乃に、慶次はふっと相好を緩めた。

わかったなら、もうこれ以上言うこともない。
慶次は剣を担ぎ直し、縁側から立った。

「それじゃ、俺はもう行くよ」
「は?あの、ならば瑜葵様にせめて一言……」

「あー、実は今すっごく急いでんだ。だから、俺の代わりによろしく言っておいてくれるかい」
「左様ですか……わかりました。道中お気をつけて」
「ありがと。瑜葵ちゃんも、早く病気が治るといいな」

にっと人好きする笑顔を浮かべ、慶次は縁側を離れた。

「キキッ」
「ん?ああ、わかってる。急がないとな」

夢吉が急かすように鳴いたのに応え、慶次は館の外に待たせていた馬に飛び乗った。

その馬首を北へ向け、手綱を絞る。

「向かうは奥州、伊達政宗だ!」


(武家のものは皆、戦を知らずして)(生きることはできない)(例えそれが、優しい心を締め付けても)
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